「共」に「生」きる。 in 阿蘇

游人たちの歌・第一章・二、茜さす地、北九州へ

高校を卒業後、私が選んだ場所は、かつて鉄鋼の街として、荒尾、大牟田と同じく、この日本を支えてきた北九州だ。  熊本にいるとき、いじめにあい、もっぱら内に引きこもりがちになり、人との関係をつくれずにいた私は、むしろこの北九 […]

游人たちの歌・第二章・一、阿蘇での新たな出発と『自閉症』という壁と向き合って。 一、一人の青年と始めた作業所づくり

一九七五(昭和五十)年、八月二三日、トオルは、この世に重度の自閉症児として生をうけた。熊本県阿蘇郡一の宮町立宮地小、一の宮中、そして阿蘇農業高校(現、清峰高校)を聴講生の形で卒業した後、阿蘇町の通所授産施設『くんわの里』 […]

游人たちの歌・第二章・二、地域の人々とともに生きて 、

  作業所となる店の大工仕事は、終日、手作業の中、行われていった。 店舗は、こんなこともあろうかと自宅を兼ね、マサミ江が夫の反対を押し切って買っておいた一階で、もとは焼き肉屋だった。できるだけ金がかからないようにプロに頼 […]

第二章・三、『こだわり』という名の氾濫

  内装工事もかなりすすんできた年の瀬の迫った十二月、担任していた児童の保護者の紹介で宅配便のアルバイトを始めた。 宅配便の最後の日のことだ。前日、私はトオルからテレビ局へまた手紙を送ってほしいことを頼まれ、その文面を家 […]

第二章・四、超えることのできない現実へ、再び

~ 草花の開く季節がやってきた。早いもので作業所づくりに着工して一年がたち、いよいよ、小規模作業所『夢屋』のオープンが、一週間後の四月六日に迫っていた。 早朝、四時過ぎに電話のベルが鳴った。マサミからだった。何事かあった […]