「共」に「生」きる。 in 阿蘇

代表あいさつ

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“共生”を土台とした就労の場を目指して

地域活動支援センター「夢屋」代表
宮本誠一

熊本県は阿蘇山の麓、涅槃像(五岳)で有名な阿蘇市で初めての障がい者の作業所を開所し、29年目になります。現在は地域活動支援センター(Ⅲ型)として市からの委託を受け、12名が登録し、6名~8名ほどが通所という形で利用しています。障害者自立支援法によって法定化された地域生活支援事業に位置し、目的は、「地域の実情に応じ、創作的活動又は生産活動の機会の提供、社会との交流の促進等の便宜を供与することにより、障害者等の地域生活支援の促進を図る」となっています。夢屋の場合、パンづくりと配達、販売を就労の柱とし、昼食づくり、一日を終えてのつづりと語り合い、地域の小中学校との交流学習、広報紙『夢屋だより』の発行などを継続的に行ってきています。

阿蘇地域振興局の健康福祉環境科の課長さんは、赴任以来、パンを買って頂いていますが、4月、新しい転任者の方に「うちん作業所たい。パンばこげんして売りにきよらすと。ぼちぼちでいいけん、気に入ったら買うてくれんね」と声をかけてくださいました。また、土地を提供してくださった竹原幸範さんとメンバーたちの毎日のコミュニケーションなどは、今や、竹原さんにとって貴重な生活の一コマであり、生き甲斐にもなっています。さらにご近所の農家の方が、ごぎゃんこつしかできんけど、とおっしゃってお米を寄付してくださいます。メンバーたちも仕事の合間を見て、近くの薬師堂の掃除や道の缶拾いに汗を流します。昨秋は、村祭りの宴に誘っていただき、郷土料理に舌づつみをうたせてもらいました。こうした地域との一体感は、地道な日々の積み重ねによると思いますが、就労の場にとって、働く者たちがより生き生きとした毎日を送ることができるための大切な「つながり」であるように思います。

夢屋に来ているメンバーたちで多くに共通しているのは、誰もが一度は、一般企業への就労を試み、面接を受けたり(電話で断られたのも含め)、実習に行ったり、あるいは地道にある程度勤めたことがあるということです。しかし就労期間は、数日から、長くて2、3年、授産施設でも5年に満たないのが現実です。

『今までの職場になくて、「夢屋」にあるものは何ですか』

メンバーにこんな質問をすると次のような答えが返ってきました。

  • 自分に期待してもらえるものがある。
  • 気持ちが落ちつく。
  • パンづくりの練習がもっとしたいと思っていたけど、そのことをさせてもらえる。
  • みんなと仲良くできる。
  • 職場にゆとりがあって、自分のペースで生活ができる。

これはあくまでも福祉作業所「夢屋」という枠内のことで、安易に一般の雇用現場と比較できるものではありません。そのことを前提にあえて言わせていただけば、そもそも働くということは、「共生」あっての「就労」ではないかということです。就労者同士のつながりや上司との信頼関係がなければ、個々の「労働」も「存在」も分離したものとなり、孤立した「作業」を繰り返すだけになってしまいます。逆説的ですが、夢屋は充分な賃金を支払う、金銭面で保障された一般企業や事業所とは違います。だからこそ反対に、集う仲間たちの個性や精神面のつながりを大事にしてきたとも言えるのです。

メンバーの一人がこんな日誌を書いてきたことがあります。

「しばらく夢屋に行きながら、家の都合である程度まとまった収入が必要になり、悩んだ末、宮本さんに相談しました。すると『近々、オープンするホームセンターの面接が受けれないか聞いてみようか?』とさっそく一緒にハロー・ワークへついてきてくれ、障がい者の枠での面接が決まると、履歴書に貼る写真を撮影してくれたり、ホームセンターの店長宛に私の夢屋での仕事ぶりや性格など細かく丁寧に紹介状を書いてくれ、とてもありがたかったです。おかげさまで無事、採用してもらい、検品スタッフとして入社することができました。宮本さんの期待を裏切らないためにも、私なりに努力はしてみたのですが、検品チェックのときは説明の聞き違いで違うドアを開けて商品をだめにしてしまったり、朝の仕事始めの発声練習のとき、もともと喉が弱いので痛めて、一日中声がでなかった日もあって、それをきっかけにとても親身にしてくれた宮本さんに何の相談もなく、一人で勝手に決めて辞めてしまいました。宮本さんには、辞めた後に報告して、当然のことながらかなり注意を受け、店長にいっしょにお詫びにいきました。今から考えるとどうしてあのとき、自分だけの判断で簡単に逃げ出してしまったんだろうと、今もまだ後悔の気持ちが消えません」

『今から考えるとどうしてあのとき……』

この言葉の背後には、職場の障がい者への配慮や本人の努力の有無だけでない、様々な要因が重っているように思えます。このことを私たちはけっして短絡的な視点で分析すべきではないと考えています。

そもそも、自分の置かれている立場や状況のかなりの部分を、冷静に分析したり判断できない条件(環境=受けてきた教育も含む)に放置されてきた人たちが、一般就労の場で雇用と被雇用、また被雇用者間の関係を構築していくことは、たいへん難しい課題を背負わされていると言えます。

この循環を断ち切るには、採用の段階から、健常者と同等に当事者が充分に自己をアピールできる場や制度の設定とともに、本人の資質や能力に可能な職種の選定と就労に向けた綿密な準備(関係者との主にメンタルな部分での相互理解)などを教育関係者、保護者、行政、そして企業や事業所側が一体となって、段階的に取り組んでいくことが必要なのではないか、そしてそこに本人の努力が加味されたとき、より充実した「共生」が土台となった「就労」の場が生まれてくるのではないかと考えています。

もちろん「夢屋」には、就労がさらに厳しい重度の障がい者も日々、ともに暮らしています。そんな彼らは、「働くとは一体……」という問いだけでなく、「生きるとは……」というテーマを毎日の行動を通し、皮膚感覚で突き付けてくれます。私たちがさりげなく送っている「日常」、食し、語り、排泄し、睡眠をとる、といったことがどれだけ貴く幸せで、豊かなことか。そして人間が生きるということは、ただそこにいるだけでどれほど尊厳に満ちたものなのか。

重度障がい者は、パニックや自傷行為、発作、そしてその合間の調子のいいときに見せてくれる最高の笑顔や体の動き、声などを通じて、人として生きることの原点の素晴らしさと人と人とのつながりの大切さを教えてくれます。そんな様々な思いを織り交ぜながら、メンバーやスタッフの一人一人が触発し合い成長を促していく場に、これからの「夢屋」が近づけていければ幸大です。

最後になりましたが、ホームページ作成は、「夢屋」にとってそれこそ夢のまた夢のようなものでした。このたびそんな夢のページを皆様の前にご披露できたことは喜びに堪えません。いろいろ便宜を図っていただき、低コストで高水準なページを作成していただいたNGOボランティアブラットフォームの皆様、中でも、口やかましい注文やWeb(ウェブ)に対しまったくの無知な質問にも、優しく一つ一つ丁寧に応対し、的確なご指導をいただいた久田優樹さんには心より感謝申し上げる次第です。

そして、どうぞ、このホームページをご覧いただいた方々には、忌憚ないご意見やコメントをお寄せくださることをお待ちしております。ホームページ作成の第一の目的はそこにありますし、「夢屋」が、様々な場で皆様と私どもとのささやかな<出会いの場>となることを願ってやみません。


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