「共」に「生」きる。 in 阿蘇

游人たちの歌・第二章・二、地域の人々とともに生きて 、

 

作業所となる店の大工仕事は、終日、手作業の中、行われていった。
店舗は、こんなこともあろうかと自宅を兼ね、マサミ江が夫の反対を押し切って買っておいた一階で、もとは焼き肉屋だった。できるだけ金がかからないようにプロに頼んだのは、素人にはできない鉄筋やボードの絡んだ外装、それに、そこで使う家具類だけだ。内装の取り壊しから壁づけ、塗装をすべて私とトオルとでやっていった。それらの作業は、途中、宅配便のような臨時のバイトをしながら、一年間みっちりつづけられていったのだ。
 壁はいうまでもなく、床、洗面所、とくに水を使うところはタイル剥がしがうまくゆかず手こずった。タイルそのものは、頭の平の鋭角な金具を槌でかませれば簡単にパラパラとはつれるのだが、下の網の目の針金が蔦のように食い込んで、無理に引きちぎろうとすれば指先を何度も裂いた。私はとうとうトイレと洗面所に二週間入りっぱなしで、おまけに床のコンクリもコンプレッサーで砕かなければならず、暗闇と閉所に長時間いたせいか瞳がチカチカし、ついに床に横たわってしまったこともたびたびあった。
 店をほぼ壊しおわると、今度は必要なところに柱を入れ、プラスターボードで壁をつくっていった。
 ボードは充電ドライバーでビス留めしていく。天井貼りは、トオルと持ち上げ私がネジを締めていくのだが、たまにトオルが力を抜くことがあり、そのときは畳み一畳分もあるボードが私の頭上に襲いかかった。私はそのたびに、必死で頭のてっぺんをあてがい首で押さえねばならなかった。トオルはなにがあったのかわからない様子で、キョトンとしていた。つくりかけの店の中には、いつも木くずやラッカーの匂いがたちこめていた。扉を開けたとたん、それらがムッと鼻にきて、嗅覚だけではなく体全体をつつみこんだ。今思えばそんなことも、トオルを必要以上に刺激していたのかもしれない。壁の漆喰ぬりをはじめ、腰板や胴ぶちのとりつけも全部私の仕事だった。ときにはオーディオやコンセント類の配線も見なければならず、仕上げに入ってからの作業はさらに細かく、なかなかすすまなかった。
「トオル君もずいぶんかわったね」
 家具を注文していた木工職人の吉村さんが、最後の仕事を終えるとき、おいしそうに煙草を吹かしながらしみじみ私にそう語ったことがあった。
 「最初は落ち着きがなかったけど、ほんとうにずいぶんかわった」
 私は、そのとき隣に座ってお茶を飲んでいた。私もトオルを見ながら同じことを思っていた。これまで障害者とかかわったことのない吉村さんが、一つのものをいっしょにつくりはじめ、つくり終えていく過程の中でそんなところを感じとってくれたことが私には何よりもうれしかった~。

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