「共」に「生」きる。 in 阿蘇

暑中お見舞い申し上げます。 2007・7  「夢屋」代表  ミヤより

今号はのっけから、最近感銘を受け、現在、巷でも話題の本から引用させていただきます。
「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物として実態があるように感じている。しかし、分子レベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる」(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著より)
著者は、「生命とは何か」の問いに、そのヒントとして動的平衡状態と相補性の二点をあげます。特に相補性に関しては、パズルを例に、肝心の一か所がなくても別の部分が集まってくれば必然的に、「折り紙」のように修正し補完しあう仕組について述べます。なるほど、そうか。だけど……。
私はおこがましくも自分の拙い小説のある箇所を思い浮かべずにはいられませんでした。
「モンは、納得しようとするが、なかなか自分のパズルにそのピースは埋まりそうにない。それどころかモンは完成しそうになると、わざわざ別の情報から手に入れた違うピースをはめ込み始める。一か所だけ異った模様から全体をやり直す過酷で孤独な作業の始まりだ」(『トライトーン』より)
パニックの真っただ中にいる自閉症の青年といっしょにいながら、いつも感じていたことです。
福岡さんの考えも、私には、けっきょくある「正常」な規範にのっとった世界のことで、まったく別次元のピースが紛れ込んだとき、相補性はたちまち崩れ、「混乱」が生まれるだけではないのかという疑問がつきまといます。
確かに青年はその証拠とでも言うように反「相補性」の「こだわり」が引き金で、当時週末を除いて入所していた施設二階から飛び降るという「生命」を踏み外す行為の一年後、亡くなってしまったのです。
そう言えば、たまたま最近見た名画『市民ケーン』でも、「バラのつぼみ」という死の直前に残された謎めいた言葉が、どこにも収まらぬパズルのピースとして描かれていました。豪邸の鉄柵にかけられた「立入り禁止」の看板で終わるラストは、人間の内部がけっきょく誰も立ち入れぬ複雑な系列で形成され、かつ強固な「意志」の鎧で被われていることを感じさせました。
また、ふと先日テレビを見ると、お父さんが自殺された遺児の方のお話があっていました。
父親が自ら命を絶ったことをなかなか人に言えなかったその理由に、
「弱くて、無責任な父と思われるんではないか」「家族が、本人の苦しみに気付かず、追い込んだと思われるんではないか」
涙ながらの話に私の脳裏には、またもやあの自閉症の青年の死が浮かびあがり、たちまち激しい自責の念が満ちてきたのです。
そうです。私はどこかで彼の死を、自分が追い込んでしまったため招いた結果ではないかと攻め立てるもう一人の自分がいることを知っていて、日頃はできるだけ考えないよう、遠くへ追いやっていたのでした。重度の自閉症という「障害」者に、たとえ本人や家族が望んだにしろ「地域で生きる」というあまりに重いテーマを選択させたがゆえ、24歳の若さで、まるで自死に近い形で死ぬ運命に遭わせてしまったのではないのか。
蝉の声が聞こえる頃、やがて彼が生きていれば32回目の誕生日がやってきます。木々の梢や幹から耳朶を揺する風とともに、彼の「こだわり」の表情が甦り、心がわずかに乱されずにはいられないのです。
大型の台風が九州を始め、列島を縦断した後、追い打ちをかけるように新潟を地震が襲いました。泥水に押し流され、家屋の下敷きとなり、多くの痛苦と死がまた累々と積み上げられていきます。そのほとんどが高齢者と幼い子どもたちです。著中お見舞いという言葉さえ空々しく、やりきれぬ思いの中、霧散してしまいそうです。
そんなとき、7/19に宮地小4年2組の子どもたちが「夢屋」にたくさんの花の苗をもって、花壇やプランターに植えに来てくれました。額に汗を光らせ、土づくりから水かけ、猫がこないよう柵づくりまで、一生懸命やってくれました。新しい命を新しい世代が育んでいく。それだけでなんとも言えぬ喜びに満たされる思いでした。担任の先生を始め、みなさんありがとうございました。何よりも温かい暑中お見舞いでした。
皆様のもとにも、幸福の日差しがとどきますことを祈らずにはいられません。

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