「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『缶詰屋』その九

 「人は、どこかで生きていくもんですよ」
 佐伯は、別れぎわ缶詰屋が言ったその言葉が気になった。どうにか生きていくでなく、どこかで生きていく、その意味がどうしてもよくのみこめない。
 「だれでも、死にたくないんじゃないんですか」
 少し深刻な話をしたとき缶詰屋は、軽く微笑みさえ浮かべそう言った。死にあらがい生きているということだろうか。死にあらがい生きている人の力ともいうものがいったいどの程度のものかかれにはわからない。なぜならかれは、最近、死のことばかり考えている。死が少しずつ近づいているのだろうか。むしろかれには、死にあらがうというより、死に近づくその力でかろうじて生きているようにも思える。
 あの障害をもった少年も、なぜ生きたいのか。しゃべり、伝えたい何があるというのかわからない。営業の滝川そうだ。佐伯にはわからない。ただ、今のかれには、ひとりこもった風呂の中で訊く水しぶきだけが真実味をもってとどいてくる。それだけをききながら生き、これから死んでいくように思える。
 佐伯は、しばらく腰痛で寝こんでいたことがあった。仕事のむりがたたったのかもしれない。なんの気なしにしゃがんだとき、体のまさしく中心で、背中から腰の下部ににぶい痛みを感じ、前かがみもできなくなった。これくらいと動いているとしだいしだいに痛みは増し、尻部から膝にかけさらに痛みはひどくなり痺れに変わった。あちこちから軋んだ音がした。実際に体をねじると首と肩のつけ根からごりっとした不吉な音がきこえた。健康骨あたりが擦れているようなそんな感覚だ。 
整骨院にいった。筋肉剥離と言われた。疲労が蓄積している。しばらく安静が必要だということだった。それでも佐伯は風呂にはいることだけはわすれなかった。しかも長い時間、じっくりとである。水とお湯との調整をし、クリーム色の浴槽に体ごと身を隠し、お湯が埋まっていくのを待った。水音をきくためだ。
 身障者といえば、そのときのかれはわずかながらそうだったかもしれない。歩くことも、ひとりで着がえることもままならず、たえず腰の痛みといつ崩れ落ちるかもしれぬ恐怖に脅えていた。体から苦痛は去ることはなく、ただ湿疹が消えていくよに長い目での回復を待つ身だった。だが、やはりあの水音につつまれたいと、風呂に身を落としていた。
佐伯は思う。あの少年も滝川も、こうして生きているのではないか。体のどこかで、水音をききながら生きているのではないか。 
「子どもをいれる前が、だいたいあなた長すぎるのよ」
 ふたりの子どもを入れ終わり、赤く茹だったからだで部屋にもどってきたかれを、妻はその晩もあきれたように見つめた。
それから一週間後、佐伯は会社を休んだ。じつは、かれ自身、ここずっと辞表をだすかだすまいか迷っていたのだ。
 会社に未練はない。未練といえば、かれはできるだけそのようなものを残さぬよう注意ぶかくしながら生きてきたつもりだ。先輩格の社員にも必要以上にかかわらないよう、どんなささいなすきもあたえないようかわしてきたと思う。
 かれが足を運んだところは、やはり缶詰屋だった。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment