「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『缶詰屋』その十二

 「ああ、そうですか。やめられますか」
 缶詰屋は、佐伯に一言だけそうつぶやいた。
 退職願いを出した次の日のことだ。
これから事務的手つづきが、きまった段取りですすめられ、終わっていく。無駄なくつくられた規約にそい、間段なく運ばれていくのだ。大きな天変地異でもないかぎり一か月後、佐伯は数十人の社員に見送られ退社することはまちがいない。
 その日も、佐伯は会社のかえり缶詰屋によっていた。
 缶詰屋は、すでに商売をはじめていた。店にはいくつか客がもってきたそれぞれのきまった時間までに缶詰にしておかねばならぬものがならべられている。
 「いろいろもってきますよ。やっぱり人への贈物が多いですね」
 缶詰屋は、手際よく製缶機を動かし、一個一個缶詰にしていっていく。
 「いそぐんだったら、すぐその場でしてあげるんですが、今のところお客も近所の人が多いもので、のんびりやっています」
 佐伯は、だまって缶詰づくりの仕事を見ながら、いつのまにかかれと自分とが立場がさかさまになった気になっていた。  佐伯は、書類をだしてから時間の流れがおそく感じられた。 かんたんに時間が過ぎていくものとも思ってもいなかったが、想像以上に一日一日を自分なりに整理していかなければ、またもとにもどってしまうのではないのかという不安感があった。波打ち際にうちよせられた木切れのように、波にふたたび誘われぬよう注意ぶかくしなければならない。すきはいつでもしのびより、かぶさってくる。わずかの間隙をついてこじあけようとするバールのようなものだ。退職願いの書類をだしてから、佐伯はますます神経が細かくなった。それは、かれにとって予想もしていないことだった。
 妻は、いよいよかれに愛想がついたのか、はてはなにを言っても無駄と肝をくくったのか、退職のことではなにも言わなくなった。ただ会社をやめたことは、近いうちに佐伯本人からそれぞれの両親に説明するよう求められた。
 「おれはしないよ。わざわざ理解できないことを言って、苦しめることはないんだ」
 かれは実際に、逃げて逃げぬく、あるいは避けて避けぬくつもりでいた。なぜ自分の選んで行動したことを周囲に説明し、理解をえなければならないのか。これまでかれのやってきた生き方がまさしくそれだった。くりかえしたくはない。佐伯には、自分のことを説明しなければならないその理由がわからないし、理解してほしいとも思わなかった。労力のすべてが無駄に思えた。退職願いを出してから、あわててつぎの仕事をさがすわけでもない自分にであい、もう以前のようにがむしゃらさも意欲も、またそのことに価値を見いだそうという意識もあるとは思えない。妻からすれば、じつに蟲のいい話だったにちがいない。
 佐伯には責任ということさえなにに対してもてばいいのか、考えれば考えるほど疑わしいものだった。
 妻は、ことだててそれらのことを拒否しようともしなかったが、積極的に受け入れようともしなかった。それどころかときには、退職について最初自分では理解できなかったが、少しずつ整理もできつつあることを言った。整理とはいったい何なのか。佐伯自身、もうすこしくわしく知りたかったが、あまりしつこくきいて話がこじれるのも気がひけできなかった。
 具体的なことは順繰りされ、どちらも話題としていつのまにか口にしなくなった。毎日の生活は比較的静かにくりかえされ、退職までの月日はすぎていった。

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