「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十

 彼は、緘黙の息子が倉庫を見たときの行動が気になっていた。
 タケダの日記には、膚を擦り寄せ、今にも吸い込まれていくような、そんな気配があったという。彼自身、倉庫に確かに奇妙な力を感じないわけではなかったが、むしろそんなことより、倉庫の役目の方を知りたかった。島の浮上する役目としての倉庫、がらくたの集まり、記録を決意した男とその緘黙の息子、そして失踪した不具の妻、島の住民、男……。
 彼は自分が地質の専門家であることを、もう少しで忘れかけようとしていた。もっと、この島を海洋や地体の構造、または大きな規模の変動でみたらどうだったのだろうか。そんな疑問が湧いてきた。そうすれば、きっとこんなことはよくあることで、実に早急かつ簡単に解決できていたことだったのではなかったのか。彼自身、わざわざこんな島にまでやってくることはなく、今頃は、他の仕事仲間と同じように別口の調査を何食わぬ顔でやっているそんな自分の普段の顔が浮かんできそうだった。彼は、早く倉庫のことなど終えてしまい、この島を出たくなった。そして実際にそのようになることを信じ始めていた。
 一度宿に戻った彼は、後数ページを残したノートをリョックに詰め身仕度を整えると外へ出た。その時、畑仕事があるからという男を、強引に彼は引っ張ろうとはしなかった。むしろその道筋として、彼一人で向かう方が良策だと思った。倉庫を見てみたいという好奇心より、あまり生活に不必要なものには触れずにおきたいという気持ちの方が男には勝ったに過ぎないのだ。彼は、その選択をより自然なことと考えた。
 倉庫までの道程は、昨日とくらべると随分、短くなったように彼には感じられた。がらくたは昨日彼が見たときと同じように道と道とを任意に隔てる目印のように至る所に転がっていた。
 海岸へ出ると、三つの倉庫がそこには、あった。巨大で、しかも堅固そうな、日の光を浴びながらもその光を直接跳ね返すことはなく、壁面にそのまま残照としてとどめ内に行けば行くほど力強い震動を繰り返してるような物体にそれは思えた。彼は、倉庫の周りをもう一度、歩いてみた。高さもかなりあるだけに、彼目がけその期待を裏切り、たちどころに崩れ落ちてきそうな気もした。彼は、今あらためてその周囲を歩いてみて、昨日歩いたときとさほど変わっていない印象を建物全体から受けとった。
 彼は、時々立ちどまっては、倉庫を触ってみた。タケダのノートに書いてあったように、日々変化していくような軟らかく生き物のように蠢く感触こそないが、やはり何でつくられているか不明であるところからくる不安定なものを堅固さとは裏腹に彼に差し出してきているようだった。彼がそれを最初に滑らかさと取っても不思議ではなかった。つまり、倉庫は、よく計算され建造されていた。彼は、二つ目の倉庫へ差しかかったとき、その場に踞み込みがらくたをゆっくりと横へとどけた。がらくたの下にはまた、がらくたがあり、自分自身専門の地質の分野に早くたどりつきたい衝動で、次々とがらくたをのけていった。がらくたのくわしい組成よりも、その下にある地表なら地表そのものに興味があった。彼は、自分の動作を一瞬だったが信じたように思った。だが、そこには、取っていっても取っていっても、同じようながらくたしかないのだった。彼は、このがらくたが、地下から次々とつくられ地表へと上昇してきていることに、今、ようやく気がついた。道があるというよりも、がらくたそのものが偶然境目をつくりだし、そこに、たまたま人が歩けるほどの道ができているという状態も、これで頷けた。その意味で、もはやこの島には道はないのだった。別の言い方をすれば、どこを歩いても、そこは道を意味した。彼は、そう考えた瞬間、早速がらくたの中を突っ切っていった。二つ目の倉庫は、そうやって歩いて行った方が遥かに近い。
 巨大な倉庫の撥ね返す光がやや弱まったようにそのとき彼には思えた。

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