「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十ニ

 ○月○日木曜
 昨日、一日帰らなかった息子を私は捜しにいった。これまで帰らないにしても、せいぜい日が暮れるまでには姿を見せていた息子が、初めて一日どこかへ消えてしまった。私は、知らぬうちに安堵感を覚えていた。これでしばらくは、息子から解放される。いろんな煩わしいことや紛らわしい感情に振り回されなくて済む。そんな気持ちだった。また、もしかして息子はこのまま永久に姿をみせないのではないのかという危惧ともつかぬ揺れる感情も持ったのも事実だ。私が息子を捜しにいく? 緘黙の息子が答えてくれるかどうか、それだけが心配だった。私に見当がつく場所が一つだけあった。海岸の水飛沫がとどくかとどかないかのその場所で、島民の言う白蝶に囲まれ悠然と立っている三つの倉庫。その倉庫を見たときの息子の様子が私には何よりも手掛かりだった。
 倉庫の周りを歩いていて、一つ目のときだった。妻の声がしたのは。
 「あなた、やっぱり、来たんですね」
 その声を聞いても、私の心は思いの他落ち着き動揺を示さなかった。
 「この島のことが、よくわかりましたね」
 私は声になったかどうかわからないが胸の中で呟くような声で、息子が妻の失踪後まったく言葉を言わなくなったことと、あるとき不意に漏らした言葉、それがこの島の名前であったことを説明した。
 「わたしの右手はもう思うようには利きません」
 「わかってるよ」
 私は、その声に対しできるだけ相手を刺激しないよう気をつけ言った。
 「君は、この島で生まれたんだろう」
 私も声に訊ねた。
 「ええ、そうです」
 一つ目の倉庫を初めて見たときの息子の様子が、それで頷けるような気がしたし、やはりそうだったのかという納得してしまう奇妙な気持ちだった。
 「なぜ、君はこの倉庫に」
 声の返事がしなくなった。私は、聞いてはいけないことを聞いてしまったのでは、という一瞬後悔にも似た念を持ったが、すぐに気を取り直し「いつ帰るんだい」声はやはり、返事をしなかった。
 「トオルがいないんだ。今、捜しにきたところさ」
 声はもう、遥か遠くへ行ってしまったかのように空気を揺るがす震動のようなものさえすっかり消え、なくなっていた。
 私は、二つ目の倉庫へと進んだがそこには誰もいなく、三つ目の倉庫にすすんだ。息子がいた。トオル、トオル、私は息子の名前を叫んだ。今まで家にいるときも、また、この島に渡ってきてからもそんなに子どもの名前を呼んだことのない自分がどうしてと、我ながら自分のやっていることに疑問を持つほどだったが、妻と同じように息子もまた、幻影のように遠くへ消えいってしまいそうな気が心の奥底でしていたため、思い切った行動がとれたのだと思う。息子は、キョトンとした目をこちらに向け、私のいる方へ歩いてきた。私は、息子の手を引きその温かさを確かめる間もなくさらに強く引き寄せると、そのまま連れて帰ろうとした。息子は、時々手を引かれながらも振り返り、倉庫の方をじっと見ていた。

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