「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十五

 彼が、宿に着いたとき、既に時間は昼を過ぎていた。
主人は、彼よりもはるかに大柄で、思いの他、色白の男だった。
白い肌から血管が透き通るというほどではないのだが、それに近い皮膚の薄さを感じさせた。躰のわりに肉は柔らかそうで、中に大きな空洞をポカンと持ち合わせているのではないかと思わせるほど腹部は大きかった。
その空洞は、心の寂寞というようなものではなく、まさしくただの肉と骨とに囲まれた空洞だった。その空洞が周りの内臓をゆるやかに押し潰しながら、それでも潰れまいとする筋肉の収縮と跳ね返す弾力とで、この主人のやや肥大した下半身に見合った上躰は支えられているという気がした。
彼は、宿につくと主人に言った。
 「今、南の海岸の倉庫に行ってきたんだが」
 主人は、頂度、宿の調理場、と言ってもほとんどどこの家でも見掛けることのできる台所を少し大きくした程度のところから姿を現し、すぐには答えなかった。
 彼は、その後ケンゾウの名前を言い、主人に訊ねた。
そのとき男がいなくなったことはまだ伏せておいた。
 「その男だったら知ってるよ」
 主人は、話題が島の男のことになると我然態度を一変し、さも自分が土地の人間のように例の中太りの顔をゆっくり回転させ彼の方へ向けた。
 「そいつは、母親と二人で住んでいる」
 主人はあっけらかんとした様子だった。
 彼は、もう一つ主人にタケダの妻のことを訊いた。
 最近、この島出身で右手が不自由になり戻ってきた女性を知らないか……。だが、主人は、それには簡単に首を振り、まったく見覚えがないと答えた。
 「ところで、この島の年寄りは、どうしたのかな」
 あまりいい聞き方ではなかったが、この際はっきりさせた方が自分も助かると思い直し、次にそのことを彼が聞いた。
 「三年前来たときより、少なくなったように思うんだが」
 それにつづく言葉が咽喉の奥から声をつかみ出し、その声を強引に手なずけほぐしてから差し出すような言い方になってしまった。
 主人は、それにも「さあ、死んだって噂も聞かないし、大方家の中に引っ込んでるんだろう」頓着なかった。
 彼は、それもそうだと考え、一旦そこから引き下がろうとした。ケンゾウの家に今すぐ行ってみたいと考えたからだ。それは、主人の言葉が確かに的を得た適確な内容であったにせよ、彼自身の、どうも合致しないあやふやな製図の隙間を埋め合わせ納得させるまでの説得力がそこにはなかったことも意味していた。
主人に、大体の男の家までの道を教えてもらい、彼は簡単な食事を済ませてから出発した。
 その家は、そこから意外にも近い場所にあった。
 ケンゾウの母親とやらに会えるだろうか。
 息子が倉庫に消えてしまったことを知れば、さぞ悲しむだろうな。彼は、そんな殊勝げなことを考えながら、内実別に他人の家庭のことなど気にもしない自分の性格を知り尽くしていたため、妙に胸に巣くったざわめきだけが気になりその正体が何なのか、今こそ考えるべきときが来たように感じていた。ケンゾウの家は、近いからといって、ただ平板の上を歩いていくというわけにはいかなかった。がらくたを抜け、少し奥まった感のある入江のような切面の土手を越えた、島の中ではやや高所の見晴らしの良い丘の中腹ではと思えるところにあった。
 がらくたの数は、彼の気のせいかわからないが意外に少ないように思えた。

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