「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十六

 

家は大きな柱を四つほど使い、その上に一本一本梁を組ませ屋根を敷いていた。母親らしい女が豆をブリコで叩き、殻をしきりに剥いでいた。ブリコは唸る音を立て、脇の下から耳元を掠め、きれいなひょうたん型を描きながら茣蓙を敷いた豆の上へ着地し、できたばかりの蛹のような殻を豆と一緒に弾ていた。時々、老女の深い溜息か、躰から洩れる暗く硬い疲労の名残りが、深く周りの空気とたゆとい、彼にも伝わってきた。 彼が近づくと、母親は作業を止めた。
 「あの、息子さんのことできたんですけど」
 「はあ…」
 母親は、耳が遠いらしかった。
 「あ・な・た・の・む・す・こ・さ・ん・で・す・よ。自・衛・団・に・は・い・って・お・ら・れ・る」
 「はあ、はあ」
 母親は、一語一語を区切り、耳元で聴かされるとやっとわかったらしく、彼を家の中へ招いた。彼は、せっかくの申し出を断る理由もないと思い、それに従った。家の中は、主人が教えてくれたように二人暮らしの生活がそのまま染み込んでいるように、調度類もなく、がらんとしていた。ただ、縁側から外を覗くと、確かにそこが島の丘の中腹に位置するらしく、さっきの宿も、今、彼が来たばかりのがらくたの道もきれいに見渡せるのだった。そして、もう一つ驚くべきことがあった。海岸にキラリキラリと、あたかも空を飛ぶ飛行機の尾翼のように光るものがあったのだ。
 『倉庫だ』
 彼は、すぐに思った。
 そうか、ここから倉庫が見ることができたのか。だから、ケンゾウは無関心を装いながらも密かに気になっていたのに違いない。彼は、ケンゾウが最初にこの島で出会い、タケダの家へ案内してくれたことも、火事場でまた顔を合わせ、その後自分の意志で倉庫にやってき、消えてしまったこともこれで結びつくような気がした。たとえその僅か一部でもここから倉庫を毎日見ていた彼は、南の海岸に行かないにしてもそれ自身、何とはなく障りのようなものとなって意識に残っていたのではなかったか。つまり、倉庫は今のところ、倉庫に近づくもの、それに何らかの形で関心を向け、働きかけようとしているものを順次のみ込んでいっていることになる。しかも島の住民か、そこで生れ育った者、または、その家族をだ。彼は、自分が倉庫にのみ込まれてしまわないのは、自分が単なる短期の旅行者に過ぎないからだ、と考えた。
 老人たちはどうだろうか。
 やはり、それは彼の考え過ぎのようだった。現に今、ケンゾウの母親はかなりの年配だが、こうしてちゃんと家にいるではないか。彼は、小さく体を折り畳んで座っている老女を見ながら、そんなことを考えていた。
 「ケンゾウが、どうかしましたか」母親が彼に言った。
 「いえ、それが……」
 彼も躊躇した。ここまできて、自分を叱咤したい気持ちだった。彼は、研究所から僅かに二日離れたに過ぎないのに、既に自分がここへやってきた本来の目的からずれる格好で島の住民とかかわろうとしている自分に気づいた。
 「ここから見える、あの倉庫なんですけどね。あれを私と一緒に調べていたら、息子さんが消えてしまったんです」
 「え?」
 声は驚きに満ちていた。ところがすぐに、「そうですか……」低く咽喉元を苦しげに過ぎる調子に変わった。
 「息子さんは、倉庫のことは知ってたんでしょう」
 「さあ」
 今度は、母親は答えなかった。明らかに息子が消えてしまったことを知ってからは、態度が一転して変わってきているようだった。彼は、ひとまずそこは下り、宿にもう一泊することにした。
 まだ、日が沈むには時間があった。彼は、荷物を置くともう一度火事場へ行ってみた。昨晩は、人の目も気になり詳しく調べることができなかったが、今なら徹底して焼け落ちた小屋の下をほじくり返してでも何かを見つけることができる気がした。火事場の周辺には、誰もいなかった。彼は、遠慮することなく、黒く墨になった木切れをどけていった。ところが、驚いたことに既にその下にはがらくたが頭を出してきているのだった。この小屋が焼けてから、がらくたが出てきたのか、それとも小屋が立ってから、いやもっと以前から既に地下からのがらくたの侵入が始まっていたのか。それは、彼にも今すぐにはわからなかった。しかし、一つ、二つ燃え滓を拾ってみるとどうも小屋の骨組みをつくっているものとは思えぬ奇妙な素材のものが見つかったのだった。 がらくただ。彼は、もう一度そのことを確かめるつもりで掌に拾うと、指先でそれを撫ぜてみた。昨日、初めて触ったときと変わらぬ感触が黒く焦げてはいるものの、その中の方からは伝わってきた。間違いない、……と言うことは、既にがらくたにはこの小屋が焼ける前からかなりの範囲でこの周辺といわず、小屋自体も蔽っていたのに違いない。そのことに気づいたタケダは、小屋もろとも燃やしてしまおうと考えたのでは……。彼は、そこまで推理し、また火事場の特に棚が在ったと思われる近辺を捜し始めた。一時間ほど捜しただろうか。ついに彼の願いが適ったのだろうか、ノートらしきものの燃え滓が出てきた。それは、ほんの一枚で周りの表紙やページに守られ、やっとそこだけが奇跡的に燃え残ったといっていい、そんな代物だった。
 そこには、つぎの一文だけが、ようやく読み取ることができた。
 『だれかがくる。そしたら教えろ。がらくたは死だ』

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