「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『ふしぎの国の運動会』・その三

           へんな人たちのへんな会話
 学校からそう遠くない場所にすむツトムも、その音に耳をかたむけていた一人だ。毎年ゴザ当番をまかせられているツトムは、なんとなくそわそわしていた。バクチクは、ツトムの耳にもとどいたが、どこか期待していたものとはちがい、迫力にかけ、地味なものだった。昨日までふりしきっていた台風のひきおこす雨や風の方が、よほどツトムの胸をわくわくさせるものがある。 
 「ツトム、また場所とりお願いね」 
 「わかってるよ。いつもやってんだから」
 マサミは、台所でツトムの大好物なエビフライをあげていた。ジュージューとあぶらのはじける音といっしょに、こおばしいかおりがぺこぺこのおなかをくすぐる。
 「まだうすぐらいから、車には気をつけてね」
 運動会でいいのは、朝ごはんにおべんとうのおかずが出てくることくらいだ。そのことが楽しみなツトムは、食べたい気持ちをぐっとこらえ、シートを自転車のかごに入れ、学校へ向かった。
 ペダルをこぎながら、ツトムは去年のことを思いだしていた。少しねぼうしていったばかりに、かなりはなれた花だんのところしか空いていなかった。できるだけ早く学校へいこうと気はあせるのだが、台風が過ぎ去ったばかりで空缶がころがっていたり、泥や石ころが道路まで流れた跡がある。おまけに曇り空で目の前がぼんやりし、カーブのところではせっかくでたスピードをおとし、ゆっくりすすんだ。
 ツトムが学校についたころには、グラウンドの外には、さまざまな色とがらのシートが、たて向きや横向きに、なんまいもしいてあった。
 「あれっ」
 ツトムは自分の目をうたがった。
 折れたセンダンの木がもとどおりになっている。少しこぶりになった感じはするが、充分な風格をもち、朝もやのグラウンドを見下ろしている。折れた幹は四方をツトムの胴体ぐらいの丸太が支え、囲いで近づけないようになっている。つなぎめにはグルグルと縄が巻かれ、きっとその内側は、鉄のボルトや太い針金や、ありとあらゆる工夫がされているにちがいない。ケンタは感心したように根もとから枝の先まで見上げた。
 場所とりも、去年より早かったかいあって、徒競走の直線ぞいの見やすいところが残っていた。ツトムはそこへシートをひろげ、重しの石を置いた。 
 「もう先生たちは、きてるんだよな」 
 職員室の方を見るととうぜん、明かりがついていて、人のけはいがあった。 
 「へんな人がいるぞ」 
 なにか、今、赤いシャツにマントをつけた学校で見かけない人影が、まどぎわに映ったように思えた。ツトムは、ちょっとだけ中をのぞいてみたくなった。
 念のため、校庭がわでなく、中庭へうつった。まどわくに手をかけ、わずかにからだを持ち上げ勇気をだして見てみた。
 黒い眼帯をつけたキャプテンクックが、急須にお湯を入れていた。クマがその横で湯のみをならべている。バスガイドにチョンマゲをつけたサムライ、それにマント姿のスーパーマンもいた。そんなへんなかっこうの人たちが、中央テーブルにあつまっていた。 
 予想もしていない光景に、ツトムは息をのんだ。
 「しかし、センダンの木も、ぶじなおせてよっかったですな。あれだけの大きな木も、富岡さんたちにはなんていうことはないんですから。でもプログラムは若干、天気のことも考え、早くすすめる必要があるでしょう。五島先生、職員会議のときまでに案を考えておいてくださいよ」
 チョンマゲが椅子に座り、細かい注文をつけている。刀をぬき、切り先を見ていた。
 「それはそうと先生、昨日、予行練習までしていたにしてはバクチクの勢いが今ひとつでしたが‥‥‥」
 チョンマゲは、さっきから立ち上がってポーズをとっているスーパーマンへ疑ぐりぶかい目をちらりと向けた。口調は、軽っぽくからかうふうだ。
 「校長先生、バクチクは、風向きも時間もすべてが最高の条件がととのっておりました。ただちょっと、このマントがじゃましまして‥‥」 
 スーパーマンは、マントのできぐあいをたしかめでもするように、なんどもえりもとをひっぱった。 
 「じゃあ、やっぱりそのかっこうで行ったんですか」
 チョンマゲは、カツラが少しずれた顔で、あきれたようにつぶやいた。 
 「上がるほんの一瞬、ちょっとマントがひっかかって斜めに飛びまして‥‥」
 スーパーマンは、悪びれたところも見せない。
 キャプテンクックが、重箱をもってきた。 
 「どうぞ。これ母が先生がたに食べてもらえって、昨夜からいっしょうけんめいつくったんですよ」
 「ほーお、おはぎですね。林先生は採用されてはじめての運動会ですから、さぞご両親もおよろこびでしょう。それに放送担当で、美声が生かせるし」
 バスガイドは、両手で大きな胸のふくらみをおさえながら、首をのばし、箱の中をのぞきこんだ。
 「はい、かならずビデオにとってやるから、みっともないまねだけはするなって、うるさいんですよ」
 クック船長はそこで、はずかしそうに眼帯をはずした。二重の大きな瞳があらわれた。 「それじゃあ、みなさん、せっかくですからえんりょなくいただきましょうか」 
 どうやらバスガイドは、甘いものに目がなさそうだ。 
 「でもやっぱり、食べる前にこれははずさないと、さっきから息苦しくて」
 胸もとに手をいれ、ふくらみにつまったものをひっぱりだした。大きな二個の風船が、はずむように出てきた。 
 「あははは。教頭先生のその姿を見たら、子どもたちもさぞびっくりするでしょうな」 「PTAの父親たちが興奮するんじゃないですか。奥さんよりグラマーだって」  
 スーパーマンはそう言うが早いか、チョンマゲの横で、いよいよジャンプまではじめた。 ツトムが不思議に思ったのは、クマだ。クマのぬいぐるみだけが、さっきからだまったままだ。
 「しかし、五島先生、この仮装リレーだけはなんとかなりませんか」
 胸がはだけ、すっきりしたバスガイドはそう言うと、一人だけおはぎをほおばりスーパーマンをうらめしげに見た。
 「開校百年の記念ですから。PTAも、どんな出しものをするか、楽しみにしてますし。まあ、毎年やっている組体操とかとはちがうと思うんですが。でも‥‥」
 スーパーマンは、そこで少し間をおき、
 「組体操も、一度だけやるかやらないかで、たいへんだった年があるっては聞いてますが‥‥」
 「ああ、あの年のことか」
 チョンマゲが、あまり自分とは関係ないといったふうに椅子にすわりこみ眉をしかめた。 クマがかぶりものをとったのは、そのときだ。中にいたのは、担任の田口先生だ。
 「あれは、わたしがこの学校にきて一年目のことだったからよくおぼえています。今からちょうど七年前、障害児が一人いたんですよ。そうでしたよね。教頭先生」 
 田口先生はふりむくと、バスガイドを名指しした。 
 「教頭先生が、その子の受け持ちをなさったときのことでしたよね」 
 「えっ、教頭先生が‥‥ですか」
 スーパーマンが、信じられないというようにマントをひるがえした。 
 「へっ、ええまあ‥‥、担任といっても私はあくまでも障害児学級の方で、子どもはできるだけ原学級にかえしていましたが‥‥」 
 バスガイドがはっきりしないので、田口先生がかわりに話しはじめた。 
 「たしか、教頭先生は、あれが最後の担任で、その後、別の学校へ転任され、そこで教頭になられたんでしたよね」 
 出世の話となると、もじもじは消え、今度はバスガイドも背筋をピンと伸ばした。 
 「二つ学校を移動し、教頭としてまたここへもどってきたのです」 
 「まあ、とにかくあの年は、いろいろもめたと私も聞いております」  
 チョンマゲが助け船をだすように割って入り、目をしかめ、厳しい表情をした。 
 「障害児が参加できないってことで、恒例の組体操をやめてちがうものにするかどうかで、ずいぶんこじれたんです」 
 田口先生は、後にひかないかまえだ。
 「どんな障害だったんですか」 
 スーパーマンが、マントをひっぱりあげ聞いた。
 「自閉的傾向が強いんです。集中力がたもてなくて、練習していてもふっと力をぬいてしまうんですよ。それに、いろいろこだわりもつよいですし」
 田口先生は真剣だった。
 「ええ、そうですよ。それでわたしは、この種目だけは毎年、保護者も楽しみにしていて変更できないので、その子には見学させてけっこうですって、原学級の先生にお願いしたんです。しかし、その先生が、本人とクラスの子がどうしてもいっしょにやりたいといっているから、参加できる簡単な種目にかえるとまげませんで、それでもめたんです」 
 バスガイドが、開き直ったように声を大きくした。
 「うわあ、組体操がなけりゃ、運動会らしさがぜんぜんないじゃありませんか」
 スーパーマンはおどろいたふうに、おおぎょうにさけんだ。
 「そうでしょうか」
 田口先生は、スーパーマンとは対照的に残念そうにほんのちょっと声を小さくした。
 「それで、どうなったんです?」
 スーパーマンは身をのりだし、目をギョロつかせ、聞くことをやめなかった。
 「富岡一家の登場ですよ。お兄さんの一郎さんが会長のときで、それに今、体育委員長をしている古賀さんの長男も同じ学年にいたもんで、みんなで一致団結しましてね、いつもの形を貫いたんです」
 しばらく口をつぐんでいた田口先生が、少し気負いぎみに、言葉に力をこめた。
 「そのとき原学級の担任をしていた教師が今、私のクラスにいる竹本健太の父親です」
 そんな田口先生に負けまいとバスガイドが血相をかえ、何かを返そうとしたとき、チョンマゲがふきげんそうに立ち上がり、それをさえぎるようにえへんとせきばらいした。  「とにかく、クジとはいえ、職員の中からこの記念すべき仮装リレーにえらばれたことは名誉なことなのですから、しっかり目立ってくださいよ。よろしくお願いします」
 校長先生がしゃべったしゅんかん、部屋は水をうったようにしーんとなった。それからくるりと立ち上がり、校長室へ消えていった。教頭先生もおはぎをいそいでもう一個口にいれ、風船をもったまま、あとを追うように職員室を後にした。残った先生たちはしばらくすると、ホッとしたように椅子にすわり、食べたり飲んだりのつづきとなった。
 そんな光景を見ながら、ツトムもふとわれにかえった。
 急がないとマサミが心配している。ケンタのお父さんのことが出たのには驚いたが、今は、そんなことはどうでもいいことだ。ツトムは、自転車をこぎ、猛スピードで帰った。
 校長室では、チョンマゲとバスガイドがソファーにもたれて話し合っていた。
 机の上の花瓶には、豪華な生け花が飾られている。
 「校長先生も、さぞお困りになったでしょう。あの竹本先生には。今日、久保田良とパンを売りたいから、許可してほしいなんて」
 「まあ、我が校の卒業生ですし、いい加減にもできませんしな。あなたの提案どおりチラシを配るぐらいならいいとは言っておきました。販売は、ほかの業者のこともあるし、あくまで学校の外でやってくれということで」
 「ありがとうございます。わたしも、一応、元受け持った身としては、そうしていただけるとたすかります」
 「でも、教頭先生、あなた竹本先生には何かと頭があがりませんなあ」
 「へっ?」
 バスガイドは、とぼけたように首をかしげ、その場をどうつくろっていいかわからないふうに風船をぎゅっとつかんだり、スカートのすそをひっぱったりした。
 そのころ、ケンタの家でも、バクチクが鳴ってから、ケンタ自身なんとなくそわそわしながら居間にいた。父親のアキオがやってくる時刻が近づいている。ケンタがアキオと会うのは、一と月ぶりだ。
 「お父さん、あなたをむかえにきてから、いっしょに学校へ行くそうよ。だから待っててね」 
 母親のミドリがどうしても仕事の都合がつかず、アキオと行くことになったのだ。ミドリは、運動会への持ち物をまとめだした。ケンタは、トイレにいったり、テレビをつけては、リモコンであちこちチャンネルをかえたりして、落ち着かない。 
 やがて車のエンジン音がし、ケンタは反射的にテレビのスイッチを切った。車のタイヤが砂利のしいてある地面とこすれ、ブレーキのきしむ音が、じかにつたわってくる。
 ケンタが玄関へ出ると、そこに見たことのないかわった箱型のバンがとまっていた。
 「よう、ケンタ、元気か」
 前の扉のほかに出口はなく、車体の中央に大きな窓があり、『おいしいパン、やきたてのパン』とかいてあった。 
 「リョウ、出ておいで」
 助手席から、いがぐり頭の少しでっぷりした子がおりてきた。
 ケンタより年がひとまわり上だろうか、ブツブツ小さな声でなにやらつぶやいている。 伏し目がちにうたぐりぶかそうな目で外を見て、ふんぎりをつけるようにうなずきながらおりてきた。腕を力まかせに動かし、扉がバタンと勢いよく閉まった。 
 「ここ、タケモっちゃんち?」
 「そう、紹介するよ。タケモっちゃんの息子のケンタ」
 ケンタはあっけにとられ、おどおどした。その子は、ケンタの顔をじろじろ見ている。 「この子は、お父さんが前にうけもっていた久保田良くんって言うんだ」
 リョウは、そのとき初めて目を細め、右手の甲で鼻をかむように、グスンと笑った。
 「運動会のプログラム、見せて」
 それから白い歯をニッとのぞかせ、ケンタにいきなり、左手をさしだしてきた。 
 「ああ、リョウは、そのことがずっと気になってたもんな。ケンタ、たのむよ」 
 アキオは、まだ家に上がろうとしない。
 「うん、わかったけど‥‥プログラムは家にあるんだ」
 ケンタは、ミドリのことが気になり玄関の方を見た。
 「じゃあ、リョウ、中へちょっとだけ入ろうか」
 そのことを察したかのように、アキオもリョウを誘った。
 リョウは、なんの合図か、右手で拳をつくり、それを左の掌にたたきつけた。それからうれしそうに甲高い声を上げ、ステップを踏み、数歩踊るように歩いた。 
 「組たいそうあるかなあ‥‥」
 いきなり方向をかえ、アキオに近づくと、相手の顔をのぞきこんだ。
 「さあな、おれにもわからないよ」
 アキオは、肩をだき、ふたたびリョウをうながした。 
 「組たいそう、あるかどうかしんぱいだなあ‥‥」
 「そうだね。まあ、あってもだいじょうぶだよ」
 アキオは、ケンタにも別に気にするなというように微笑んだ。

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