「共」に「生」きる。 in 阿蘇

メンバーの一人一人が、作業や日常生活をともに送りながら、ただ、その日「おつかれさま」で終わるんじゃなく、自分の思いをつづりにして、書いたり、語ったり、読みあったりしてつながることを大事にしています。

○まずは、日ごろの様子から。
現在、夢屋には、精神、知的、身体、三種の障害者5名~7名が通ってきています。
交通手段も徒歩、自転車、電車と様々で、朝、顔がそろえば冗談が飛び交う家庭的な雰囲気が特徴の作業所です。
パン販売は注文制で、長いお客で開所以来、十二年もの間、買いつづけていただいている方もいますし、多くは五年六年と定着した方たちで、一の宮町を中心に利用者自らが配達し、お金をいただく形をとっています。
また、パン製造以外につづけてきているのが、昼食づくりです。
味噌汁に野菜炒め、カレーなど、作業工程にどこかで参加できるメニューを主に、経験をつむごとに自分たちだけでもつくれるようになってきました。
もちろん、配膳、片付けも分担しながらやっています。つまりどこの家庭でも営まれているであろう作業を地道に繰り返すことが彼らの療育にもつながるという理念のもと、行ってきたと言えるでしょう。
○総合的学習との出会い。
総合的学習が始まって以来、学校現場からの見学、出前授業、発表の依頼が急激に増えてきました。
主な授業内容として
『パンはなぜふくらむの~グルテンを食べてみよう~』
『絵本をつくってみよう』
『手話って楽しい』
『キリタンポで、パンを炭火で焼いてたべよう』など

109_0950.jpg 中通小、パンこねi.jpg sumibiyaki.jpg 109_0945炭火食べる.jpg
<2006.3/1 焼きたてのキリタンポパンを食べる中通小の子どもたち>
主旨にもよりますが、基本的には、できるだけ全員参加をベースに、授業内容や発表形式を組み立ててきています。それは、夢屋の場合、障害者、健常者の両者いずれかが欠けても成立しない生活の場であり、双方の共生の場として設立、運営してきた結果ですし、その「空気」をできるだけ子どもたちに伝えたい(感じてほしい)という考えからです。
自己紹介や夢屋との出会いのエピソードを自らの言葉で語る重さは何ものにも代えがたいものがありますし、最近では「手話学習」の授業等で、進行役をメンバーに任せることも試みてきました。
○自分たちの「日常」を見つめる。
三年前から、十年近くいっしょにやってきたスタッフが一人ぬけ、残された現場スタッフである代表兼指導員の宮本の仕事量が倍増しました。
裏方であり運営を司る根幹である経理面もやるようになりましたし、クリームづくりやあんこねりなど、以前は二人で分担し朝からやっていたことを人的不足を補うため、パン製造をしない日につくり冷凍しておく形に切り替えました。
さらにイーストや砂糖の細かな分量の仕込みと材料の仕入れ、昼食のための食材の調達、パンに関しては発酵状態を見極めたり、高熱のオーブンへの出し入れなど、彼がつきっきりにならざるをえない場面は多く、メンバー個々に「自立心」が育ってきたとはいえ、ついつい目がとどかないことも増えてきました。
もちろん、個々が努力し、少しずつやれる範囲の仕事を覚えていっていることは、大事なことですが、何せ健常者の方は一人でフル回転していますので、ついぐったりとなり、食後の三十分の休憩時間は、彼が奥で休むということもよくある情景になってきました。
(これはこれで、彼に聞くところによれば、耳には、むしろいるとき以上の盛り上がった会話や笑い声が聞こえてき、「鬼のいぬ間の何とかか」と一人ほくそえんだりもしているそうですが)(笑)
そんな中、配達も終え、三時も過ぎ、帰宅していく一人一人の表情に何か曇りのようなものを彼が感じていた折り、それぞれの思わず吐き出す不満の声(のようなもの)を、直接に、また外部の支援者などを通じて耳にするようになってきたのです。
「最後まで話を聞いてくれない」「メンバーの声が聞き取りにくく、よく気持ちがわからない」「体調不良で、頭痛やめまいがする」など。
水漏れのようにぎくしゃくしたヒビ割れがメンバーの間に起こっているのではないか。彼らの内面だけでなく、かかわっているスタッフ自身も、まず自分たちの今置かれている状況を見据えながら、しっかりと自分と向き合う時間をつくらないといけない。
そう感じ始めた矢先、夢屋としてまずはとりかかりの方法として浮かんできたのが、代表が教員時代に実践していた「つづり」だったのです。
○「書く」ことに抵抗のなかったメンバーたち
「夢屋」では、毎年、季刊号として『夢屋だより』を発行しています。
巻頭に代表の言葉を書き、後は編集責任者のナコさんがあれこれ工夫を凝らし、取材したりしていますが、ときには代表と彼女とで三つほど記事を書かなければならないときもあり、紙面を埋めるのにはけっこう苦労していました。
そこで思い切った転換で、メンバーそれぞれに、日記のような形でもいいから、文章を書いてもらい、一ページごと任せてみてはと、既に二年ほど前からその形式に替え、そのとき、彼らの見せた「書く」ことへの意欲に歯ごたえを感じていたのです。
もちろん、年に数回しかしないことを、今度はほぼ毎日やるわけで反応がどうでるか心配でしたが、三行ほどの短いものでもいいだろうと、仕事を終え、書いてもらったところ、スタッフの不安は杞憂に終わりました。
あるメンバーは下書きまでしての慎重ぶりと没頭ぶりを見せました。車で行かねばならない遠方の配達からスタッフが帰ると、留守番をしている数人が、黙々とテーブルに向き合っている。そんな情景が当たり前となりました。
つづられたものには、スタッフが知らない彼らの生活の一部があり、メンバー相互とのかかわりがあり、自分自身をときに見つめるものがありました。つづりを読みあった後は、司会を順番で決め、もっと知りたいことなど、質問コーナーを設けています。
スタッフも率直に、最近の自分たちの体調のことや、それを理由にどこかで皆とのかかわりを怠っていたのではないかという自責の思いなどを書き、また、自立支援法が始まったことで、今後の夢屋が不安で、これからはより一層みんなの協力を得ながら、ぜひ力になってほしいことを告げたりしました。
すると、あるメンバーは「ようやく、自分たちを頼ってくれた」と笑顔で答えてくれました。
 けっきょく、「つづる」ことは、彼らにとってただ「書く」ことではなく、数少ない『自分を表現する手段』なのだと、夢屋ではとらえています。
日常の中で、生きた軌跡をとどめる『表現』の場や機会が少ない彼らにとって、明確に相手に自分の経験や思いを伝える方法の一つ、それが「つづり」であることを実感しています。
○ここまで読んでいただいて、たいへんありがとうございました。
自分の見たこと、体験したことを、できるだけありのままに書くには、自分というものをひいきめに見たり、また反対に卑下したり、屈折して眺めていては書けない行為です。
事実を事実として正直に書くためには、既に「書く自分」が、その「事実を体験した自分」以上の深い背景に立っていなければなりません。もちろん、聞き手側との関係も同時進行的に修復を迫られることになります。
なぜつづるのかという自問に答える形で、高知県で実践を積み重ねてこられている坂田次男さんは、その意味を次のように述べておられます。
「つづることは、くらしをひらくことであり、からだを解き放つことであり、ことばを解き放つことであり、つなぐことであり、誇りを確かめることであり、感覚を磨くことであり、想像することであり、学ぶことであり、思想を想像することであり、『人間』を追求することである」(「子どもたちの人間宣言」(明治図書)
障害者にもこのことは、通用するのでしょうか。
夢屋としては、すべての人間に、その個々に応じた「つづる」という行為に匹敵するものがあるとまで断言するには至っていませんし、自信もありません。
だた、ある程度の段階までこの行為を探り、文字通り、何らかの形で「つづる」ことで、自分をひらき、自己と他者との関係をひらき、ひいては社会をひらいていくことが可能ではないのか。
少なくとも、つづりを始めてから、確かに変わってきている夢屋のメンバーの個々の関係と、深まってきている自己への眼差しへの手ごたえが、夢屋のスタッフをこの取り組みとつなげ、支えてくれているように思います。
このブログで公開された「メンバーの日記」が、読んでいただいた方たちとの心のどこかで共鳴し合い、これからもどんな形でもいいからつながっていただければ、夢屋としてこれほど喜びにたえないものはありません。

1件のコメント

  1. 教員

    教員教員(きょういん)とは、学校・幼稚園で児童・生徒・学生に対して教育を行なう職業に就いている人である。

    教員には、校長、教頭、教諭、助教諭がある。大学などの場合は教授と呼ばれる。教諭のことを特に教師とも言うが、教師本人はあまり自称しない。生徒からは「先生」と呼ばれることが多い。

    公立学校は、教…

    コメント by 職業情報局 — 2006年8月24日 @ 12:02 PM

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