「共」に「生」きる。 in 阿蘇

気まぐれ秋の風さん、コメントありがとうございます。

ミヤさん、夢屋のみなさん、初めまして。
秋の風の寄り道、ちょっとここらで一休み。
16年ぶりという事は、ちょうど今のチーさん位のお年ですよね…?
…偶然チーさんも、先日私達と一緒にここを見学されてるんです。
あんな硬そうな建物に弾痕が今もハッキリわかる様子を目にされて「私の祖母ちゃんも、こんなのが体に当たるかもしれない…怖い体験をしてたんですね…逃げてる時に、足をかすめたという昔話をしてくれました。」と涙でいっぱいの目で見つめながら話してくれた時の顔が今だに忘れられません。
本当に、その場にいるようなリアルなお話だったのでしょう…。
それから、数日後にそのお祖母さんが亡くなられて…本当に、今は心から「長い間、お疲れさまでした…ゆっくり休んで下さい」とご冥福お祈りしてる次第です。
後、風景の写真にも何となく覚えがあります。何故なら、チーさんも同じ場所を眺めていて「ミヤさんがカメラに収めたくなるような景色だなぁ…」と気持ち良さげに言っていたからです。
だから私は、この写真が載せられて正直「本当に、よくわかるな…」と驚いてます。(笑)
それでは、また…気が向いたら寄らせて頂きます。 みなさんのご健闘をお祈り致してます。 ~気まぐれ秋の風より~


たしかに、わたしが30歳のときでした。何とも不思議ですね。

田原坂には、5,6回はいっていると思いますが(とくに小、中学生のときは必ず行く見学コースでしたから。昔は、卓球台が置いてあったりして、クラスの子たちと勝ち抜き戦をやったものです)、大人になってからは素通りするばかりでした。
でもこの年齢でいってみるとしみじみと古戦場の跡が胸にしみ、何とも切ない気持になってくるのはなぜでしょうか。
少しばかり亡くなる人たちの側に近づいてきているのかもしれませんね。年若い兵士たちが、頭に鉢巻をしめ、たすき掛けで切りあったり、至近距離で玉をうけたり、そんな惨い情景を想像するだけでなんとも言えない気持ちになってきます。もちろん、当時の人たちはお互いに「正義」の御旗を立て、誇りに満ちたものだったのかもしれませんが・・・その中にもおそらくさまざまな人間模様が、とついそちらに思いが馳せてしまうのです。
同じ「夢屋」のいメンバーと、そして「きまぐれ秋の風」さんたちと歴史のある一場面の「風景」を共有できたことはうれしいかぎりです。

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