「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『塔』・その1

            塔
 人が倒れていた。何人も多くが、埃をかぶったような服を着て、それは一針一針縫い目はしっかりしているのだが、よく見るとその一本一本に擦り合ったような解きが見られる。しかし、全体のステッチとしてはまだしっかりと布地を支えている。そんな一人一人、というよりも、一体一体は、全身を細長くして色褪せ土気だった靴を前へ放り投げ、躰を壁にあずけている。その目は、どれも同じように遠くを見ているように思え、それがやがて心なし俯いてしまうと実は、はっきりしたところを見ているのではなくて、ただ、瞳を開いているに過ぎないということがわかってくる。そうやってじっとしていることだけが、今できる心の休まる唯一の方法であると信じているかのようにである。 「その塔にいっちゃいけないよ」母はいつも、私に言った。「だって、あの人たちは……」「だめなんだよ。あそこだけは」少しでも言い返そうとする私の言葉足らずなその先を見透かすように、母は、尚早口に言う。「あそこだけは、近づくことさえできないんだよ」「どうして」「どうしてって、だめなもんはだめなんだよ」
 私は、地方の小さな、そのまた小さな新聞を発行している会社で記者をしている。まあ、隣の家で三毛が生まれましたよ、とまではいかないながらもそれに類する記事を書いてきていることだけは確かだ。ごく身近なものからいけば、交通事故の件数であるとか、催し物の期日であるとか、いらなくなった中古品の売ります、買います、譲りますのコーナーであるとか、最近始めたものとしては、新聞をとおした花嫁、花婿募集というのまでやっている。もちろん、経済部、社会部もありそちらの紙面もあるにはあるのだが、概ね、中心は前記のものに偏っている。購読者の多くは、うちのとは別に大きな会社のものを取っており、いわば私たちが送り出すこの新聞は、限られた地方でのみ通用する情報誌のような、セカンド・ペーパーの役目を持っているのだ。
 そんな私が、最近よく見る夢が、この塔の夢なのだった。
 夢には、三つのはっきりと分けられる場面があった。
 一つは、右斜め上空から、小高い山を過ぎその先端から少しずつ全体が視界に入ってくる場面である。塔は、古いゴシック調のつくりをしているようにも見え、大きな柱とそれを外から縁取った刻み模様は、入り組みながら重層な感じを抱かせた。私は、空から迫りながらいつもその塔へ、不気味に遠近を失った空間を音もなく彷徨い、漂うようにして、まるで羽がもぎ取られあとは今まで飛んでいた加速を頼りにするしかないような蜉蝣にでもなったように静かに近づいていくのだ。
 次の場面は、突然人々の顔になる。疲れた顔がいくつも並んでいて、私はゴム草履を履いている。いつもの、快活な少年期を思い出す、あの地面を蹴って弾みながら進む歩き方はしておらず、そのときだけはぺたぺたという音をできるだけ立てないよう気を配り、摺り足で人々の休息の邪魔にならぬよう注意しながら見て回っている。どうやらそんなことが咎められないでいるところを見ると私は十歳前後の子どもであるらしい。そして、そこにいてはいけないと言うどこからともなく訊こえてくる母の声とともに、塔を駆け足で降りていく私の後ろ姿が、塔を「く」の字型に折れ曲がり上下に結んでいる階段と途中途中にあるほんの僅かの踊り場との小さな隙間の交錯する中へと重なっていく。
 最後は、母に制せられた後、塔の前方に聳える山に登り、やはりそこからまた懲りもせず塔を見つめている私の姿である。塔がよほど気に入っているのか、それともその中で倒れている人たちと、その横たえた躯とに理由もなく手放せない愛着のような意識を持つのか、それはわからない。さすがに、母の声はそこまでは届いてこないと見え、それを良いことに、私は夕暮れまで、その塔から目を離さず半ば恍惚とした気分で見とれているのだ。
 夢はそのまま、記憶の底に沈み込むようにして重く流れ込み、溶けるように感覚の襞の細部を埋め尽くし、しだいに間隙がなくなると毛穴が詰まったように息苦しく私自身を蔽いながら息たえだえといった状態になり、最後には暗闇へ吸い込まれ薄い膜だけが辺りを被面し取り残されたようにして終わってしまう。そして、私は目を覚まし、母の言葉を、渇ききった口元で反芻しているのだ。まるで、夢の残滓を記号にでも変えてしまえるとずっと前から思い込んでいたかのように。
 そんなあるときのことだった。私に次のような取材が舞い込んできた。
 うちの新聞の購読者の住んでいる範囲をセスナ機で飛んで、この地方では比較的活発な果実栽培の様子を見て一年間の特集を組んでほしいというのだ。果実、とくにその時期時期に、春は苺の路地栽培であるとか、夏は甘夏、秋は梨、冬は蜜柑といった具合に、どのような線を地形に刻み込みながら果実が成長しているのか、地上から見たのではなく、上空からその輪郭だけを取材してほしいというのである。これにはここではかなり知名度の高い地元出身の代議士からの申出があり、そうとう大きな資金が出ているというのだった。どうやら、その代議士は自分が生まれ育ち、また人口は少ないとは言えやはり大きな政治基盤であるに違いないこの町を、果実の町として全国的に売り出したいつもりらしい。
 私も一度はこの町を空からじっくり見てみたいと思い、二つ返事でこの取材を引き受けることにした。
 そして、あの夢の中で出会った塔のことも、この取材がなければすっかり忘れられ、消え去ってしまっているところだったのだ。今思えば、『もしかすると』そんな馬鹿げた錯綜と奇妙な現実と夢との転倒した思いのようなものが無意識のうちに私の頭のどこかに巣くっていたとも言えなくもない。

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