「共」に「生」きる。 in 阿蘇

2007・5月号のおたよりからです。

2007年度もよろしくお願いします。
2007・5/1  夢屋プラネットワークス代表 宮本 誠一
今年4月、夢屋もおかげさまで13年目を迎えることになりました。これも、ひとえに市民の皆様のご理解と行政関係の方々のご協力の賜物と感謝しております。この場をかり、厚くお礼申し上げます。
昨年は、自立支援法施行をうけ運営母体をNPOにし、10月から「地域活動支援センター」として市より委託を受けました。現在、登録者(利用者)は10名になり、パン製造と販売を基本に、月曜から金曜まで就労支援事業と相談事業を行っているところです。また、三年ほど前より大津養護学校や小国養護学校からの現場実習が定着し、継続してきましたが、その流れとして卒業後も受け入れていくパターンも出てきました。まだまだ態勢が不十分で、満足のいく形はつくられていませんが、今後さらにシステムを充実させていくことが急務だと考えております。
年月の経過は、認知度も広がりますが、知らず知らず日々の活動がマンネリ化していくのも事実です。パンのメニューしかり、日常活動の細かな点もそうです。これまで培ってきたすばらしいものを継承しつつ、常に地域やお客様、そして利用者の声に耳を傾けながら、新しい風を送る努力を怠ってはならないと、自戒しているところであります。
ところで昨年、心を痛めた出来事として大阪、八尾市の歩道橋からの男児投げ落とし事件がありました。事件の背景について、ここで詳述するのは避けますが、少なくともそれまで幼児を連れまわす性癖があることを理由に受け入れる場所がなかった被告人を、唯一、市からの紹介を拒否せず、熱心にケアをしていたのが、当時通っていた授産施設だったようです。被害をうけた子どもさんの命が助かったことが何よりも救いですが、こういったケースの場合、どこまでの覚悟と準備で対応していくか、同じく作業所を運営する立場として、考えさせられました。自立支援法は、精神、身体、知的障害者の壁を取り払う目的で、法やサービス体系を一元化しました。それは、障害の種類によって格差があってはならないという理念の実現の一歩であり、同時に施設や作業所側は、利用者の多様化に対応していける力をどうつけていくかが問われることとなります。国の福祉政策のせいと言い切ってしまうのは簡単ですが、現実に、今目の前にいる人を「受け入れる」か「受け入れないか」という切羽つまった問題は常に起こり得ます。今こそ、同じ問題を共有しあう作業所同士の新たなネットワークづくりの中で、それぞれが課題を出し合い、修正したり構築したりする努力が必要なときかもしれません。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に有名な次の言葉があります。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしづつですから」
汽車に乗り合わせたジョバンニが、これからどう生きればいいか、何がほんとうの幸せかで悩んでいるとき、灯台守が答える場面です。賢治が問いつづけたテーマがここにあります。混沌としていようが、安定していようが、どんな時代でも、「ただしい道」を自分で見定め生きるよりほかありません。人間の中にある動かしがたい「計り」のようなもの……。けっきょく人は、自分には嘘のつけない生き物、ということなのかもしれません。
「夢屋」はこの12年間で多くの賛同者や利用者を得、何が「ただしい道」か悩んだとき、周囲の方たちからその指針のヒントをいただくことでやってこれました。まさに地域と歩いてきた作業所です。これから13、14……20年と、躓きそうになったとき、「初心」を忘れることなく、スタッフ、利用者ともども手を取り合いながらやっていこうと考えております。どうか、阿蘇市の皆様、そして行政関係者の皆様、今後とも「夢屋」をよろしくお願いいたします。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment