「共」に「生」きる。 in 阿蘇

映画『ユリイカ』(青山真治監督)を見て

2001年に公開された3時間37分の作品です。

過去の苦しみ(トラウマ)から抜け出せない人たちの再生をかけたドラマと言えばそうですが、しかしそれは単なるモチーフにすぎない気がします。根底には、人が生きるということ、その根拠となるものは何か? つまりもっと言えば、人の「生」には、尊重されるに値する「何か」特別なものがあるのか。「なぜ殺してはいけないのか」と同等に、「なぜ生きねばならないのか」という永遠のテーマを重ね合わせ、「再生」の根っこにあるグロテスクかつエゴイスティックな「人間」の姿を浮き彫りにします。

福岡県のある地方都市でバスジャック事件が起こり、生き残った運転手の沢井と、中学生の直樹と小学生の梢の兄妹は心に深い傷を負います。それから2年後、行方をくらましていた沢井は、実家に戻るもすぐに居づらくなり家庭が崩壊しふたりきりで暮らす兄妹のところへ転がり込みます。彼らの従兄の秋彦(彼も、ヤクザがらみの殺人事件の被害者で心的外傷者です)も加わり、奇妙なバランスのもと共同生活が始まるのです。ところが時を同じくして、町では連続通り魔殺人事件が発生し、疑いの目を向けられた沢井は一大決心し、小さなバスを手に入れ、直樹たちと人生をやり直す旅に出るのですが、行く先々で再び殺人事件が起こり……。

印象に残るのは、沢井が正式に妻と離婚するため、再会する場面です。妻はおニャンコクラブの国生さゆりが演じているのですが、それがなかなかいいのです。沢井への思いを断ち切れず、それでも気丈に笑顔で励ます複雑な心情を細やかに、そして美しく演じています。

その帰り、彼は弱い酒を暴飲し、酔いつぶれ兄妹たちの家へ帰り咽び泣きます。彼の髪を撫ぜじっと寄り添ってくれる、妹(若き篤姫、宮崎あおい)の姿が恭しくそして切ないです。しかし、そのシーンの瞬間、なるほどこの映画のテーマが「生き方」や「自分」探しといった場所からさらに深い部分にあることに気づかされます。そうです。そもそも人は、自分を「変える」(「超える」でもいいかもしれません)ことができるのか。

それは「再生」の可能性と、そもそもそのような設定が人間存在に可能なのかという本質問題ともつながっています。究極を言えば「自死」も含め、どうして自らが自らの生命をコントロールし、しかるべきとき消滅させてはいけないのか(実際は、抹消は自由ですが)。それらを外部の関係性のもと自らを破壊することは「大事な何か(他者)を壊すことになる」というテーゼを織り交ぜ、「生きる」ことが個々人で成立しているわけではない近接性の重要さと、それを実感としてつかむことの困難性とその先に垣間見える曙光を痛切に描き出しているのです。

(おまけ…ロケが、西鉄バス、西鉄電鉄、福岡、熊本、阿蘇となじみの深い光景が多く、とくに重要な場面で、阿蘇神社の駐車場まで出てきては、ついつい3時間超、見ないわけにはいきませんでした・笑)

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