「共」に「生」きる。 in 阿蘇

山本譲司著『獄窓記』(新潮文庫)を読んで。

大晦日から年明けの間、つまり2010年から2011年にかけ最初に読んだのがこの本です。

『累犯障害者』を読み、どうしてもこれも読まなければという気持ちでしたが、ちょうど腰を痛め寝正月になってしまったこともあり、ページを捲る機会を得ました。

どちらかと言えば『累犯障害者』が、服役後の障がい者の犯罪を追跡するレポート的性格が濃く、ルポタージュ風なのに対し、こちらは、山本氏自身が政治家の道を歩み、その後秘書給与詐取事件を起こすまでの過程、そして控訴取り下げから服役生活を選択するまでの葛藤など、当時所属していた政党内の生々しい動きや家庭生活のやりとりを交え、かなり克明に描かれているため、ある意味「文学的」な匂いさえ醸しだすものになっています。

氏自身が「塀の中の掃き溜め」と称する黒羽刑務所の寮内工場、そこでは福祉施設さながらの、重度から軽度までの身体、精神、知的様々の障がい者たちが、同じ服役者である指導補助者の手を借り、工場の作業をこなし、また重度者にいたっては日常生活の些事から食事、排泄まで支援を受け、本来の服役が目的とする教育訓練とは程遠い、時をただただ這いずるような、自立性とは無縁な最低限の生命維持に近いような実態があったのです。氏はそこにまさに日本の福祉が直面する現実を「刑務所」という場の中で凝縮させた姿を見たのでした。

さて、いつもながら私は、大筋が見えてくるとそこからズレて別の視点で読む癖があって、今回も、この刑務所内での人間形成というか人と人のつながり(これは服役者だけでなく職員も含みます)のメカニズムの基点とは何なのか、ということがずっと気になっていました。果たして自分が服役したら、どんな立ち居振る舞いをするだろうか。そして同じ環境におかれ同じ労働をする中で、やはり山本氏と同様、徐々に芽生える他の服役者との共感性を享受していくのだろうかと。

そんなとき、社会学者の宮台真司氏が、近代的エートス(この場合エートスとは「簡単には変えがたい行為態度」ととるらしいです)の話をネットでしていて、日本人の場合、その基盤(背景)になるものが「血縁」「宗教」「階級的連帯」「憲法」などでなく、トゥギャザーネス(集合性)からくる『一体感』であり、柳田國男の考えを引き合いに「集約的な集団作業をいっしょにやること」だと述べ、物的、具体的トゥギャザーネスがいかに日本人に重要な「近接性」を齎すかということを力説しており、う~~んそうかもな、とこの刑務所の中での集団意識を重ねながら妙に得心した次第です。

刑務所内の労働や作業もそうですが、これまで自分が通過してきた私生活、集団生活を振り返ってみて、たとえば私の実家は私が中学三年まで乾海苔の養殖をやっていましたが、試験期間であろうがなかろうが、そのピーク期は夕方から10時、11時くらいまで手伝うのは当たり前、今頃何の支障もなくぬくぬくと試験勉強しているであろう同級生らのことを思い、ああまた成績が落ちるなと、日ごろ考えもせぬことをそんなときだけは恨みがましく反芻し、腹の底でこんな仕事早く辞めてくれと何度叫んだかわかりません。しかし今思えば、仕事の最中は夫婦喧嘩も兄弟喧嘩もまた家族の諍いもひとまず封印し、とにかく黙々とやり遂げねばならず、もしかすると今現在、16年もの間「夢屋」でパンをつくりつづけてきたねばりというか、何か基盤のようなものも、そして同じ作業をする者たちとの間で共有する仲間意識に対し、どこか蔑(ないがしろ)にできない感覚も、そういった中で培われてこなかったと言えなくもないわけです。

また宗教学者の中沢新一氏も「仕事力」というのを最近よく話しておられるようですし、「仕事と暮らしが日本人の芸術」「日本人は労働を苦役と思わぬDNAを持っている」など某フォーラムで発言されているようです。

そのようなことを考え合わせれば山本氏が『獄窓記』後、『続獄窓記』『累犯障害者』と書き続け、様々な場で明治から100年もの間続いてきた「監獄法」をはじめとする旧態然とした日本の刑務所内の問題性を告発し、それが2005年の「受刑者処遇法」成立へとつながったのも、氏が刑務所内での労働を通じたトゥギャザーネスによって育った同じ受刑者に対する一体感と彼らの人権を無視した不正義を見過ごしてはおけぬという、やはり集団(これはひところ流行った「代替社会=オルターナティブ・ソサイアティ」ではなく、もっと本質的なもののように思えますが)への帰属意識ゆえの行為なのかと、またまた考えた次第なのです。

さあ、2011年のパンづくりも、この「労働」観を参考に意味あるものと考え、夢屋の仲間たちと地道ににやっていくぞ!! 新年早々、殊勝に思う今日ですが、この新鮮な気持ちが一年間果たして保てるのか、怠け者の私は、お屠蘇気分を追い出そうと必死に足掻き、祈るばかりなのです。(笑)

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