一年ほど前、たまたま営業の一番目にこの工場へたちよったときだ。工場は、町の誘致した大手のコンピューター会社や半導体をつくる工場の隣接したとおりの一番おくで東がわを表にシャッターをかまえ、風のつよい日は換気をよくするためうらと筒抜けにしておくため、ふきさらしになる。
その日佐伯は、朝一番で、テニスコートや社員用のクラブハウスがある巨大な敷地の工場を横目に仕事場へむかった。社長は外にでて不在だった。
半導体工場の社員は、車でくるものばかりなので、その日の朝も渋滞だった。
出勤時の車のなかには、さまざまな表情があった。
オートマチック車のブレーキペダルを押し押し、肘を窓わくにのせ、カーステレオからながれる曲に退屈そうにリズムをとったり、電気カミソリで髭をそるもの、神妙な顔で祈りでもするようにうつむき、また天を仰ぎだすもの。ただじっと前の車のストップランプだけを見つめるもの……、そこには朝のおそらくは数十分か一時間ほどまえまでいた家庭や生活をどこかにつなぎとめ、また無意識にふりほどこうとしている。どことなく血の気のないあさい顔だ。
佐伯には、たまたまでかけたその道で、朝のラッシュ時によく見かける情景を目の当たりに、なぜ自分が、それらの車に乗った人間とおなじく営業には極めて率の高い大手の工場でなく、これと言って買ってくれるとも思えない車椅子工場へむかうのか、不思議に思うのだった。
大手の工場へのやっかみとか、羨ましさではない。彼自身、そこで毎日のようにくりひろげられるであろう人間関係や、労働の単純なつまらなさはじゅうぶん想像できたし、組織にしばられることの代償に多少の安定した身分の保証や金銭がもらえることも知っている。そのことが車を買ってくれる顧客としての確実性へつながることが、とくべつ大きな魅力となるほど若くもなかった。かれにもこれまで、選択がなかったと言えばいえなくもない。選択のないやむをえぬものに抗ってきたと言えばいえるが、やはり判断の基準は、そのなかにもあった。
たとえば、佐伯にうかんでくるのは、高校を一度やめたときだ。そこには避けるてとおることのできぬものがあり、自身、大きな選択をしてきてもいる。もともと勉強が好きではなかった佐伯にとり、学習についていくことは苦痛だったし、日々くりかえされる教科書をひらく作業は、ただの無意味な機械的動作にすぎなかった。バイクのふたりのりで停学になり、二週間ぶりに学校にいったときまっていた脅迫まがいのいじめも原因の一つだ。「殺すぞ」そんな言葉がだれかれともなく耳にとどいた。すっかり気持ちは高校から遠のき、担任が一度だけ様子を見にきたときかれの覚悟はきまっていた。
高校をやめ、いくつかの仕事を転々とした。スナックでも働いた。酒をつくり、自分と同じくらいのわかい男が別の客の女に水割りをふるまうとき、愛想をつくり、あちらのお客様からです、と告げるとその客は、女にかるく会釈し満足げな顔をした。そんなとき、もしかすると生きるとはこんなことのくりかえしではないかと、佐伯は思った。
自分という存在は、まったくそのふたりのあいだには感情として介在していない。なのにまちがいなくかれの運んだ一杯の水割りが、ひとりの男と女のまなざしのやりとりをつなげ、きっかけを生みだしている。その事実に苦痛はなく、時間だけが過ぎていくのだ。自分という存在のまわりにながれるものは、おそらくこれからも、大なり小なりこうしたやりとりのくりかえしではないか。ほかに仕事もなくこうして仕事についていても、そのなかにはやはりかれなりの選びとったわけは存在する。そのなかで、いま、ある行為を要求されおこなうことに選択はない。客のもとめに応じうごくしかないのだ。仕事を拒否し、やめるかやめないかという余地以外は。働くということは、じつに個人にたいし矛盾を強要するものなのだ。なのにかれは、なぜか笑顔までつくりサービスをおこなっている。これが選択でなくて何なのか。佐伯自身、空気のようにいたいがそれは不可能なのだ。
選択といえば、生きること、それだけで選択だった。