「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『缶詰屋』その十三

 やがて一か月後、退職辞令の交付式が、予定どおり会社の一番広い研修室で行われた。 
 十五名の退職者がいた。一枚のプリントがそこにはおいてあり、それぞれの勤続年数と最後にいた部署が書かれてあった。佐伯の年齢で辞める人間は他にいなく、かれはその中でも一番わかかった。席も、一番後ろだった。それぞれに辞令をもらいにいくとき名前が読み上げられ、そこに書かれてある一文が、きわめて機械的に述べら、労いの言葉がそえられた。佐伯の場合、願いによって退職とするとか、そんな文面だった。適当に頭を下げ、その場を去り、自分の席にもどった。花束をもらうときも、ほとんどその場のことはどうでもいい心境だった。ああ、これでようやく力がぬける、その開放感が先立っていた。すきを見せまいと緊張しつづけたのひと月の箍が一挙にゆるむ感じだった。
 気恥ずかしさはあとでやってきた。同じ営業で働いていた者たちが企画してくれた昼食会のとき、日頃、それほど口べたと思っていないかれが挨拶も、うまく神経を集中できず、大雑把なものになってしまった。会社にはほとんど気持ちがなく、すでに距離が離れてしまっていたことを今更のように実感した。つなげていたものは、ただすきを見せまいとしていた自分自身へのこだわりに過ぎなかった。佐伯は少しでも早く会社やその匂いのする人間たちから遠くへ去りたかった。かれは、ただ一刻でも早く缶詰屋のところへ行きたかった。
 送る側の者たちは、気をきかしているのがありありと見えるほど、佐伯が会社を辞める理由や、辞めた後どんな仕事をするつもりなのか申し合わせたようにたずねなかった。もちろん佐伯も、この後の仕事など決めておらず、はっきりと答えることはできない。だが、よくよくかんがえてみるとそんなことは、そもそも最初からわかっているとも思えるほど周囲の者は滞りなかった。退職の理由であれこれ悩んでいたのは、佐伯だけで、そもそも世間一般にとっては、勤めようが辞めようがそれに確たる理由など必要ないのではないか。送別会は、あれこれ打ち騒ぎながらもたんたんとすすめられた。
 佐伯の頭の中にあるのはやはり缶詰屋のことだった。缶詰屋が、今どんな顔でどんな仕事をしているのかが気になった。ホテルのラウンジばりの豪華さの目立つ社員の社交用につくられた大広間から、あの製缶機の置かれた部屋が思い浮かんだ。今ひとりいる缶詰屋が佐伯にはむしょうに気になるのだ。かれはようやく、缶詰屋に会いにいこうと思えばいつでも会いにゆける時間をとりもどした気がした。
 「退職されたら、記念になにか缶詰にしてあげますよ」
 佐伯は、数日前、かえるとき缶詰屋にそういわれ、なにを缶詰にしたいかずっと考えていたのだ。いや、今になりようやくそのことに神経をかたむけることができるようになったのかもしれない。これまでうつらうつらと仮眠の中で考えていたようなもので、ようやくはっきりと意識して思えるようになったとも言えた。だが、それがはっきりしてくればくるほど、佐伯はいったい自分がなにを缶詰にしてほしいかわからなくなってきたのも事実だった。
 缶詰にしてほしいものがあるのかないのか、それさえはっきりしない。あれこれ浮かんでくるのを、ひとつ、またひとつくわしく想像しけっきょく打ち消しながら、それでもこれだといえるものがなかった。
 佐伯は宴もたけなわで、いよいよ最後のしめに向かう中、男女入り交じった声を遠くできき、なにを缶詰にしたいのか、今自分が缶詰にしたいものがなんなのかと、必死に思い浮かべようとした。そうすればするほど、缶詰屋の言った好意が思いのほかむずかしい宿題であったことに驚いた。
 「なんとかなるもんですよ」
 缶詰屋がそんな自分を見ながら、どこかで笑ったような気がして、佐伯もいっしょに微笑んだ。(了)

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