2025『夢屋だより』梅雨号144号からの文章です。
●梅雨本番を前に「夢屋」からご挨拶させて頂きます。
2025.5/17 作業所「夢屋」代表 宮本誠一
満開の桜に見守られ入学し早くも2か月、新入生を始め進級した児童生徒さんも新しい環境に慣れ始めた頃ではないでしょうか。また反対にGW後、登校の足取りがやや重くなっているお子さんもいらっしゃるかもしれません。そんな中、悲惨な事件が起きました。5月1日午後、大阪市で下校中の小学生7人に車が突っ込んだものです。「全てが嫌になった」と言う大人の自暴自棄な犯行に言葉を失いました。毎朝児童さんと見守りを通じて接しているからこそ、その恐怖や状況の一つ一つに想像が巡り、激しい怒りと同時に胸苦しさを抑えることができませんでした。見守りをしながら私たちはただ一緒に歩くだけでなく、会話などから身内のような親しさと元気も頂戴しています。微力ですが改めて『見守り隊』の必要性を強く感じた次第です。
また、4月14、16日は熊本地震から9年目を迎え、県内では様々な形での慰霊行事があったようです。夢屋でも市役所のサイレンに合せ、メンバー、スタッフ全員で黙祷を捧げました。当時の様子をメンバーや保護者から聞き取り、被災から一月後に発行した『夢屋だより(臨時号)』もHPに再掲載し、私自身、再読することであの日を振り返っています。まずは忘れない事。それが尊い御霊に報い、記憶を風化させない意味でも大切なことと思っている次第です。
それでは4月から6月までの行事(予定も含む)を報告させて頂きます、
4/1 夢屋の活動が開所から31年目に入る(登下校時の『見守り隊』は4年目)
4/25食品衛生協会の検査無事終了。(HACCPガイドラインに沿った管理記録表も作成)
5/1日本現代詩人会「詩投稿」で宮本の『無明海』入選、『雪解けの前に』佳作(応募数660編)
5/10熊日新聞社の関本記者からの依頼でメンバーの下村津代さんと盲導犬の取材同行。
5/14阿蘇市人権・同和教育推進協議会総会にメンバー、スタッフで出席。
5/15熊本パイロットクラブ様からの寄付金贈呈 5/20熊本YMCA福祉会理事会に宮本出席
5/31北九州の就労継続支援B型事業所様一行が森の家『野菜ty』をご利用。
6/4 ASO・MILK・FACTORY(はな阿蘇美)の〝春のばらまつり〟をメンバーらで見学。
6/10農園やビニルハウスでトマトやナスビ、オクラ、ピーマンを収穫。
「こどもの日」を前に総務省の発表によれば、外国人を含む15歳未満の子どもの数が昨年より35万人少ない1366万人で44年続けて減少とのこと。3歳ごとの年齢層別では12歳~14歳が314万人に対し、0~2歳は222万人で、厚生労働省研究機関の推計によれば日本の総人口は2070年にはおよそ8700万人にまで減少するとされています。少子化対策ももちろん大切ですが、むしろ今後の確実な人口減少を前提に、小さな規模でも一人一人が最低限度の生活が保障された国づくりへ抜本的に転換していくことが求められているのではないでしょうか。そのためにもまずは食料の自給率を上げることが重要だと思われます。農林水産業の復興により、地域の就労人口を増やし、都市部への一極集中を是正していくことは安全保障にもつながります。阿蘇の農家や畜産の方々の必死な姿を見るにつけ、将来に希望の持てる方向であってほしいと切に願う次第です。夢屋周辺も田植えも無事終わり、晩春から梅雨入り前後は苗代寒(なわしろがん)の季節です。朝夕、肌寒くなりますがくれぐれも皆様、お体、お気をつけください。
●5月14日阿蘇市人権・同和教育推進協議会総会にメンバーと代表で出席してきました。
これまで副代表の竹原が長きの人権担当の教員体験を生かし一人で出席していたのですが、今回はメンバー3人も連れて行き、皆、真剣な眼差しで資料を開き傾聴していました。理解できるできないを問う方もいらっしゃるかもしれませんが、なによりも総会の雰囲気を味わうことは貴重な経験として蓄えられ、本人たちの今後の人生に役立ってくれると思います。夢屋に帰ってから感想を聞くと皆、満面の笑顔で、行ってよかったと答えてくれていました。
さて今年度の事業計画で気になった点がありました。恒例の夏季休業中の学校教職員の課題別研修会が5回から3回に減ったことです。20年以上講師招聘を受け、つい数日前にも今年度のご依頼の電話を受けたばかりでしたので、なぜ回数が減ったのか理由を知りたく質問させていただきました。お答えとして、コロナの収束とともに休止されていた他の研修が再開され、時間の制約が生じ出したこと。それにより出席者の分散が目立ちだし、3回のうち1回は部落差別問題をテーマとしたものを残すことで参加者の集約化をはかり、より充実した内容にしていきたいとのことでした。教職員の皆様がご多忙であることは重々承知しておりますが、なんとか、この3回だけは長く継続していただきたいと教育委員会と事務所へは願うばかりです。
●5月15日にHIGOパイロットクラブ様からチャリティーゴルフ大会で集められた寄付金の贈呈式を夢屋で行いました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます!
パイロットインターナショナルはアメリカ・ジョージア州メイコンに本部を置く国際的な民間ボランティア団体で、1921年40名の働く女性たちによって設立されました。“パイロット”とは、荒く危険な水路で、船を安全に導く川船の船頭を「パイロット」と評した事に由来し、指導者、案内人の意味を持ち、「世界平和の水先案内人になろう」「常に人生の舵を誤らず、ゴールに向かって突き進む」といった意味を持ち、“友情と奉仕”そして“いつも真実の道を”モットーに、「脳関連障がい」の支援活動に焦点を当てそれぞれの地域に密着した地道な活動を続けておられます。また、これらの活動を通じリーダーシップを養い、職場や地域社会において育んだ力を発揮して、パイロットが係わる全ての物事を高めていくことに大きな目標を定められています。日本での活動は、1951年(昭和26年)来日したメリー・カーターの呼びかけで、第二次世界大戦後の女性リーダー達が中心となって東京パイロットクラブが設立されました。
初代会長には神近市子氏(衆議院議員)を迎え、市川房江氏、ジャパンタイムスの白石つぎ氏、児童心理学者の波多野勤子氏、作家の平林たい子氏、評論家の村岡花子氏、津田塾大学学長の藤田たき氏らが集まり、物資の不足する時代に福祉を中心に活躍されてこられました。
現在では、日本全国に会員とクラブのアンカー会員がパイロットインターナショナルの奉仕の焦点に合わせ、それぞれの地域に求められ、密着した奉仕活動を展開されています。
HIGOパイロットクラブは2022年にスタートしました。現在、男性7名、女性6名の会員がおられます。このたび贈呈式後、夢屋からはささやかではありますが、パンのお土産とメンバーによる歌のご披露をさせていただきました。多くの皆様方からの善意の御寄附、大切に使わせていただきます。本当にありがとうございました。
●「短期間で二度も入院 !!(~_~;) 」 中島 地利世(チトセ)
毎年、ゆっくり花見を楽しむこともなく、あっという間に春は終わり梅雨の時期に入ろうとしています。今年は特に雨風が多く、咲くのは遅く散るのは早かった気がします。
また母の入院のことで恐縮です。
3月に入った頃ぐらいから毎晩、 高熱が続くようになり、何度か診察を受けるもこれといった原因が発見されず、不安な日々が続き…私まで体調 崩したり…母娘 心身ともに参っていた時、珍しく宮本さんと私だけのパン配達日があって、毎週、パンを買って下さっている児玉先生から「お母さんに…」と素敵な花束を戴きました。思ってもいなかった贈り物に妹が「お気遣いがありがたいね」と大喜びで、部屋も一気に明るい雰囲気に♪本当に気持ちが救われました。おかげさまで、その日の夜は母も熱が上がらず、無事過ごせました。でも残念ながら翌日の昼すぎには、また40度近くまであがり、午後の受付時間ギリギリ間に合い診察を受けたら、増えた再受診にさすがに担当医も「暫くうちで様子をみてみましょう」と、3月27日から再入院する事になってしまいました。そんな時でも、母は戴いていた児玉先生の花を気にしていたので、一応、病室に飾っていいか確認し、快く許してもらい同室の方に自慢していました(笑)
入院初日には抗生剤を点滴してもらい、安定しなかった熱も何とか37℃台まで下がりましたが、ハッキリとした原因は不明のまま4月10日に退院になりました。その数日後、4月14日には、予約していた尿管ステント交換も無事終わり、他の症状で特に異常なく、熱も久しぶりに36℃台…高くても37℃がつづき、暫く安定していたのですが、4月27日の昼すぎぐらいからまた少しずつ上がってきて、38℃台が続くようになりました。夕方に病院に時間を確認して解熱剤を使ってみましたが、何も変わらず、その日の夜 急に血圧が上70、下50まで低下して、呼びかけてもグッタリ意識がなく、ついに救急車を呼ぶこととなりました。
深夜0時近かったので家の近所ではサイレンを鳴らさずに入って来てもらいました。病院に到着すると、まずは降ろす前にコロナに感染検査を車内でしてもらい、もしや感染してたらと心配でしたが、陰性反応で処置室に入れてもらえました。
その日、たまたま当直だった先生が熱心に細かく診て下さって、看護師さんに過去分のカルテまで出すように言われ、しっかりチェックして下さいました。「違和感があるから念の為もうしばらく再入院を」と言われ、深夜でしたが急遽 病室を準備して貰えました。そのまま母を預けて、急いで入院のための荷物や服薬中の薬を取りに一旦、家に帰りました。
全部を届けて帰宅すると時間はすでに朝の4時…寝付けなかったのもあり、そのまま起きておくことにして、8時に朝ご飯を終えるとまたすぐに病院に戻りました。エコーやCTなど時間をかけて再検査してもらった結果、また尿路感染症と、今度は誤嚥性肺炎にまでなっていることがハッキリしました。それを境に治療方針がやっと安定し、薬の内容も少し変りました。一週間後くらいには、身体の調子が良い時は看護師さんに冗談を言い笑わせるほどの復活をしてきた次第です。5月15日に予定していた胃ろうチューブも交換してもらい、そのまま退院になりました。今回、何度も受診する事になり母に関わって下さった皆さま、入院中に手厚いお世話をしてくださった看護師さん達、そして搬送時の夜 当直だった先生には、本当に感謝です




















