今年度の熊日文学賞の受賞者である内田良介氏の受賞者エッセーが熊日新聞(3/4)に掲載されており、深い感銘をうけました。世には多くの文学に関係する賞があり、それぞれに受賞後に取材されるなり、文章を自身で書き発表されるなり、公の場に登場されますが、私にはそのあまりの独善性や作家個人の世界に限定された狭隘さや、ついにはコードがコードに重なるが故に起こる言行矛盾の自家撞着的な〈書記行為〉、はては一般的な喜びの言葉をただ羅列し、こちらとしてはどうでもいい私生活の表面の披瀝に終始するだけの〈通俗性〉に大いに落胆することが少なくありませんでした。(正直に申しますと、このような有様では文筆による表現手段は、AIに取って代わられる日も近く、絶滅危惧種になって当然だなあとも思っておりました) ですが、ここでの内田氏の言葉は、まずなにより『書く』行為を観念でなく、ナマミの人間の体験を根底に持った生きた《ことば》として明確につかまれており、当然それは同じくナマミの他者との関係性に言及するものとしてとらえられ、文学表現の本質的な構造としてある個々のレトリックに内在する通時的な変容にくわえ、畢竟、必然としてのナマミ同士ゆえに起こる共時的な多様性を、日々の暮らしや労働の中でしっかり感受され、咀嚼されようとしている方だなと思った次第です。(夢屋代表 宮本誠一)

熊日文学賞の内田良介氏の受賞エッセーが熊日新聞(3/4)に掲載されており、深い感銘をうけました。
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