「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その七

 ○月○日 月曜
 それにしても、あの暗く、扉を持たない建物はなにか。昨日、この小屋に引っ越して始めて息子と一緒に散歩に出たのだが、あの建物を見ると息子の様子が信じられぬほどに変わってしまった。まるで今にも吸い寄せられ、壁に躰ごとのみこまれていくような、そしてそのことを何も恐れていないように一心に壁に擦り寄り、頬擦りまでする息子の姿は、さすがに私にも理解できないものがあった。
 息子は、なにを思っているのか。どうしてあの日以来言葉を出さなくなってしまったのか。そしてこの島の名前。明日、建物のことはくわしく調べてみようと考えている。私にどこまでできるかわからないが、今私にできることはやはりそれしかないような気がする。 
 
○月○日 火曜
 建物は意外に艶がない。粗い目をしていた。しかし、昨日見たときとどこか違っていた。ここだとはっきりとは言えないが、生き物のように少しづつ変化しているように見えたのは、まんざら日の照り加減だけではなさそうだ。私は、壁の至る所に手を触れてみた。手の指の感覚を越えて、胸の奥へ迫ってくる何かがあると思ってやってみたのだが、如何んせん私自身まだ注意を集中するには不十分過ぎ、一つのことを求めるには揺るぎない意志を欠いているようだ。あの建物を前にすると、なんだかわからないが、強い願いのようなものをこちらが持っていないと通じないような気がしてくる。建物がなんで出来ているのか不思議に思うところだが、どうもコンクリート質のものでないことだけははっきりした。それでは、いったい何なのか。建築物の専門家でない私には、はっきりとした結論を出すことはできない。人工の建造物として島にある以上、この島で供給できる材料を使っていることだけは確かなはずなのだが。
 息子は、今日一日、私と別行動をとっていた。もうそろそろ、島の生活にも慣れてきているころだ。私と一緒でないとき、息子にどんなことが訪れているのか、それがおそらく、これから私と息子との先行きを、徐々に決めていくことになるのだろう。鳥がまた飛んでいる。シロチョウだ。私自身、この島を息子があの建物に見せる態度のように愛せるようになるには、まだとうぶん時間がかかりそうだ。息子の目が今は、静かに輝いている。波の音と同じに、まるでそれに呼応するかのように。聞こえない言葉を息子は既に、いつのまにか私に向かって発し始めているのかも知れない。私はそれを、早く受け取る準備を整え、ひたすら待ってやらなければならない。 

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