「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十一

 二つ目の倉庫を歩き始めたとき、彼の方へ、一つの影が近づいてきた。その影は、よく見ると、彼に手を振っているのだった。彼は、しばらくその影を目で追った。影は近づくにしたがい、彼に見覚えのある顔形になっていった。男だった。畑仕事へいっているはずの男が、日焼けした顔を彼の方へ近づけずんずん歩いてきたのだ。
 「どうも、気になりましてね……」
 男は、いかにもばつがわるそうに表情を少し堅くすると、すぐに彼の隣へ歩み寄り倉庫を見渡せるかぎりぐるりと首を動かし見回し始めた。彼は、男にここへきてからの簡単なあらましと、がらくたの生成が、地下から次々に行われているらしいことなどを話した。またタケダとその息子がまだ姿を現さないことも付け足した。彼は、ここへきて初めてそのとき、その男の名前を聞いた。男はケンゾウと言った。ケンゾウは、確かにここへ来るのは初めてらしく、巨大な倉庫にどう対処していいのか最初わからない様子だった。来てからすぐは、露骨に戸惑いの色を見せていたが、彼といっしょに倉庫の周りを歩いていくにしたがい徐々にいつもの彼の態度、なかんずく彼が最初にこの島に来て出会ったときの顔付きへと変わってきていた。彼は、この男がこのような状態だとすると、島の島民は、おそらくすべてが倉庫のことを知ってか知らずか確かでないにしろ、さっきケンゾウが言ったようにここに直接近づくことはなく、彼と同じような振るまいをするのではないかと思えた。
 その島民たちが、島自体の生活のことになると特に不自由することなくやり過ごせていることが、彼には不思議に思えた。倉庫は、確かに生活それ自体とは無関係で済ませられる性質を持っているらしかった。彼は、この島が浮上しようとしていることは、実は脆く空転しせり上がって行くリングのような面をこの島が、頂度この倉庫のように内に隠し、抱えているのではないかと予想を立て始めていた。倉庫を見ることは、そんな島の空転する箇所をまじまじと見定めていくことに等しいのではあるまいか。
 二つ目の倉庫の頂度中間点辺りに来たとき、ケンゾウが叫んだ。
 「見覚えのある人がいますぜ」
 タケダだった。タケダが一人立っていた。息子はいず、彼一人だけだった。タケダは、まだ突然のことに少し驚きの色を隠せないでいる彼の方へやってくると言った。
 「君は、わたしの日記をあまりよく見なかったね」
 その声は、昨日会ったときよりやや彼に対して慇懃さはなくなっているものの、相変わらず記録家独特の考え深げな声で、むしろこのときの方がトーンが低いように思われた。彼は、答えるより先にいろいろなことをまずタケダに訊ねてみたい気持ちの方が強く、またそうしようとしたが、それを抑えるようにして「しかし、あれは全部焼けてしまっただろう」慎重に、答えた。 タケダは、軽く首を振り、そんなことじゃない、と言いたげに、またしばらくして首を振り深くうなだれたように後ろを振り向くと倉庫の中へと消えていった。それは、まさしく、倉庫の壁に吸い込まれていくと言えば形容がつく、そんな去り方だった。彼は、タケダが首を横に振った意味がわからないまま、その場に立ちつくしていた。
 「今のは、いったい何なんです?」
 ケンゾウが言った。どうやらケンゾウには、タケダの姿は見えていても、その声は聞こえていないらしかった。
 「さあ」
 彼も、そう答えるしかなかった。彼は、思い出したようにリュックからノートを取り出し、それを開いて見た。ケンゾウは、そのまま倉庫の半分を歩き始めた。彼は、そんな男をほっとき、ゆっくりがらくたの上に腰掛け、昨晩読んだつづきに目をやった。
 そこには、次のようなことが書いてあった。

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