「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『革』文芸誌KAKU ~2024・40号~を発行責任者の善野氏より謹呈いただきました。お礼申し上げます。

『革』文芸誌KAKU ~2024・40号~を発行責任者の善野氏より謹呈いただきました。小畑広士氏の『闘いやまぬ』は狭山事件における差別的捜査によって冤罪起訴された石川一雄さんのこれまでの闘い、そしてそれらの事実をもとに真実を明らかにし、無実を証明せんがための再審請求を求める強い意志の歌です。付記にこうあります。
『付記
朝日新聞夕刊(2023年5月1日)「素粒子」。」(狭山事件)「第三次再審請求から十七年。証拠を出さぬ、証人調べをするしないで法曹三者の協議が延々続く。時間は無限?」と書かれていた。正にその通りである。石川一雄さんは今年(2024年)八十五歳をむかえる。冤罪を明らかにするための闘いへの思いを詞にしました。』
改めて思います。石川氏は<公平なる裁判の場>できっちり向き合いましょうと言っているのです。有罪と思っている方々もきっちり向き合えばいい話ではないですか。いつまで時間の引き延ばしをすればいいのか。昨今の「裏金問題」もですが、権力構造の土台を揺るがしかねない本質的な問題になればなるほど、暈(ぼか)し、ずらし、逃げる体質は変わりないなあと思う次第です。
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倉田 哲也、佐藤 彩己子、他1人

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