「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十四

 「たしかに、ぼくは、お母さんがいなくなってから言葉を話さなくなってきたよ。学校へ行ってもだれ一人、先生とも友達とも話さないし、家では父さんとも話さなかった。でも、そのうち少しずつ回復はしてきたんだ。そんなとき、父さんが、島へ行こうと言い出した。そこへ行けば、母さんに会えるって。それでぼくも、嬉しくなって喜んでこの島へやってきたのさ」
 話は、まだ先へとつづいていた。
 「島へ来て一週間ぐらい過ぎた頃だったかな。父さんがぼくに、急に言葉を話すなって、言ったのは。この島の倉庫で母さんに会った。母さんは、その倉庫の中にいる。だから言葉を話すなって。父さんは、母さんがいなくなったのは、右手が不自由になったことが大きな原因じゃないかって言っていたんだ。それで母さんは、自分の生まれ故郷に帰って、治療してるんじゃないかって。この倉庫は、そんな場所じゃないかって言ってた。それで、お前も、また言葉を話さなくなれば、この倉庫へ入れるって。父さんも必ず行くから心配するな。それでぼくは、そのときからずっと、しゃべれない振りをしてきたってわけさ。以前実際に経験があるから、前よりもよっぽどうまくできてたんじゃないかって思っているよ。おじさんも、まんまとそれに騙されたね。」
 彼には、しかし、トオルが今話していることがほとんどと言っていいほど信じられなかった。
 「君のお父さんが書いていた日記はどうなるんだ」彼はまず、その中から一つずつ疑問を片付けていくつもりですかさず訊き返した。
 「日記なんて、適当に父さんがつくって書いたんだろう」トオルも素っ気なかった。彼は、訊ねた。「それで、君はお母さんに会えたの」
 トオルの顔色がたちどころに変わり、深い陰影を鼻嶺から頬にかけて漂わせ始めた。色白の肌からより一層血の気が失せたようになり、今にも前のめりになって倒れそうだった。
 「会えなかったんだね」
 彼もそんな気ではなかったのだがトオルに言葉を投げかけ、結果としては深追いする形となってしまった。トオルは、それには答えずゆっくり後ろを振り返り、そのまま三番目の倉庫へと消えていった。彼は、トオルがいなくなると、急に、何やら胸騒ぎを覚えすぐに二番目の倉庫へ引き返した。途中で別行動を取ったケンゾウが気になったからだ。だが、男の姿は、もうそこにはなかった。また、一人倉庫に消えたことを、今度は彼自身さほど奇異には感じずすんなり認めることができた。
 「一番目の倉庫には母親、二番目には父親とケンゾウ、そして最後の三番目の倉庫には息子が消えていったってわけか」
 彼は、少しずつ目の前で起こってきたいくつかの出来事を繋ぎ合わせ、それらを事実として幾分なりとも肯定するような言葉を呟き、胸の中を満たしていた。しかし、からくりの概要がわかってきたからと言って、その本当の仕組みはまだ掴んではいなかった。仕組みがあるのかないのか、それさえはっきりしなかった。とにもかくにも、何人かが、彼の目の前に現れ、その何人かが倉庫へと消えた。
 彼は、トオルの言ったことを思い返していた。
 トオルがずっと前から話せたことは、確かに事実かも知れなかった。父親であるタケダが強制し黙らせてしまったことも、まんざら絶対ありえないことではなかった。ところが、彼にはどうしても、あの日記だけはでたらめにタケダがあることないことをでっち上げ、つくりあげたものとは思えなかったのだ。彼は、ノートをリュックから取り出した。ぺらぺらと捲ってみたが、今まで読んだこと以外の記録をそこから発見することはできなかった。彼は、今自分が二つ目の倉庫の前に来ていることを、ふと新ためて確認した。
 思い直したように彼は、もう一度目の前の倉庫を見た。
 最初の威圧さはなくなり、記録にも書いてあったとおり、確かにさっきまでとは打って変わり、何か壁面の組織に微妙な違いが表れてきているように思えた。人をのみこみながらこの三つの倉庫は、変わっていくとでも言うのだろうか。彼は、静かに息を殺し待った。
 しかし、記録家は、二度と姿を現さなかった。

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