「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『島』・その十八

 タケダが立っていた。
 タケダは彼に、問いかけるようにして話し出した。
 「君は、やっぱり来たんだね」
 その声はおそらく、さっきの島民たちと同じように彼以外には聞こえていないにちがいなかった。
彼も、「なあんだ、君たち家族は、倉庫の向こうで一緒に暮らしてるのか」
さっき見たままのことを無雑作に言った。
 タケダは、「君から見ているとわたしたち家族は、確かに互いに顔を会わすことができているように思うだろうが、実はそうはうまくできていないんだ。どうやら、一度倉庫へ入ってしまえば、倉庫同士の人間は面と向かってはっきりと確かめ合えない仕組みになっているらしい。互いの存在を知りながらも、その姿を見ることも確認することもできないというわけだ。ただし、島の人間やそれ以外の人間とは、その気にさえなれば会うことが出来る。本当に、その気になればだがね。今、君とわたしとがこうしているように」
「しかし、ぼくは島の住民じゃない」
 彼がそう答えると、
「だから、わたしとこうやって会えるのは君だけというわけだ。気にしないことだよ」と丁寧に返事した。
 彼は、タケダが消えていく前に今度は思う存分、胸の中にあるものを話してみたい気になっていた。彼は、トオルの話をした。
タケダは「そうかも知れないな」幾分、考え込むような籠り気味の声になった。
「だけど、誓ってもいいがわたしの前では話さなかった。八年間、一言も。……けれど、あの子からすれば、事実は……そうだったのかも知れないな」
 深い、自分自身のやってきたことを回顧する念が、そのときタケダには過ぎっているようだった。
「緘黙を強制したこともかい」
 彼は、訊いた。
「いや、そんなことはない。一度もしたことなんてないんだ。でも、あの子にとってはそうだったのかも知れない。そしてわたしも知らぬうちに、あの子の発していた言葉を読み取る前にそれと同じ意味で、緘黙という枠をあの子にスッポリ嵌め込んでいたのかも知れない」
 彼は、タケダの顔を見た。影ではなかった。ちゃんと、目や鼻や口があり、それが言葉に合わせ感情を現し、穏やかに動いていた。彼にはそれが、言葉以上に重い何かを伝えてきているように思えた。
「この島のことなんだけど」
彼はつづけた。
「君は、もしかするとぼくが行ったときには全部知ってたんだろう」
 「ああ、もちろんだ」
 タケダは、簡単に言った。
 「この島を、いや、あのがらくたを燃やそうと思ったんだね……だけど失敗した」
 「ああ」
 タケダは、また同じように答えた。
 「奥さんはどうなの。いなくなった君の奥さん。さっきここにいたんだよ。君の息子トオルといっしょに」
 「しかし、二人とも互いの存在は確かめられないはずだ。このわたしがそうなんだ」
 「男が、やってきただろう。名前は」
 「ケンゾウ」
 「そう、彼だ。あの男は、ぼくと一緒に君の消えた二番目の倉庫を調べていると  き、ぼくが君の残した日記のノートを見ている間、この倉庫へ消えてしまったんだ。同じ倉庫だから、君も知っているだろう」
 「ああ、知っている。しかし、話すことはできない。存在は知ることができても、話したり会って顔を認めたりすることはできないんだ。ただ、なんとなくその存在だけはわかるようになっている。同じ二番目の倉庫にいる男だね。感じてはいるよ。いっしょになんとなくいるってことだけはわかっている。だけどそれだけさ」
 「さびしい世界なんだな」
 彼が言った。
 「さびしいよ」
 タケダも言った。
 「しかし、とてもおだやかだ」
 「老人たちも、この倉庫へ消えていってるんだね」
 「そうみたいだな」
 タケダの返事の仕方に、変わりはなかった。
 「老人たちの場合、人によりけりだろうが、自分たちから進んでこの倉庫へやってきている人もけっこう多いみたいだ。自分の存在が、日常からふっと遠ざかってしまったと思った瞬間に足を運ぶんだろうね。彼らは、わたしたちとちがい、頭の中では、これからもずっと島の住民としてますます日常にどっぷりと入り込もうとしているのに、肉体の衰えがこの島から遠ざけてしまうんだ。しかも、そのことをこの島の年寄りも、それを囲む若い者たちも、まったく当然のことのように受け入れてしまっている。右手が不自由になったわたしの妻も同じ経緯だったんだ」
 彼は黙って、聞いていた。
 「そして、どうなるかわかるか」
 彼は、首を振った。
 「がらくたが生まれるのさ」
 しばらくして、
 「君も今のままだと倉庫にくることになるかも知れない」
 タケダは、別に深い意味もないように突然そう言った。
 「わたしの記憶が、君の記憶になったのだからね」
 彼は、そのことがすぐにピンとこなかった。
「君は、ぼくさ」
 タケダがそう言い、彼もようやくその意味がわかる気がした。
「この記憶がすべてなんだね」
 タケダは唇を揺らし、それに返事をする代わりにその目元で手招きしているように思えた。
 彼は、全身から力が抜けたようになり、タケダといっしょにその背後の倉庫の壁へスーッと引き込まれる気になった。そのときだった。トオルの声がしたのは。
 「おじさん、だめだよ。お父さんの話にのっちゃ。お父さんは、もう前のお父さんじゃない。がらくたは死だよ」
 「トオル、あのノートは、君か……」
 遠くなる意識の中で、彼は答えていた。
 「おじさん、島を燃やして、このがらくたを燃やして」
 彼は、ハッとして我に返った。今までその場に倒れ気を失いかけ、何かの拍子に息が蘇生した人間のように、胸が大きく波打ち、高鳴っていた。彼は、確かに横に倒れ込まないまでも、倉庫の前に屈み込み両腕を前に突き、喘いでいる恰好でいた。最初、体がだるく、壁に押し付けられるほどの胸苦しい感じを持ったが、次第にそれからも遠のき落ち着きを取り戻すと、幾分なりとゆったりとした気分になっていった。何かはっきりとはわからないが、助かった、と彼は思った。彼は、今聴いたトオルの声を思い出していた。

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