ふしぎの国の運動会
台風のあとにあらわれた大人たち
「あっち向いてホイ、ひっかかった!」
指さしたケンタが、はずんだ声で笑った。
一瞬、風がやみ、外がオレンジ色にそまった。バキバキと空をかきむしる、するどいうなり、つづいてまばゆい光が地面になだれおち、大きな衝撃が走った。雷だ。生木が裂けるにぶいひびきとともにツトムの鼓膜ははりさけんばかりにふくらんだ。ツトムはとっさに両手で耳をおさえた。全校児童がざわめきたった。運動会は、明日だ。ツトムとケンタは、数人の子どもがいる窓へ駆けよった。さっきまで必死に強風に耐えていたセンダンの巨木が、幹の中ほどから真っ二つに折れ、体育館の東側から運動場へかけ倒れている。折れたあたりからは、うっすらけむりが立ち上っている。
子どもたちからは、悲鳴とも歓声ともつかぬ叫び声が上がった。緊急の会議にいっていた先生が数人もどってきた。
「静かに、静かに」
注意しながらも、顔色は青ざめている。これは延期どころか、もしかすると中止になるかもしれないぞ。ツトムは、期待に胸ふくらませた。
ツトムの町を台風が、まっすぐにとおりぬけようとしていた。クジラが小さな魚をひとのみするように一面、真暗にかわり、不気味なうなりと地ひびきが空気をふるわせ、全校児童が体育館に避難していた。
友だちのケンタとふざけていても、明日がどうなるかでツトムの頭の中はいっぱいだ。
運動場は、まるで水をためた大ざらがなんまいもあり、雨水がえだわかれしたあとは爪みたいで、恐竜の足あとのように見える。
ところが、それから一時間くらいたったころ、雨と風がうそのようにパタリとやんだ。
あつい雲におおわれていた空に、きれまが見えだし、日ざしがわずかだが顔をのぞかせはじめた。つぶのような光がさわさわと地面におり、水たまりに反射する。
雫が消え、水面が静まりかえり、ツトムにはいっそうさびしく見えた。
それぞれ教室にもどり、いつもの授業となった。
センダンの木が、氷河期に絶えたマンモスのように毛をびっしょりぬらし、グラウンドにへばりついている。ちょうど徒競走のスタートラインをふさぐ形だ。
ツトムは、しずんだ顔で正門に目をやった。荷台に小山のように砂をつんだトラックがやってきている。
トラックはツトムの眼ざしをよそに深いわだちをつくり、ぬかるんだ運動場へ走りこんできた。荷台をななめにし、砂をひろげていく。五年生と六年生が歩きにくそうに運動場へ集まりだした。何人かはトラックの後ろをのろのろついて、トンボで砂をならしている。 「おーい、こっちだこっち」
体育主任の五島先生が、職員室から短パンとはだし姿で出てきた。
「おい、こうするんだ。よく見てろよ」
まわりにいる子どもたちに、お手本を見せている。腕を動かすたびに、あつい胸板がユサユサゆれ、スコップをにぎった腕や肩が弓矢のようにしなり、砂粒は扇形にひろがった。 「ちぇっ、やっぱり運動会はあるのか」
四年の教室を出てから、下駄箱でくつにはきかえていたケンタが言った。
「でも、あのセンダンの木はどうなるんだろう」
まだケンタは、あきらめがつかないようだ。
ちょうど二人が、運動場をとりかこむ歩道へ出たときのことだ。
ゴーッといううなり声をたて、フォークリフトがあらわれた。
小さいわりに、ぶ厚いタイヤをつけ、地面をはうように走ってくる。
運転手は野球帽にサングラス、リフトの鉄板にはハチマキ姿の男が乗っていて、片ひざを立て、しゃがみこんでいる。片方の腕ですべり落ちないようしっかり車体をにぎり、もう一方の腕にはギザギザの長ひょろい歯をつきだしたチェーンソーをかかえていた。
そんなちょっとかわった二人は、小きざみにスピードを上げ下げし、ツトムとケンタからあまりはなれていない、倒れたセンダンの木へやってきた。
ハチマキ男をかなり高い位置まであげ、しなだれた幹の皮や、そこからのびた枝を切っていく。チェーンソーは、歯がくいこんだしゅんかん、甲高い音に、さらにするどさをまし、あたり一面に枝と金属がぶつかりあう音をひびきわたらせた。
ツトムとケンタは、感心したようにそれに見入っていた。
ハチマキが下りた後、切断された幹の下へリフトが差し込まれた。のっそりとマンモスはかかえられ、すみにかたづけられたのだった。
「五島先生、あとはオレにまかせといてくださいよ」
うなりをあげるエンジン音とともに、鉄が地面をころがる音がなりだした。運転席から、スコップやトンボをもった人だかりへ向け、声がとぶ。それは、工事現場でよく見かけるオレンジ色のタンクローラーだ。
「ねえ、ツトムくん、せっかくだからもう少し見ていこう」
「ん、ううん‥‥」
二人は、運動場の西側のすみの運ていで、ぶらさがりながらながめることにした。
タンクローラーは、現場へ入るなり、リレーや徒競走のコースをていねいに何回もぐるぐるまわって、ならしはじめている。へっこみが大きいときは運転手がそのたびに頭をさげ、地面の様子をたしかめていた。
ひととおり終えると、ローラーの運転手がおりてきた。黄色いヘルメットから陽にやけた顔と口ひげがのぞき、いかにも満足そうな笑いがこぼれている。胸ポケットからタバコをとりだしながら、五島先生のところへ歩いていく。
トラックを運転していたリーゼントも、ひと休みのつもりでやってきた。
そこにいる人たちは、よく見ると、行事があるたびに学校で見かける顔だ。
「富岡さん、どうもお世話になります」
「いやいや、先生、おれも台風がきたときにはどうなるかと思ったけど、ぎりぎりセーフってとこですかね。こいつがこんどは会長なもんで、恥はかかせられねえし、あわてましたよ。まあ、土建屋のおれたちにゃあ、これぐらい朝めし前だけど」
口ひげがもぞもぞひげを動かし、嗄れた低い声で言うと、
「いやあ、兄貴がいつでもやれるよう段どっとけって、念をおしてくれてたもんで」
リーゼントが、それよりやや高い口調でつけたす。
「ねえ、ねえ、あの二人知っている?」
ケンタが運ていで逆上がりを一回成功させ、言った。
「もしかして、PTAの会長と副会長」
ツトムも、記憶をたどり、そろりと答えた。
「兄弟でやってんだよ。少し前までは上のお兄さんが会長やって、今年は反対に入れかわったんだ。あの二人のお父さんも、そのまたお父さんも、ずっとPTAの会長やってたんだって。父さん言ってたよ」
ケンタのお父さんは、昔、ここの学校で先生をやっていて、それをやめ、今はパン屋をはじめたかわった人だ。だからケンタはツトムの知らない学校のことをいろいろ知っている。パンのお店は少し遠いところにあるせいで、ふだん、二人ははなれて暮らしている。
ツトムもケンタと同じ、お母さんとの二人暮らしだ。ツトムのお父さんは、三年前、クモ膜下出血で死んでしまった。でも今では、あまり思い出したくない記憶だ。そう言えば、ケンタもお母さんの前では、お父さんの話をあまりしないようにしていると言っていた。
「いやいや、おつかれさん」
リーゼントの会長は、一人一人にあいさつしてまわっていた。まず、フォークリフトのとこへ、いそいそとでかける。
「おっ、富岡会長。まあ、これでなんとか運動会も無事やれそうだね」
「ええ、おかげさんで。古賀さんには、この一年、いろいろお世話になります」
「なんてったって、運動会は、学校の一世一代の花だからね。子どもたちも一番楽しみにしてるし。教育委員会や保護者にぶざまなものは見せられんでしょう」
「すいませんね。ほんとうならおれがもう一年か二年、体育委員長やらなきゃいけなかったのに。古賀さんより早く会長になんかさせてもらって」
「いや、いいんだよ。あんたの兄貴とは幼なじみだし、いろいろこっちも世話になってるんだから。それに下の娘ができたのがおそかったんで、まだまだ先があるんだよ」
そこで、少し照れたように口もとをほころばせた。
「でも、センダンの木がなくっちゃ、ちょっとさびしいな。たしか校歌にもこの木のことはあったでしょう」
ハチマキ男が、折れた幹をあごでしゃくりながら言った。
「まあ、心配しないでください。おれに考えがありますから」
リーゼントは自信げに、目をほそめた。
そのとき、なんの前ぶれもなく上空で、大きくはれつする音がした。それがバクチクであることはだれにでも、すぐにわかる。ツトムとケンタも、心臓がおどり上がるほどびっくりした。
「五島先生、とうとうやったみたいだな」
会長は、ふり向くとあわてて音の方へかけだした。見ると、そこに五島先生の大がらな影がちらちらしている。グランドで準備していた子どもたちも、何人か集まっていた。
バクチクは児童用の椅子の脚にガムテープでくくりつけられ、発砲されていた。
「事故ですか」
会長のあわてた声のあと、体育委員長も、子どもたちの輪へ入ってきた。
ところが五島先生は、
「ちょっと景気づけに、予行練習しとこうと思いまして」
大きな二の腕でてれくさそうに頭をかくだけだ。
「先生、練習もいいけど、こんなに子どもがいる前じゃ、危ないですよ」
会長は、半分あきれ顔だ。それからつけくわえるように、
「明日は、入場行進の始まりと閉会式の終わりの合図の二本だけは、ちゃんと古賀さんにさせてくださいね。計画案でそうなってるんだから」
ひきたてられたサングラスも、まんざらでなさそうに白い歯を見せる。
五島先生は、そちらを見ながら、わかってますと何度もくりかえし、さらに頭をかいた。