はじまったそれぞれの運動会
車の荷台には、さまざまな道具がつまれていた。真中に白いプラスチックの小さなスクリューのついた細長いボールと、それをはめこむこね機に小型のガスボンベ、青いゴム管がつながったオーブンと鉄板が数枚。
「お父さん、なにする気?」
リョウの後ろから、ガタガタ音を立てる道具を背中ごしに見ていたケンタが、心配になって聞いた。
「きまってるだろう、パンをつくって売るんだよ」
意外な返事に、ケンタの声は上ずった。
「そんなことできるの」
「路上販売の許可証はもってるから、だいじょうぶさ」
ケンタは、なんだかとても不安でもあり、おもしろそうにも思えた。
「組たいそう、やっぱりあるよ」
リョウがそのとき、プログラムから目をはなすと同時にジロリとアキオを見た。家にいるときからもう、数回目のやりとりだった。
「あっ、そうか。ずっとつづいてるんだな」
アキオは、さっきからそうしているように、またあいている手でリョウの肩をたたいた。 ケンタはアキオに言って、学校の少し手前でおろしてもらった。
「ここから歩いていくよ」
アキオはうなずくと、道路の端に横づけした。
校門をくぐってケンタはおどろいた。
センダンの木が立っている。雷でたおれる前とかわらず、ごつごつした木肌をさらし、体育館真横によみがえっていた。囲いの外にオールバックと口ひげがニンマリ自信ありげにいた。
「だめだぞ。さわっちゃ」
口ひげが注意した。だが、目じりは下がり、なごんでいる。ケンタは教室へ行った。
「ツトムくん、見た? 木がもとにもどってるの」
「うん、ぼく、場所とりにきたときから知ってたよ」
二人は、応援のため自分たちの椅子を運動場のテントへもっていった。ほとんどの子が入れられたばかりの砂に足をとられ、気怠そうだ。
「椅子をならべた人は、入場門前にいって、練習どおりそれぞれ色別にならびなさい。入場行進が始まるわよ」
田口先生が、テントをまわってきた。ふちなし眼鏡をかけ、黄色いシャツに紺のジャージだ。田口先生は残念ながら、ツトムやケンタの青団とはちがう。
「さあ、どの色が早くならぶか。団長、しっかりたのむぞ」
五島先生が真赤なシャツのそでをいつものようにまくりあげ、あらわれた。下は昨日と同じ短パンにはだし、がんじょうそうな太腿がのぞいている。
「おーい、青はこっちだぞ」
ツトムとケンタは聞きおぼえのする六年の方へいそいだ。
ツトムたちの横にかがんでいる低学年の子は砂で山をつくり、小石を上からころがしていた。その前でおしりをつき、足の指を砂でうめては毛虫のようによじり、砂から出すことをくりかえしている子もいる。熱心に小えだで絵をかく子もいる。だれも先生や六年生に耳をかたむけていない感じだ。ツトムとケンタも、楽しそうなので砂をいじりはじめた。 「よーし、全員起立!」
五島先生が笛をならし、全校児童が立ち上がった。いかにも重そうにおしりをあげ、砂をはたいたため、しめっぽいほこりがたった。
「前にならい! なおれ!」
ツトムも緊張しはじめ、口の中がかわきだした。
「先生、おなかがいたいそうです」
急にしゃがみこみ、脇腹をおさえる一年生を、五年生の女子が、だきかかえている。 田口先生が近づき、うでをとり、その子を列からはずした。
「それじゃあ、出発する。音楽がなりだし笛がなったら、足ぶみはじめ」
五島先生はそんなことにおかまいなく、自分のペースでやっていく。
パーン、パーンパーンッ
サングラスの手でバクチクが上げられた。見ると鉄棒横で両耳をおさえ、小さくしゃがみこんでいる。立ち上がるとき何度もジャージの前後ろをはたき、大急ぎでもどってきた。 それを合図に、行進曲が鳴り出した。
椅子にすわった林先生が、マイクを両手ではさみこむようににぎり、ひじを机に置き、じっと動きを見すえている。すでにスタンバイ充分といったかまえだ。
「昨年の優勝チーム、黄色を先頭に、青、赤がつづき、入場してきました」
林先生のつやとはりのある声は、運動場にとりつけられた三つのスピーカーからこだました。その横に放送担当の児童が、手もちぶさたでポツンと小さくなっている。林先生はその子にマイクをわたさず、つぎの台詞にアドリブを入れるため、口を大きくあける。
運動場を半周したころ、曲はかわった。
「おお、洋子がいたぞ」
林先生の両親がテント真横へあらわれる。
「洋子、こっちを向いてくれ。ビデオとるから」
テントの斜め前へまわり、声をかける。林先生は注文に応じ立ち上がり、プロレスのリングアナウンサーのように、仁王立ちになり、さらにつよくマイクをにぎりしめた。腹の底からしぼりあげた声は、すでに絶叫に近い。
「さあ、常葉小学校、全校児童、ここに集結しました」
本部テント前にはリーゼントに口ひげ、サングラス、ハチマキたちが直立し、その流れを見守っていた。
全体が整列し終わる。アナウンスとともに児童代表の誓いの言葉が始まる。各団の一年生三人が、手と足をいっしょに動かしガチガチになって朝礼台へかけよる。チョンマゲ校長が台へのぼり、その言葉を聞きとどけた。つづいて校長自らのあいさつになった。
「全校児童のみなさん、台風が昨日まであばれておりましたが、みなさんの日頃の努力を知ったのか雨もやみ、さわやかな風が‥‥」
言いかけたとき、風がとどろき、渦を巻いて去っていった。リーゼントたちはあわてセンダンの木へ目をやるが、びくともしていない。そのことをたしかめ、誇らしげに大きく呼吸し、胸をはった。
「どうです、みなさん。あれほど心配していた我が校を象徴するセンダンの木も、このようにたくましくよみがえりました」
この機をのがすまいと、校長は調子にのってきた。
「センダンの木あるところ常葉小あり、常葉小あるところセンダンの木あり。常葉小は永遠に不滅なのであります」
口ひげは満足そうにうなずいている。
「そして、みなさん、ちょっと後ろを見てください」
児童たちは、突然の注文に、重たげに首を動かす。
「かつてこの学校を、PTA会長としてささえてくださった富岡虎男さん、勲さん親子が病身をおし、かけつけてくださいました」
そこには、車から下ろされた二台のストレッチャーと、その上に白い布でおおわれた人影が二つ、こちらを向き横たわっている。いつのまに来たのか救急車もいて、サイレン灯を点滅させ待機していた。ツトムは正面をふりむく。リーゼント、口ひげがうつむき、タオルで目がしらをおさえている。サングラス、ハチマキが肩をたたき、脇からだきかかえる。チョンマゲ校長も思わず声をふるわせだした。
「あああ‥‥、みなさん。かくもすばらしき人たちによってつくられてきたこの大運動会を、今年も成功にみちびきましょう」
つづいて、目を赤くしたリーゼントが朝礼台に上がった。
児童をすみからすみまで見わたし、ふーっと一息いれるとPTA会長のあいさつをした。 形式どおり開会式がすすみ、いよいよテントへもどり、競技開始となった。アナウンスで、いつくずれるかも知れない天気を考慮し、プログラムが省略されることが伝えられた。 「ツトム、がんばれー!!」
四年の徒競走が始まった。マサミが、シートをしいたあたりから声援を送っている。その声がツトムの耳の中で反響し、うんうんうなる。だが、前を走る足はスローモーションのように動き、追いつけそうでいて差はなかなかちぢまらない。ツトムはそのまま三位でゴールした。
テントに帰っても六年生は全員、応援団や係でそこにはいない。五年生、四年生はけっこう残っているはずだが、それにしては人数が少ない。
「ゲームしに、教室にいってんだよ」
ケンタがツトムに言った。
「相談してるの聞いたんだ。ソフトなにもってくるか」
ツトムは、なるほどといったようにうなずく。
「さあ、ごらんください。すばらしき新入生のダンス、『朝からファイトで、おサルさん』」
タンブリンと鈴の音が、スピーカーから鳴りひびきだした。ビニールのポリ袋でつくった衣装をきた一年生たちが小走りに運動場をうめつくす。ふたてにわかれ、円をつくっていくようだ。手本となっておどるのは、平山先生だ。児童はみな、両手にポンポンをもっている。その手をいっせいにあげさげし、腰にまわすたびにステップをふむ。
「ご観覧のみなさん、平山育子先生の迫力満点の踊りにもご注目ください」
エアロビの経験があるという平山先生は、とくに台の上で回るとき、ふらつかないように足をふんばり、なめらかに腰をくねくねとゆらす。あちこちのテントから歓声がわきおこる。中には指笛をふく六年生の男子もいる。平山先生はさらにのってきた。両足を左右交互に上げ下げし、チアリーダーのように踊りだす。おしりにつけたテープのしっぽがそのたびに跳ね上がって、背中でバウンドする。
音楽は、やがて終わった。一年生は、しゃがみ、ポンポンをゆらす決まりのポーズで待っていた。ところが平山先生は、まだからだを前後左右に動かしおどっている。われんばかりの拍手だった場内にも、失笑がこぼれはじめると、あわてた教頭がテント手前から声をかけ、両腕をクロスさせバッテンした。
「先生、先生、終わってる、終わってる」
平山先生は、キョトンとし、ポンポンを宙にさしだしたまま、しばらくたちつくしていた。やがて周囲を見まわし我にかえると、照れたように赤くなり、さっと決まりのポーズをとり、終わりの笛を吹いた。
「パンはいかがですか。やきたてのおいしいパンは、いかがですか」
同じ調子でくりかえす、甲高い声がする。リョウだ。一声発するたびに、周囲の子どもたちがふり向くが、本人は一向に気にするふうでもなくマイペースで歩いていく。その後ろをチラシくばりをしながらアキオがついている。知らんぷりしておこうと思っていたケンタだったが、アキオの方がさきに気づいてしまった。
「ようケンタここにいたのか。よかったら友だちにパンすすめてくれないか」
「お父さん、だめだよ、ここは学校なんだから」
ケンタは、こまったふうに眉をしかめた。
「ちゃんと校長には話をつけておいたからだいじょうぶだよ。リョウはここの卒業生だから、チラシくばるだけならいいんだって」
リョウはそう言っているあいだも、つぎつぎとテントをまわり呼びかけている。
「じゃあ、またな」
アキオもそんなリョウの背中を、あわてるように追っていった。
「ねえ、あの子だれ?」
ツトムが聞いてきた。
「お父さんの教え子なんだって」
「へええ‥‥」
ツトムは、しばらく珍しそうに見つづけていた。ケンタはそんなツトムの眼ざしをさけるように、ふたたびグランドへ目をうつした。万国旗がパタパタゆれている。そのゆれはしだいに強くなり、空には、厚い灰色の雲がにごった絵の具のようにどんどん広がりだしていた。
本部テントでは、そんな天気の予想以上の急転を察し、校長、教頭、PTA会長たちが集まり相談しはじめた。
「ええ、ただいま入りました情報によりますと、午後から今以上の天候悪化が考えられます。そのためプログラムをさらに早めたいと思います」
林先生は、そこで一息のんだ。場内は気のせいかしんとなる。こわばった雰囲気が、あたりにひろがった。
「我が校の伝統ある種目、六年生によります組体操を先に行います」
一瞬緊張した場内にどよめきがおこった。シートにすわった保護者から期待をこめたわれんばかりの拍手がわき起こった。
六年生がいっせいに入場門と退場門にわかれならびだした。五島先生が朝礼台に立ち、左右の確認をする。高らかに笛を鳴らし、六年児童がわーっと歓声を上げ、グラウンドへなだれこんできた。まずは音楽に合わせうでをつなぎながら、からだをくねらせ波をつくりだす。
波は大波小波バランスよくつくりだされていき、リズムよく左右へ押しだされていく。
そのときだ。足をひきずるように、奇妙なステップをふみながら一番後ろの列に参加した私服の子がいた。でっぷりと肩のあたりに肉がつき、お腹も少し出て、どう見ても小学生らしくない。波の一番後ろの端にいき、ややあわないながらも小太りのからだをくねらせだした。
リョウだ。
思いもよらぬことで、みんながその存在に気づくまで少し間があった。
「あれは、さっきの子だよね?」
ツトムが指さす。リーゼントたちも驚いた様子だ。
「息子と同級だったリョウじゃないか」
口ひげが叫ぶとサングラスもうなずく。同時に、じっとしていられないとばかりに体育委員長と副会長の二人は、グラウンドへリョウをつかまえに行った。