おいしいパンはいかが‥‥
リョウはいきなり倒立する児童の間に入ったかと思うと、しゃがんで下へもぐりこみ、意外な方向へとびだす。ここぞというときのからだの動きは素早く、回りの目を気にし気にし追いかける二人には、なかなかつかまらない。
そうこうするうちに、児童たちは十文字に隊列をつくり、行進しながら正面から一人ずつ隙間に入り交差しあう演技へうつった。整然と混じっては離れ、たて糸とよこ糸のように編み目模様は織りなされていく。リョウは、なかなか見当たらない。
「あっ、いたぞ」
サングラスが叫ぶ。リョウは、交差し合うその真中に、ひざをかかえ小さくなってすわり込んでいた。列が右や左、中央から外側へいったりきたりするので、そこへ近づくことは困難だ。じっと最後のクライマックスの三段やぐらを待つしかない。
シンフォニーが鳴りやみ、ビートのきいたロック調の曲へかわった。
いよいよ大音響とともに、最後の演技が始まる。自分の役に集中する児童と児童との間にすきまがみつかると、サングラスと口ひげはぬうように、リョウを挟み撃ちにするつもりでじわじわ歩みよった。ちょうどその後ろではいよいよ一段目が立ち上がり、その肩に足を置いた二段、さらにその上にしゃがんだ三段目が空へ向け、背を伸ばしだしていた。 「ごらんください。三段やぐらが完成します」
見学者が、いっせいに注目したときだ。二人も、うんむとリョウのうでをつかんだ。
リョウはようやくつかまったことに安堵したのか、首をかしげ、唇を半開きにし、いたずらっ子のように笑った。サングラスと口ひげは、静まったグラウンドの中で少し冷静になると事態がのみこめてきた。眉間にしわをよせ、目を三角にしているのが自分たちだけだと知ると、なんともいたたまれず、背中に冷や汗が流れる。互いに見合わせた顔から少しずつ余裕が消え、真剣な表情にかわっていく。すると前もって打ち合わせでもしていたかのようにくずれた笑顔をつくり、正面をふり向いた。にぎっていたリョウの手を祝福でもするかのように頭上高々とあげ、おうぎの形になるようからだを倒し、ポーズをつくった。三人の背後で三段やぐらも完成し、その周囲を六年がつくりだす波や倒立、ひざの上に立っての万歳ポーズ、腕立て、扇、親亀小亀とあざやかな綾をなしていく。
場内に、水をうった静けさが流れた。沈黙がひろがるほど、口ひげもサングラスも白い歯をこぼし、これぞとばかりに観客に媚びる顔つきとなった。
やがて本部テントから拍手がおこり、ざわざわとウエーブのように場内に広がると、われんばかりの喝采になった。
「きまつた!! 記念すべき百周年、組体操最後の三段やぐらが決まりました。お見事です。そしてみなさんごらんください。三段やぐらの前ををかざるのは、PTA副会長と体育委員長、そして卒業生、えーっと、えーっと‥‥、ハイ、久保田良くんです」
「リョウ、いいぞ」
アキオの声だ。どこかで見ているのだろう。ケンタは立ち上がり、放送席あたりをうかがった。本部テント横に、頭にタオルを巻き、前掛けしたアキオが両掌を口にかざし、声をあげていた。やっぱり林先生にリョウの名前を教えたのはアキオらしい。そのとなりには校長と教頭が、口をあんぐり開け、呆然とした様子で椅子にすわり腕組している。
「リョウ、よかったな」
グラウンドからもどってきたリョウは、アキオの声に耳をかさず、すたすた教頭の前に歩いてきた。
「あっあっ‥‥。ひさしぶりだね。リョウくん」
教頭は、椅子から立ち上がり、かたい表情になった。リョウはうれしそうに満面の笑顔になり、
「もう、なれた?、岩松先生、もう、なれた?」
いったいなんのことかなあ‥‥。教頭は困り果てたように首をかしげる。校長に視線を送るが、相手は知らんふりだ。
「教頭先生に、もうなれた?」
そばで聞いていたアキオが、意味ありげに微笑んだ。いつのまにか、顔中汗だらけの口ひげとサングラスももどってき、リーゼントたちといっしょに、その場を取り囲みだした。 「岩松先生、勉強だから、ぼくもタケモッチャのとこイッテキマース。教頭先生なれるように、ぼくもガンバリマース」
そこでリョウは、掌を拳でたたくお決まりのポーズをした。からだを大きくゆすったかと思うとその場でジャンプし、ニヤリと不敵な笑いを浮かべる。
「えっ、なんのこと、それ。リョウくん、こんなところで、先生いそがしいんだよ」
「リョウ、もうパンつくりがあるからいくぞ」
アキオは、どこまでもハッキリさせたそうな、目のすわりかかったリョウに声をかけた。 赤面した教頭のとなりでは、相かわらず校長が他人ごとのように椅子に深々と腰をおろし、わざとらしく天気のなりゆきでも心配するように空を仰いでいた。
プログラムは、かなり省略されてきた。
「常葉小、創立百周年、先生方によります仮装チームが、PTA役員のみなさんのチームと競います。こりにこったコスチューム、さあ、いったいだれでしょうか。お楽しみください」
林先生が出場したため、児童によるアナウンスが珍しくこのときグラウンドに流れた。 「さあ、登場しました。まずは、常葉小のサムライ、心づよい用心棒の登場です。武士は食わねど高楊枝。チョンマゲつけてハカマきて、さてさて、これはだれでしょう」
このとき、チョンマゲ校長は、クスクス笑っていた児童に刀をぬき、大立ち回りをしてみせた。ふりまわすまではいいが、バランスをくずし、刀がうまくサヤにおさまらない。 「つづいて登場は、グラマーバスガイド。ハッシャオーライ、どこまでも。あれあれだれです? オレもこんな人といっしょに旅行したいって言ってるお父さんは」
ウエーッ、とか吐きそうとか男の子が叫べば、気持ちわるいと言って目をふせる女の子もあらわれる始末。大人たちは、なんとも言えない表情だ。
それでもバスガイド教頭は意に解さず、胸に入れた風船をむんずと両手でにぎり、ひきあげると、腰を左右へゆさゆさ動かす。黒のアミタイツからすね毛が、これでもかとはみだしている。
「そして、クック船長がやってきました」
「洋子、いいぞお」
父親はグラウンドの中へずけずけ進み、足もとから頭までなめるようにズームで撮影に入る。その後ろに母親がつき、チョンマゲやバスガイドに娘をよろしくと頭を下げた。
「おやおや、かわいいクマのプーさんですね」
田口先生だ。中にいるのはだれだろう、回りの子たちがうわさし合うが、ツトムは自分だけ知っていることに、少しばかり優越感をもった。
やがて、リーゼントやサングラス、口ひげ、ハチマキといったPTA組も入場し終わったときだ。場内にシンバルが鳴り響き、ファンファーレがとどろいた。
それに合わせるように、児童の声がマイクから尾ひれをつけた。
「おっ、この音楽。どこかで聞いた感じ‥‥。いったいなんでしょう」
ファンファーレとは不釣合いな、面倒くさそうな声だ。
「鳥よ、飛行機よ、トンボよ。いいえ、われらが常葉小のスーパーマンよ」
入場門から、さっそうとマントをひるがえし走ってきたのは、Sの字をマジックで書いたランニングシャツにオレンジのタイツ、顔には白粉をたっぷりつけた五島先生だ。
両手をひろげ、グラウンドを大きくジグザグに、わざと波うたせながら一周する。
意表をつかれたのか、場内からどよめきがさざ波のようにわいてくる。五島先生は、筋肉モリモリのからだをこれ見よがしに、ゆっくり大回りに走っていく。
そのときだ。ふいに五島先生のからだが、前傾のままストップモーションのように静止した。だれかがマントをにぎったらしい。カーブを描き、真ん中よりへ移動しようとしていた五島先生の足は棒立ちになり、石か何かにひっかかったようにつんのめると、そのまま前へ、ドサンと倒れてしまった。マントも途中からやぶれている。
白粉がまぶされた頬やオデコは砂まみれになった。もたげた顔は今にも泣きそうで、目や口もとがゆがんでいる。場内に今まで以上の笑いがおこった。
五島先生は、いっしゅんマントの切れはしをにぎっている児童たちをキッとにらみつけたが、場内の盛り上がりにマジギレできず、つくり笑いし、わざとオーバーな動作で立ち上がった。やっと腰までしかとどかないやぶれたマントが、大きな枯れ葉のように背中にぶらさがっている。五島先生は、ふたたび踵をかえすと、さっきから退屈そうに待っているチョンマゲたちのところへ隠れるように駆けていった。
「今、常葉小の歴史を刻む英雄たちが、さっそうと勢ぞろいしました。‥‥わーっ、コワーッ、この風‥‥」
思わず児童がマイクで叫んだ。
グウオーッ、グウオーッ、ギイュー。
それはまるで嵐の夜に海岸の堤防に打ち寄せる大波そのものだった。グラウンドにいただれもが、その勢いに導かれるように、上空を見た。
開会式で吹いたとき以上の突風が、グラウンドを駆け回っている。
洞窟を吹き抜ける風が低い音をたて凄むように、今、常葉小にあらわれた突風のかたまりも、一頭の竜となり巨大な羽を動かし、透明の火を吹きだした。万国旗のはためきが耳にせわしく鳴り、その中の一本がついにひきちぎれた。旗はつぎつぎと糸から放たれ、紙くずのように空の彼方へ消えていく。テントのポールも布地といっしょに地面から浮き上がっている。国旗も、団旗もすべてがバタバタと激しくゆれていた。
一分ほどたっただろうか。風がすこしずつ弱まり始めたとき、センダンの木の異変に気づいたのは、向かい側にいた児童や親たちだった。
「あぶない!!」
「たおれかかってるぞ!!」
両親にはさまれ立っていた林先生が、クック船長のままアナウンス席に駆けもどった。 「みなさん避難してください。センダンの木のそばにいる人は離れてください」
スーパーマンも、児童や見学者の誘導のため、千切れたマントを振子のようにゆらし飛び出した。サングラスたちも、根もとに近づき倒れる方向を見定めようと必死になる。
チョンマゲやバスガイドは、センダンの木がたおれてもとどかない場所で、なりゆきをおろおろしながら見守っている。
「林先生、そのテントにいたらあぶないですよ」
プーさんから顔だけだした田口先生が、無我夢中でマイクをはなさない初任教師をつれだした。
「そっちへいくぞ」
叫んだのは、サングラスだった。
センダンの木はゆっくり傾き、ささえていた四本の丸太を髪どめのようにやすやすとはねとばした。巻かれていた太い縄や針金をきゅうくつそうにひきちぎり、中で固定されていた鉄板とボルトをねじまげた。ギギーッという鈍い音とともに、加速がつくと空気を切るような鋭い摩擦音へかわり、最後は波しぶきのような破裂音で地面にたたきつけられた。 マンモスはふたたび、倒れてしまった。
無事だった本部テントへもどった林先生が、袴を引きずり遅れてきた校長に耳打ちされながらアナウンスを再開する。
「みなさんだいじょうぶでしたか。各先生は児童の様子を確認の上、ご連絡ください。また確認が終了しましたら、急ではありますが閉会式にうつりたいと思います」
「ねえ、なにがあったの?」
ゲームをしに教室と運動場を行き来していた子が数人、キョトンとした顔でもどってきた。つぶさに見ていたツトムもケンタも、答える気になれない。
どよめいていた見学客も、じょじょにもとの場所へもどりはじめた。
「パンがやけました。パンがやけました。やきたてパンです」
リョウの声がした。リョウが、試食のパンをカゴに入れ、まだ少々、青ざめている保護者の方へ何食わぬ顔で入っていく。自分もくるみパンをおいしそうにかじっている。焼き立ての香りがツトムやケンタたちのテントにまでとどき、鼻をくすぐった。
「数、あんまりないです。安全なパンです」
徐々に反響があっているようだ。おいしい。素朴な味、と声が上がり、一人、二人と気を取りなおしたように立ち上がり、車道にとめてある店舗へいきだした。
買ってきた人たちがもどってくると、さっそく味見している人もいる。
閉会式が始まったときには、車には長い列ができていた。
運動場の見学席はガランとしている。
ケンタたちはセンダンの木を横目に整列した。口ひげやリーゼントたちはマンモスをどける気力も、体力も残ってなさそうだ。
すべてのあいさつが終わったときだった。
パーン、パーン、パーーン
体育委員長の上げたバクチクが、曇り空をつきぬけるようにひびきわたった。
運動会はけっきょく、午前中で終わってしまった。
簡単な片づけも終わり、ケンタが校門を出ようとしたときだ。
「ケンタ、てつだってくれよ」
アキオの声がした。焼き上がったパンをザルにならべ、お客さんの注文を聞いては一個ずつ袋づめしている。
「ケンタくんのお父さん、パンづくりじょうずね」
同じクラスのみっちゃんが紙袋をかかえ、横をとおりすぎた。ケンタは照れくさそうに下を向いた。
「ケンタくん、じゃあーね」
ツトムが荷物を持つのを手伝いながら、マサミといっしょに帰っていく。
パンのふくろづめを手伝うため、ケンタが車の方へ行こうとしたときだ。
「ねえ、組たいそう、やっぱりあってたね」
ふり向くとカゴをもったリョウがいて、まだそのことにこだわっているようだった。
(了)