延也は、青野が好きだった。
少しいい加減で勝手なところもあったが、何か問題があったとき誰よりも親身になって心配してくれたし、それに大事なところは余計な口出しをせず、ちゃんと自分たち部員一人一人に考えさせてくれた。
『でも、今日は別だ』
延也は、吐き捨てるようにそう心の中で呟くと力一杯唇を噛んだ。『誰が、あんな先生の言うことなんか聞いてやるものか』そう思っただけで頬は自然と引き攣り、悔し涙が溢れてくる。すぐに仲間たちが寄ってきた。延也は、いっそのことここで思いきり泣いてみたかったが、キャプテンという立場から必死にそれを堪え、汗を拭うふりをした。
「さあ、後片付けして帰ろう」
延也が、そう言うと
「ノブちゃん、先生ひどすぎるよ」
義夫が、まだ興奮冷めやらぬ様子で、顔全体を紅潮させ延也の隣にやってきた。さっき、床にボールを叩き付けた子である。五年生だが、体格は延也と孝に次いで三番目に大きい。いつの間に拾ったのか手にはそのときのボールを持っていて諦めきれないように前へ急にドリブルし駆け出すと、ゴール目掛けシュートした。ボールは大きく弧を描きながらボードに当たり、そのまま網に入らずリングにぶつかった後落下した。床で二度三度とバウンドしその音が体育館に響いた。いそいでボールを取り返ってきた義夫は、
「タカシ君が悪いんじゃないか。急にあんなこと言って。ノブちゃんの止めるのもちっとも聞かなくってさ」
息を弾ませるようにそう言い、延也に人なつっこそうに同意を求めてくるのだ。
延也は、黙って何も返事をしなかった。だが、その怒りを知っている義夫は、畳み掛けるように、
「だいたい、あいつが入ってきてから、部活が全然面白くなくなったよね」
今度は、ボールを右手で軽く投げ上げている。
義夫は、バスケットが好きだ。もっと練習をして上手くなりたいと思っている。たくさん試合をやり、自分が一本でも多くシュートを決め勝ってみたい。それが、今の義夫の望みだ。義夫だけでなく、バスケットをする子なら誰でも持っている希望だろう。ところが最近の青野は、特にそんな部員たちの欲求を充分満足させてよろうとしていない。そのことを子どもたちは、薄々感づき始めている。もうすぐ、二学期最後の秋の地区大会だというのに、自分たちのチームはまた一回戦で負けてしまうのだろうか。実を言うと義夫の胸の奥にはそれが一番大きく気に掛かっている。惨めに負けるのはもう懲り懲りなのだ。これ以上、タカシ一人のために練習が出来ないなんて御免だ。けれど、義夫が一人でそう考えているだけでは道は拓けてこない。延也にもその気持ちを伝えなければ。
もし、延也がその気になってくれたら、皆は、きっと彼の言うことを訊いて、帰らずに自分たちだけで練習を始めることを承諾してくれるだろう。それほどまでに、延也のキャプテンとして得ている仲間たちからの信頼は厚い。とても五年生の義夫の比ではない。だから、義夫はそうなることを今は、誰よりも待ち望んでいた。
「ねえ、ノブちゃん、僕たちだけで部活やろうよ」
義夫が、ついに思い余りそう洩らしたのも無理はなかった。他の子たちが既にボールを倉庫のカゴの中に入れ、体操着のままカバンやランドセルを背負い帰ろうとしたそのときだ。義夫は、その一語一語を喉元から押出すとき心臓の鼓動が激しく高鳴り、声が思いなし上ずるのがよくわかった。きっと表情も怖いくらいに強張り、いつもの義夫らしい明るさは消えてなくなっていたに違いない。それに引き換え延也の方は、意外なほど冷静な受けとめ方だった。彼は、義夫のその一言に小さく頷くと帰りかけていた子たちに投げ掛けるように言った。
「片付けはとりやめ。せっかく皆集まったんだから、練習したい子は残ってやっていこう」