「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『具体的な風』・その三

 

 その頃、青野は、校門を後にして木村孝の家へ向かっていた。
 学校から五百メートルほど離れた公営住宅の団地の中にあり、第一棟の三階がそれだった。周辺には、ここ数年来拡がってきた宅地に民家がひしめき、古くなったその団地を取り囲むようにして建っている。団地は、鉄筋の四階建てで全部で三棟並んでいて、それらには母子住宅と福祉住宅も含まれていた。孝の家もその中の一つだ。
 青野は、団地の中に入り、「ゴミ出し場」と書かれた立て札の横脇に立ち止まった。急ぎ足で来たためか、背中から汗が滲みシャツとの間でちくちくと甘く痛んだようでむず痒い。視線を上げ、念のため棟の番号と部屋の位置を外から確かめてみる。孝のいるであろう部屋がベランダ越しに見えたが、カーテンが閉め切られ中の様子は全くわからない。青野は、一瞬表情を曇らせたもののまたすぐ平常に戻し、そのまま昇降口へ歩き、荒打ちのセメントで固められた階段を上り始めた。
 大人二人がようやく擦れ違える程の幅しかないその階段は、階の中間に差し掛かるたびに「く」の字型に折れ曲がり、光のとどきにくい奥まったところは昼間でも薄暗く森閑とした空気が漂っていた。息せき切る間もなく、一挙に三階まで上り着いた青野は、『木村ヨウコ、タカシ』と名前の部分だけカタカナ書きされた嵌め込み式の表札を右横の正面玄関に認め、ブザーを押した。
 三度鳴らし、扉を二度ほど叩いて呼んでみたが、孝は出て来なかった。母親が、仕事先から帰るにはまだたっぷりと時間がある。彼女は、スーパーのレジ係りとしてここから少し離れたバイパス沿いのショッピング・センターにバスで通勤している。青野は、思わず渋い顔になった。
 『こうなれば、持久戦だな』
 彼は、階段に腰を下ろし陣取ってから、けっして慌てず気長に時間が過ぎていくのを待つことにした。

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