「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』秋号(137号.2023.10.10発行 )をご紹介します。

皆様へ、中秋のご挨拶をさせていただきます。
2023.10.10  夢屋代表 宮本誠一

カッと陽射しが照り付けていたかと思うと、一天にわかに掻き曇り雷が鳴り響く。そんな夏の様相から、朝夕、涼風が肌をかすめ、ようやく秋めいてきた今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。おかげさまでメンバーは皆、大きな事故や病気もなく元気に活動しています。児童の「見守り隊」も登校時はお隣の前区長笹木郁夫さんご夫婦を中心に御薬師様~国道~線路を過ぎて踊り山、下校時は民生委員で夢屋副代表の竹原ナホ子さんが空き家の多い公民館近辺を中心にチームワークよくやっております。阿蘇小の後藤昭校長も熱心に参加されており、児童の何気ない変化や様子など気づいたことを伝えながら情報だけでなく信頼を深めています。改めて、いざ何かがあってからではなく、日頃からのやりとりが一番大事なのではと実感する今日この頃です。
さて、世間ではジャニーズの性被害問題が大きく取り上げられていますが、「芸能界」というこれまで、ある意味、特別な場所(とされてきた)ゆえに見て見ぬふりですまされてきたことが、国際レベルの視点が入ることで、そのあやふやなベールからの脱皮が求められ、被害と加害の立場を明確にした上での責任が問われる時代が来た感があります。前号でも書きましたがジェンダーギャップ指数を始め、あらゆる差別や人権に関する指標が世界基準に届かぬ日本は、今後も常に外国から厳しい目が注がれるでしょうし、「芸能界」に限らず、様々な分野での改革が急務であると感じます。
そんな中、目の覚めるような文言にも出会いました。「人権を損なってまで必要な売上げは1円たりともありません」アサヒグループホールディングスの勝木敦志社長の言葉です。ここでの「売上げ」と「1円」はいろんなものに替えることができないでしょうか。たとえばスポーツや技を競う大会なら「人権を損なってまで必要な勝利は1勝たりともありません」、創作でしたら「人権を損なってまで必要な作品は1つたりもありません」、日頃の活動なら「人権を損なってまで必要な活動は1日たりともありません」と。ここまで厳しく律する生き方が私自身出来るかどうかは、こころもとなく自信もないですが、これを機に深く肝に銘じ作業所運営に当たっていきたいと思います。それでは8月から11月までの行事(予定を含む)をご報告させて頂きたいと思います。
8/12~14、8/16~18、9/1~4に3組の方が森の家「ノナティー」をご利用。
8/17 オルモ・コッピアで課題別研修会の慰労昼食会。(メンバー、スタッフ参加者8名)
9/20メンバーの中島地利世さんの新居探しと手続きが阿蘇コミュニティセンターヒューマン21の国武香さん、市の住宅環境課の中田繁俊さん、町2区長山部公望さんらの尽力で無事完了。
9/11 阿蘇市障がい者計画等策定委員会に宮本出席(委嘱状交付後、アンケート内容等で論議)
9/27熊本YMCA福祉会理事会(第1次補正予算承認の件と報告等)に宮本が出席(尾ケ石保育園)
10/14パラスポーツ体験会(阿蘇市体育館)にメンバーとスタッフが参加。
11/3 蔵原地区の御薬師講に夢屋も例年のように手作りの行燈を灯す形で参加。
上記の9/11の障がい者計画等策定委員会では6項目に意見を述べさせて頂き、担当者からは前向きに取り入れる旨の返答を頂戴し、実際、一週間後、すべて修正した紙面を最終確認のため送付して頂きました。阿蘇市行政の素早い対応と、障がい当事者目線に立っての環境づくり、並び柔軟かつ誠実な姿勢に改めて深く敬意を持つ次第です。本当にありがとうございました。ああ、やっちゃいました(苦笑)。バイクで熊本市内の事業所へ向かっていたとき、菊陽のドンキホーテの手前で、車の側面に追突する事故を起こしていました。横転し、あばら骨を折る始末。相手が一旦停止しなかったとはいえ、ほんと、気をつけなきゃいけませんね。皆さんもくれぐれもお気をつけください。夢屋の宮本さんとはこうして定期的に連絡を取って下さり、心強い限りです。ありがとうございます。

 

〇この夏の思い出           下村津代

とにかく暑かった、まずこれにつきます。ロダンを連れての散歩は、私以上に犬が暑さは苦手ですから、無理させないように、それまで9時くらいの出発を4時にし、1時間くらい散歩をし、9月になっても暑さが治まらず、6時くらいでした。物価高も大変で、できるだけ安いところへ同行支援の方と出かけ、ロダンにはこれまでどおり満足のいくだけ食べてほしいので、いろんな面で私自身の必要なものを切り詰めていくしかないかなと思案しているところです。
また、外出して思うのは、盲導犬との生活を始めた20年前はえっと驚くような反応、例えば隣にいた人が「シッダウン」や「ゴー」と勝手に指示を与えたり、近づいてきて撫でるので、説明して触れないように言っても、わかったわかったと言ってはまた撫でる(私が見えないから気づかないだろうと思われている節がありました)。でも最近は、私も微力ながら、ここ十数年、小中学校の児童生徒さんや夢屋さん関係で学校職員の方々にマナーについてお話してきたことも少しはお役に立ったのか、ルールを守ってくれる人も増え、常識的な対応になってきました。
やはり地道に伝えていくことが理解を進めていく方法かなと感じています。

〇♡「十数年ぶりの電車で光の森(映画館)への旅」♡  中島 地利世(チトセ)

朝晩がだいぶ涼しく、落ち葉を見かけるようになると、私が一番好きな季節「秋」が近づいてきたな~と感じます。ちなみに、前号にも書きましたが一番苦手な季節は「夏」です。
今号では、そんな苦手な夏を忘れる癒やされた出来事を書きたいと思います。突然ですが、私は2021年にTBSで放送された、俳優「鈴木亮平」さん主演の「TOKYO MER~走る緊急救命室~」という医療ドラマが大好きです。7人の医療従事者が東京都を舞台に「ERカー」(現実には存在しません)という外国の救急車のようなサイレンを鳴らし、車内に医療機材、ベッド、無菌室にできる空調設備まで揃っていて、治療や手術もできる車で自ら現場に向います。そのうちの一人…チーフでもある医師「喜多見幸太」先生が「待っているだけじゃ救えない命がある」という言葉どおり、災害現場や事件現場まで、爆発する恐れがある建物やバスの中だろうと、レスキュー隊などの救助活動されている方達の注意を無視する(少し迷惑でもある先生なのですが)、患者の為なら何処へでも入って行くお話です。
そのドラマの劇場版が、今年の4月28日から上映される事が決まり、本当は、公開されてすぐにでも観に行きたかったのですが、何かと忙しく時間が取れず、半分諦めていましたが、家族で話し合って、自分達の方がストレスで先に倒れないように、「それぞれ交代で、一週間のうち一日くらいは自分の為だけに好きな事をする日を作ろう」と妹達が提案してくれ、私は、毎週 日曜日を自由に過ごせる事になりました。なので、「ようやく映画館に観に行ける!」と嬉しくてしょうがなかったです。
梅雨の時期に入り、残念な天気でしたが、どうせなら再開し、宮地駅からも乗れるようになった電車で行く事にしました。
朝5時に起床、準備して家を出たら、自宅から35分ほどかけて宮地駅まで歩いて行きました。無事に6時26分発の電車に乗り、安心して揺られていると「市ノ川駅」辺りから眠くなってきたので、少し仮眠しました。大津駅に着くと、光の森駅行きに乗り換えて、いざ目的地の「ゆめタウン」に到着!朝一番の上映時間なので、当然デパート本館の方は開店していなくて、映画館のお客さん用の入り口から入りました。直ぐに受付を済ませて、聴覚障害者の為のサービスで貸出されているヘッドフォンを申し込みました。それを持って席に着きました。周囲を見ると、老若男女問わず大人気の満席だったので、自分の事のように嬉しかったです。内容は、もしかしたらこれから観るのを楽しみにしている方へのネタバレになるといけないので、あまり具体的には書けませんが、まぁ…相変わらずの無茶ぶり喜多見先生で、でもすごくカッコよかったです。♪まだご存じない方は、絶対に一度は観て欲しいお勧めのドラマです。実際にこんな車「ERカー」や喜多見先生がいたら良いなと思いました。内容は知っているのに感動が治まらず、まさかの同じ映画を合計3回も観に行きました。(笑)次に観に行った時は、「あ!なるほど…」とまた違った視点で楽しむ事も出来ました。今度はDVDが発売されるのが楽しみで、早くまた観たいな…と、ここまでハマったドラマは初めてです。交通手段を考えなくて、もっと気軽に行けるように、「阿蘇に映画館ができたら良いのになぁ」と思いました。

〇7月24日に行われた阿蘇市学校人権・同和教育部会課題別研修会の感想を抜粋して載せさせていただきます。たくさんの貴重なご意見やお言葉、ありがとうございました。

●障がい者との関わりの有無についてかつての自分も、「ない」と言ってしまっていたと思います。私の場合、少年時代に障がいのある同級生とのかかわりあいで傷つけてしまった罪悪感を思い出したくなかったからです。しかし今は担任として発達障がいの生徒との関わりをもつようになり、話してくれたり頼ってくれることを経験し、後ろめたい気持ちも少なくなりました。
●「そもそも人と人との関係は損得で計れるものではなく、ただそこにいるだけで意味がある」という言葉が印象的でした。
●多様性を含め、一人一人の子どもの暮らしと向き合い、それぞれに居場所と出番のある学校の創造を目指す必要があると改めて感じた。
●自分自身、思い出してみると結構、これまでも障がい者とのかかわりがありました。でも記憶がかなり薄れている理由は、自分の中に『無関心』と言う部分があったのだと思います。
●自らの「こうあるべきだ」という意識だけでなく、無理のない関係で関わることの大切さを生徒にも家族にも伝えていきたいと感じました。
●人間は〈被害〉の面しか見ないときは集団としての存在だが、自己内に潜む〈加害〉面を意識したとき一人の人間として立ち現れるという宮本さんの言葉は真にその通りだと思いました。
●寛容⇔不寛容、合理⇔非合理と対立的にとらえるのでなく、包摂的に考えることの大切さも再認識すると同時に、じゃあ包摂的であればすべて解決するのか、など、言葉を簡単に受け入れず、考え続けていくことから目を背けてはいけないのだと思いました。
●「意味のある関係」はとても良い言葉だと思いました。夢屋のスタッフやメンバーの方々のやり取りをうかがっているとそれが体現されていて、本当に素敵だなと思いました。
●竹原さんが言われた「完璧な人間なんて誰一人もいない…」を聞いて「親しくなる」ときに「役に立とう」という思いはそう必要ないのかな…と感じました。
●障がい者と自らがかかわろうと意識するかどうかで障がい者に対する考え方は大きな違いが出ると感じました。今日の研修は今後生徒と向き合う中で大きな力となると思います。
●時々、“見て見ぬふりをしてしまう自分”がいます。自分の心を守るため見て見ぬふりをしてしまいます。自分はなんてずるいんだろうと思います。これではいけないと思います。でも、そんなずるい自分も自分です。ずるい自分と向き合いながら、決して投げ出したくない、という気持ちも大切にしながら、これからも子どもたちとかかわっていきたいと思います。
●残り少ない教員人生ですが竹原さんの「完璧な人間なんて誰一人もない」を自覚して、しっかり子どもたちと向き合っていきたいと思います。
●周りの出会う一人一人、知り合い、そして何よりも自分自身とも向き合っていかなくては。
●障がいがある方を傷つけてはいけないからと、これまで距離をとっていましたが、やはりそれは自分にとって都合のいい、相手への「差別」だったことに気づきました。
●相手を理解した上で「普通に接する」ということが大切なんだと感じました。
●障がい者と関わるときどのようにせっするべきなのかを改めて考えるきっかけになりました。
●「人は意識するかどうかで気づいたり気づかなかったりする」という言葉はひびきました。
●前の赴任地で被差別部落の子たちと出会い、自分自身の差別心に気づかされ、どうにかしたいと思い、今に至ります。解放運動と出会えたのが私の原点であり、パワーの源です。
●夢屋の皆さんは小中学校を卒業し、今、多くの方の前で自分の言葉で生き生きとお話しされ、大変なこともあるかと思いますが、充実した日々を過ごされているんだろうなあと思いました。
●結局は、いろいろ理由をつけては障がい者の方と距離を置き、見て見ぬふりをしていたんだと思いました。そんな自分と向き合っていくことから出発したいと思います。
●私自身、兄弟のことがきっかけでいじめられていたがありました。私自身もいじめていた差別者でした。一人の人間として家族の一人として向き合ったり関わったりしていなかったことを後悔しています。今、担任している子どもたちも特性があります。その子たちが将来の自立に向けて、今、どんな力をつけなければいけないかをもう一度見つめ直し、関わり、意味のある人でありつづけたいと思いました。

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