「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『具体的な風』・その八

 

 延也たちのバスケットの試合は、一回戦の大詰めに来ていた。一ゴール差で、今延也たちが、リードしている。このまま逃げ切ってくれたら。バドミントンの会場から駆けつけた君江も心配げに見守っていた。
 青野はベンチから躯を乗り出し気味に試合の成り行きを見詰め、体育館中に響く大きな声で選手たちに指示を与えていた。そんな彼の姿勢からもこの試合に賭ける意気込みが伝わってくる。
 木村孝が練習中飛び出してしまったあの一件以来、青野を始めとするバスケット部員たちは、突然生まれ変わったように猛練習を始めたのだった。そうなった詳しい経緯は、君江や他の者にはわからなかった。ただ、以前の青野とは別人のように彼が先頭となって子どもたちを引っぱり叱咤し、ときには罵声を浴びせるほどの厳しさで指導に当たりコーチを始めたのである。
 バスケット部の子どもたちは誰一人音を上げる者はいなかった。それどころかこれまで、バスケット部でありながらバスケットをすることに飢えていたかのように彼らは思う存分走り回り、掛け声とともにコートの中をボールを追いかけ動き回ったのだ。
 試合は、今、渦中にあった。
 孝が延也から長いパスをもらう。ドリブルで一人躱しシュートするが決まらない。すかさず向こうのチャンスだ。相手チームは春の大会の準優勝チームで実力ははるかに延也たちを上回っていた。だが、時間は残すところ後一分少々となり、相手にとっても苦しい試合展開となっていた。向こうも必死だ。延也たちは、予想外の大健闘をしていたのである。
 延也たちは、素早くゾーンを引いた。一人一人の実力ではとても勝目がないと見て取った青野は、徹底したゾーン・ディフェンスで守り通す構えでいた。ところが相手も凄まじいまでの巻き返しを図り、こちらのスタミナが消耗したのをいいことにオフェンスの外側から中へドリブルか短いパスによって切り込む作戦に出始めた。今も、ボールを小刻みに繋いだ相手は、速攻で相手のキャプテン自らランニング・ショットを放ったばかりなのだ。ボールは、君江たちの心配をよそにリバウンドすることもなくそのまま真っ直ぐ網の中へと納まってしまう。たちまちこれで同点である。
 青野は、息も絶え絶えな子どもたちの初めて見せる苦しそうな姿を目の当たりにして、試合の動静を見詰めつづけた。手元のストップ・ウオッチを見る。残り時間は三十秒を切っている。タイム・アウトは、既に規定の回数をとっていてもちろんできない。延也が、しっかりやっていこうと声を掛け皆を励ます。こちらからのスローインで試合は再開される。
 何度か攻防を繰り返した後、十秒前になって相手の選手が義夫の躯と接触し、ファウルを取られた。義夫にはフリースローが与えられる。うまくいけば再び勝ち越せるかもしれない、おそらく最後のチャンスがやってきたのだ。誰の胸にもそんな思いが過ぎる。場内が静まり返る一瞬だ。
 一本目。ボールは僅かに右に逸れ、そのままリングに撥ね返り床に落ちた。応援サイドから落胆の声が二、三洩れるがすぐに次の二本目へと期待は移った。再び水を打ったような静けさがやってくる。君江も息を呑んだ。
 二本目。義夫の長い腕から投げ出されたボールは、高さのかなりある弧を描きながら飛んでいった。ボールは、そのままバスケットゴールの辺りで、急速に下降する。まだわからない。リングがその球面に微かに触れた。だが、音はしない。
 「入れ!」
 延也たちチームの中の一人が叫んだ。ボールは、ストロボの連続写真を見るようにそのまま静止した状態をとどめ、回転しながら落ちていった。歓声が一挙に上がった。
 「入った!」
 またチームの誰かが叫んだ。ネットが揺れている。そこが心地良いと言いたげに通過した軌跡が見える。ボールは床に落ち転がっている。ホイッスルが高く鳴った。再び歓声が、一段と上がる。「決まった」義夫が飛び上がらんばかりに喜んでいる。皆も同様だ。コート中を跳ね回っている。青野も一緒に抱き合いたい心境だ。しかし、試合はまだ終わったわけではない。相手の攻撃は、既に始まっている。
 「後十秒、がんばるんだ」
 彼は、選手たちの気持ちを引き締めようと檄を飛ばした。選手たちは、各々に声を上げそれに応えた。
 十、九、八……、ゲーム終了のホイッスルが鳴るが早いか、青野たちはお祭り騒ぎとなっていた。一点差のままとうとう逃げ切ってしまったのだ。応援していた子どもたちや君江も、まるで優勝したかのような喜び様だ。中でも青野は、これまでの鬼コーチ振りが嘘のように一人一人の子どもたちと手を取り合い踊り上がっている。試合終了の挨拶もまだ終わっていないというのに。相手チームの方からは、そんな眉を顰める者も出てくる始末だ。
 挨拶のため静まったのもほんの束の間、それが終わると今度は、青野たちは胴上げを始めたのだった。延也が、孝が、六年生全員が順繰りに子どもたちの手に載って宙を舞っていく。青野と君江もそれを手伝い、合間合間に頻りに拍手し声援を送った。
 次の試合のことはそのとき、誰の頭の中からも消え去り無くなっている。

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