「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケイショナル・スノウ』その七

            第六の報告
 閣下、第二の報告にありました作文について、あとでくわしくお話しする約束になっておりました。そこでこの報告文では、そのことについてできるだけご理解いただけるようご説明いたしたいと思います。
 最初の作文を書いた子、名前を綾としておきます。綾は、今年中学に入学したばかりの女の子で、顔立ちは非常に端正なつくりをしていて美しく、肌の色は白く一見したところその白さばかりが際立ち、周囲に感嘆と溜息の入り交じった距離感を自然に与えてしまう、そんな子です。わたくしも実際に内密に手に入れたフィルムを見ましたが、額から自然な形で下りてきて、なだらかに繋ぐことでより控え目ではありますが着実に存在を増す二つの瞳が実に印象的でした。ときには潤んだように見開かれるその瞳は、何かを訴えかけるようでもあり、そうでなくただなんとなくゆったりと先を見ているしかできない、そんな思わず息のつまってしまう、重苦しさとはまた違った意味での雰囲気が醸し出されているようにも思われます。閣下、生命が起伏を徐々に変えながらもついに盛り上がることができず、そのまま弱まっていく姿を見る側に写しとらせ、それでいて輝きを全く失うことなくほのかにその閃光を引きのばすことで濃密さを増していっている、そう申せばおわかりいただけるでしょうか。私は、視察団の一員として、その少女を見るたびにそんなふうに感じます。
 綾が初めてセンターによって実験的につくられようとしている『ガッコウ』というべきか『JUKU』というべきか、報告する私たちも、その差異がわからなくなってきているのですが、そこに母親と一緒に姿をあらわしたのは、CAN教育センターの常務瀬上がBブロックに赴任したころのことです。わたしたちはその当時から既に視察とは別に調査官を忍び込ませ、実態を把握させておりました。調査官は瀬上のすぐ近くにいるポストをつかみ、社員になりすまし微々にわたり記録してまいったわけです。よってこれからのご報告文は、より裏側を克明に記録しきったほどの信憑性の高いものです。潜入したその男はあらゆるところに神経を配り、様々な精密機器を設置しわたしたちの模範となるべく勤勉に情報の収集に励んでくれました。
 母親は、本来なら綾の弟の健一のことについて話をしなければならないはずだったのですが、姉の綾についてとにかく早急に瀬上に相談したかったらしく、センターの懇談会が終わってからもしばしば彼に会っていたようです。綾は、不登校がかさみ、出席率が低く学校の授業についていけなくなっていました。現在でもそうですが、当時、この地域の学校では、JUKU教育に負けないように小学校のうちから補習制度が取り入れられ必ず週に数時間は、放課後担任の教師によってそれを実行するよう義務づけられていました。既に教員たちは、この地では前回の紛争の後に生まれた者が大半を占めるようになり、教員の『クミアイ』組織率も落ち込み、また個々の教師の意識もあやふやなものになりつつあったのです。それどころか、むしろ受験競争の中で育った若い教師たちが大半をしめるようになると無給の補習であろうが別に疑問も抱かず、自分らのクラスから『ユウメイシリツ』の合格者を増やすことを誇りとしながら、当然のように競い合う図式が増えてまいりました。また、この地の教育にとっては信じられぬくらいの統制力を発揮する『シドウヨウリョウ』もまた、当初はその謳い文句として子どもひとりひとりの「興味」「関心」 「意欲」の三本の柱が上げられておりましたが、それがやがて「能力」「課題」「評価」というそれまでそれらの陰に引きこもっていた脇役が主役の座に取って変わるなど、徐々に正体を現し出してきたことが、初め両手を挙げ嬉々としていた教師たちもそれに気づき、対処しようとしたときは取り返しのつかない現実となってしまっていたのです。当然、補習授業の方もふれこみが子どもたちによる自由参加だったため、学習になかなかついていけない子たちより、むしろ充分すぎる学力を持つ子どもの方が進んで受講していくことになってしまったことは、なんとも皮肉なことです。その救済策として学校側は補習を受ける必要のある子だけを残していき、必要のない子は帰ってもらうことになったのですが、たちまち不公平だという保護者からの抗議が殺到し、初めのとおり希望者であれば誰もが参加できるようになっていったとのことです。しかし、閣下、それに参加する子は相変わらずJUKUにも依然同じように通っていたことは明らであります。つまりJUKU産業にこれ以上追い討ちをかけられまいと『モンブショウ』がやっきとなって打ち出した『シドウヨウリョウ』の改訂と学力の弱い生徒や児童のための制度化した補習制は、結局は、出来る子と出来ない子との学力差を益々広げてしまうことになってしまったのです。結果的にセンターを始めJUKUは、いよいよその存在を確固たるものにしていくことになってしまいました。
 さて、ずいぶん前置きが長くなりましたが、ようやく話を作文の件に戻したいと思います。総司令官閣下、この報告文の中心は、その少女綾が、この地域の西の島に面する『レモラ・ハウス』という施設の中に母親と弟の三人でやって来たときのものです。まず、レモラとは、小さな幻想上の魚であることを言っておかねばなりません。鱗の中に持っている吸盤を使って船底に吸いつきどんなに勢いよく走る船さえも止めてしまう、そんな不思議な力があるとされている魚です。おそらくは、閣下につきましては、その躰の小ささからたくさんのレモラが、中央に背骨の張った滑らかな船底に、あたり構わずびっしりと吸いついてヒレやエラを懸命に動かし流れに逆らおうとする姿が思い浮かんでこられることでしょう。相手が船でなくとも、この場合小判ザメのようにあちら側が同じ魚であることも充分に考えられます。レモラは別に『ショウガイ』という意味も持っているそうです。順風万帆に進む帆船に螢光塗料をたっぷり吹きつけたように青白く光を放すレモラが群れを成します。閣下はご想像がおできになられますか。魚鱗を浮かべたレモラの群れは月の光を受け、海面を鮮やかに疾走します。レモラは止める力だけでなく周囲のものを呼び寄せてしまう力も持っているのです。快調に走るかに見える船は実はそうではなく、彼らが予期せぬ方角へと進んでいくのがその真実の姿です。彼らには、彼ら自身を止める力はありません。レモラは、そんなとき闇夜に水飛沫を上げ、人知れず輝きを増すのです。
 センターがつくろうとしていた保養所を兼ねた合宿所に、この名前をつけたのもやはり創案者である常務の瀬上でした。彼は、既に申し上げましたとおりJUKUという産業にかかわりながら、いずれ今の形での経営状態は終わり、自らの力で何とか今の教育の流れを変えてみたいと考えている人間の一人でした。そのため彼は代表の片桐を要所要所でうまく使い、なんとかここまで漕ぎ着けた観さえあります。と言っても彼は、センターそのものを消滅させようとしているのではなかったようです。これから別の形でのJUKU発展を見た場合、やはり自分が思っていることが最も理想的な方法であると信じ込んではおりましたが、それを実現するにはやはり豊富な資金源と人材を持つセンターが必要不可欠な存在であるとも考えていたのでした。
 さて、その日、調査官の言葉に従いますと母親は、綾の相談にいったとき、海が見渡せるこのハウス自慢の総ガラスに覆われた三階ラウンジで瀬上と会っていたということです。瀬上はソファアにゆったりと腰かけ外の景色を見つめていましたが、日を浴びてできる表情の陰りが感慨深い様相を呈しながら、彼はふっと溜息をついたと、記録には表記されています。合わせて母親はどこか疲れたような、しかしそれを相手に気づかせぬ口調で、しきりに常務に何かを訊ねていたと申します。瀬上は、ソファアからゆっくり立ち上がると母親の方を振り返らずに、そのままリノリウムの敷きつめられた床を靴先で確かめるようにかるく蹴ったらしく、おそらくそのときは、甲高い音が二人の間を掠めると同時に他に誰もいないラウンジに響き返ったにちがいありません。瀬上はそのときなにかを綾の母親に告げました。母親の方は、まだ内に持った疲れを丁寧に解きほぐすように足を組み直し、わだかまりがもしあるとするならば、その足先から玉つづきとなって零れ落ちてくるようであったとその調査官は私へも熱心に報告してくれました。
 母親がつぎにだしたある言葉のあと、常務は初めて驚きの表情でふりかえったそうです。彼は、母親のおそらくは叫ぶだけで泣き崩れることはないであろうある種の強さを含んだ、濃い眉が中心をしめているように思える、その顔をまじまじと見つめていたそうなのです。瀬上にはめずらしく、苦虫を噛みつぶしたようなうつむいた表情だったとも言います。二人の話が会話というには、あまりにたどたどしいものだったことは、調査官も語ったことですし、後で提出された文書にもはっきりとそのことは明記されています。知らず知らず過ぎ去った歳月がそのぎくしゃくした隙間にできた空洞に暗い闇のように感じられるようだった、と細かく比喩をこめて書いてあるのです。母親と瀬上とがどんな関係だったのか、私どもにもくわしくはわかりかねます。ただ、そのときの心理が、あまり思い出したくない気持ちとは裏腹に、これまでに過ぎた年月をまるで嘘のように体感しながら躰の奥で谺し弾け散っていく心地ではなかったか、それとも、けっして容易には拭い去れない過去が泥濘のようにしてあったのでは、はたまた、目の前の硝子窓にある眼に見えない一点を見つめるような無明を差す言葉がつづいていったのではと、こちらはこちらなりにいろいろと想像するだけです。
 そんなふたりの間に暫く沈黙がつづいたときも、海はすぐそこにあるのに波の音は厚い断熱硝子によって遮断され、とどいて来ないつくりになっていました。それがかえってふたりの間に苛立たしさを覚えさせたのでしょうか。海岸線へつづく道路とを挾んで拵えられたかなり広い前庭には人夫たちが、おそらくこのハウスの最後の仕事とも言える芝張りをやっていたらしいのですが、踞んだ後ろ姿が適当に散らばりながら小まめに前後に移動していた風景をふたりは耐えいるようにじっと見つめていたそうです。
 瀬上は、ソファアから身を乗り出すようにやや背を倒し、膝の辺りで手を組み、ゆっくりとあの作文の趣旨を母親に説明しはじめました。

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