「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケイショナル・スノウ』その八

             第七の報告
 
 総司令官閣下、この記録が、綾と健一が好きな海岸の砂浜へ遊びにいっているときのものであることを前もってお伝えしておかねばなりません。そうです、あの作文を書いたセンターの二人の生徒は、その母親の子どもであり、姉弟だったのです。そして、この作文に関する訓練は、瀬上と母親のふたりで始められたものであることもお知らせしておかなければならないでしょう。
 まず、瀬上が、彼にとって生徒である姉弟にあのような作文を書かせたのは、自分一人の考えでやったわけではないことをそのとき母親に伝えたらしいことが調査によってわかってきました。そのとき、R地方進出へのより強い基盤をつくるために、センターでのテーマは『虹』と『滝』 のイメージに絞られていたのは事実です。そこで、それに見合った内容の作文が必要とされ、会員数を増やすためには、説明会でその成果を出すことが求められていたようです。その場でどれだけ両親たちを説得し、入会したときの価値を信じ込ませるか、そこに事業のすべてはかかっています。そのために彼らは、最初から両親たちをも自分たちの術中に治めるために綿密な計画を練らなければなりませんでした。つまり、集団催眠の要領です。そこでそのときの説明会では、とくに常務のねらいとして新しい試みをやりたかったのです。それは、いつものそれなりに出来る子の受験パターンだけではなく、かつて学校を不登校になり、排除されたかもしくは自ら拒否した子どもらがセンターの指導によって立ち直り、それだけではなく立派に中学にも行けるようになった、あるいは有名中学や高校への合格も果たしたとなれば世間はどう思うか。そういったところを狙い、これまでJUKUに批判的だった者たちやマスコミに対し今まで以上に新しい評価をセンター自身に下させることは可能ではなかろうかと、そう彼らは考えていたのでした。 この母親は、そのようなセンターの思惑をまったく知りませんでした。もしかすると、そのとき母親は、娘や息子が通い、彼らに与えられていたセンターの学習内容の真否をはっきりさせたくて、わざわざ瀬上と話をしていたのかも知れません。たしかに姉も弟も、少しずつですが、センターの設定した規則の中で生活するにつれ、徐々にリズムを取り戻してきていたことは、何をかくそうこの母親自身が最も明確に気づいていたことだったのですから。しかし、そこにはむしろそれまで持っていたふたりの子どもの生き生きとした表情が消え、暗い夜更けの海のように沈み込んだ印象がどことなく生まれてきていることも感じられないでもなかったようです。閣下、報告によるとふたりの子どもに母親が望んでいたものは、そんな表面的なものではもちろんありませんでした。もしかするとセンターのために自分の娘や息子を試験材料に使われたのではないかと危惧した母親は、しばらく子どもたちの精神的な回復を素直に喜べない悲しみにくれた可能性さえあります。母親にその時点でどうとられようが、瀬上には彼女に対し、納得のいく説明ができないことは、閣下にも充分わかっていただけることでしょう。二年前、この母親と偶然センターで会ったとき、その娘の話を彼女から瀬上は聞きました。小学校四年生のころから学校になかなか行こうとしなくなったということをです。それらは細かく、記録にも書いてあります。その前兆はそれまでにあったにせよ、母親が娘に理由を聞いてもその内実はわからなくなっていたそうです。いじめられているのではないかと心配になって学校を訪ねても担任はこっちでは別に問題はないと言って逆に彼女を突っ撥ね、反対に家での教育の問題を上げてきたと言いますから驚きです。頂度そんなとき弟の健一が、どこから聞いて来たのかセンターのことをしきりに母親に口にし始め、自分もぜひそこへ行って勉強してみたいと言い出したのがそもそもセンターにこの姉弟がきはじめたきっかけなのです。
 健一がセンターへ通いはじめてから最初の教育相談に行ってみたとき、母親はわずかながら期待を持ち、興奮し、血液の鼓動が少しばかり早まったかのように蒼ざめていたと記されています。洗練された言葉づかい、磨き上げられた建物の内部、厚い接待と熱心な相談、どれをとってみてもそれまで母親が経験したことのない教育サービスだったことが一因していることでしょう。ここに娘と息子をまかせても大丈夫なのではないか、そう母親が思っても少しも不思議でなかったわけです。そしてこれはもうひとつ重要なことですが、八年前、突然蒸発してしまった彼女の夫の面影も瀬上には、かなり多くふくまれていることを母親はしみじみとある友人に漏らしているということです。八年間も姿をくらましていた自分の夫とそっくりの人物が澄まし顔で待っていて、『こちらへ、どうぞ』と言った驚きを、閣下、まさしく心の臓が抉られるほどであったと表現してもけっして言い過ぎではないでしょう。母親は、興奮を抑え切れぬように唇を噛んでいたそうです。しかし、それからは母親の凄さが調査官の目を引きました。母親は、動揺を周囲に気取られぬよう、息子のことよりむしろ娘のことを涙ながらに喋り出したそうなのです。さすがの瀬上もそれには敏感になにかを察知したらしく、自分がまるで彼女にとって身内のものかだれかで、うらみでも晴らされているようで芯からゾッとしたと、のちに部下の一人につぶやいています。母親のあまりの興奮ぶりに、彼はついつい苦笑してしまいそうにもなりましたが、不謹慎に思え、それはできなかったとさらに備考欄にはあります。
 それから母親は弟の健一をセンターにやり、一年間もの間、教育相談のたびに講師と保護者という形で瀬上と会っていたわけです。ふたりの関係が個人的なものとしてさらに発展していったのかどうかは、まだ私どもにもわかりかねます。ただ、はっきりしていることは、母親が、瀬上にもし抱きはじめたとしても不思議でないその特別な感情を、彼女は彼にそれまで一言も言いださなかったということです。ここからはわたくしの想像ですが、瀬上は、もしかするとそのとき『レモラ・ハウス』でそのことを告白され、その返答に困っていたのかもしれません。もしそうだとするならば、母親も本気だったはずです。彼女はしばらく躊躇した後、決心したように言葉をついだと思われます。
 総司令官閣下、ここで確認しておかねばならないことは、そのとき彼女自身、瀬上に申しわけなく思っていたところがなくもなかったということです。確かに瀬上は、おそろしいほど彼女とふたりの子どもを置いて消えた男に似ていることは事実でした。しかし、それもこれも勝手な母親自身の思い込みにすぎなかったようです。ただそのことが、ついほかの他人に相談しないことまで彼に持ちかけるきっかけをつくっていったとしても否定はできないことでしょう。母親の発言の記録がそのことをつよく物語っています。夫がいなくなってから一人になるといつも、彼女は、考えていたそうです。一緒にいるとき、ほんとうに夫の気持ちを考えたことが一度でもあったかどうかをです。いつも口喧しく教員試験を受けて通ってくれと、そのことばかり言っていたのではなかったか……。彼女の夫は小学校の教員をめざしていたらしく、臨時採用にはいくのですが、あるときから試験をパタリと受けようとはしなくなったと言います。その頃は実際に彼女からみて、夫がほんとうに小学校の教員に向いていると思っていたようですし、一日でも早くなってほしいと願っていたことは確かです。しかしそのことも、よく思い出してみると生活のことしか考えていなかった打算的な自分の姿が見えてくると彼女は述懐しています。そして夫が、一つのことをやり出すとほかのことは何も考えられなくなる人間だと知っていて、彼女の方もますますムキになりやり返していたようです。まるでそう言うのが妻としての役目だと信じているほどにです。そして、彼女の方から夫に、自分の本心、つまりもう教師になる気がないのならならなくてもいいということを言わなかった最後の理由は、やはり夫がいつか自分の口から直接彼女に、はっきり教員になる気がないことを話てくれると信じていたからだとも調書には書いてあります。ある学校の退任式の日から突然、夫が目の前から消え、八年がたち息子の健一がセンターに通い出して一年を経たとき、瀬上という相談相手が出現しました。彼にじっくりそのことを話せるようになったことは、彼女自身、正直嬉しかったことではないでしょうか。待っていた甲斐があったと感じたかもしれません。
 それからは瀬上の言うことを信じて、彼女は週に一度、この建物にふたりの子どもを連れて来るようになったのです。母親の方も最初は、おそらく瀬上が、自然に囲まれた雄大な場所でふたりの子どもたちと会って話をしたり遊んだりすることを楽しみにしているのだと思っていたふうに考えられます。現に、子どもたちは喜んでいましたし彼女の方も、まるでこれまでの時間を取り戻すかのように、彼の言ったとおりにしようと思い、勉強時間も、寝る時間も話す内容もここでの生活はすべてセンターで決められたとおりやってきたのでした。娘を立ち直らせようと彼女も弟も三人で必死にがんばってきたのです。そんな話をしている途中、母親の躰が少しづつですが顫え始めたと記録には明記されてあります。もちろん、瀬上自身も充分感じとっていたはずです。
 やがて常務、つまり瀬上の重い口がやっとひらき、最初にでたのは詫びの言葉だったそうです。ただ、その内容は詳しくは書いてありません。しかし、想像はつきます。閣下、ここからはわたくしの憶測で思うところを少しばかり書かせてください。瀬上は、自分は君たちを騙そうとしてこんなことをやってきたのではない。そのことだけはわかってほしい、そう言ったとも考えられます。彼も自分の生徒を立ち直らせることで精一杯だったのですから。母親から綾のことを相談されたとき、仕事とはいえ責任を感じて随分苦しんだことはわたくしどもにも痛いほどにわかります。もしかして、子どもがそういうふうになったのは幼いときに蒸発した、その父親が原因ではないかと他人ながらも考えたかもしれません。いや、おそらくそれも大きな理由の一つだったでしょう。とにかく、真面目な瀬上は自分なりになんとかしようと思ったのです。学校が駄目なら自分の手で、そう彼は考え、幸い、センターで瀬上は長年計画していたことを実行しようとしていたときでもありましたので、それを取り敢えずやってみようと思ったふうであることは、資料からも頷けます。つまり、綾のような子たちをここに呼んで教育して、再び社会の前線へ連れていけないかということをです。もちろん閣下、JUKUはそれ自体企業体であるわけですから営利の追及を怠るわけにはいきません。そこで、わたくしどもが考えるのは、その辺を旨くやりくりして押し進めながらやっていこうというのが瀬上の思惑だったのではないかということです。少しでもセンターが今と違った何か別のことを始めていけたとしたら、それが弾みとなって現在の受験だけにおぶさった子どもたちを餌にする、そんなJUKUや学校の在り方も少しはましになっていくのではないか、そう彼は思っていたようなのです。そこで、まず綾を教育し始めました。彼女がここに来て週に一度受けていた授業は、瀬上たちがデーターを提供することを条件に手をむすんでいる医者のスタッフと、センターが独自に研究を進めてきた学習カリキュラムとを繋ぎ合わせたメニューだったのです。母親も作文を読んだとき、少なからず娘が、いつのまにあんな作文を書けるようになったのかと意外に思ったことを我々調査団も、看過することはできません。
 しかし、母親は、たまりかね、叫ぶように言ったと次の記録にはあります。
 綾や健一をとおして、世間の現実を知っている母親にとってセンターがやろうとしていることは、まるで御伽噺の世界だったのですから……。そんなことを今望んでいるのは、センターにつとめる人間だけではないか、そうも思ったことでしょう。娘の綾に必要なのはそんな大それたものではなく、父親それ自身であったとも考えたのかもしれません。父親がいなくなってから確かに綾は、少しづつ変わっていったようです。まだあのとき五つだった綾ですが、母親の目からもわかるように感じ取っていたはずです。母親は母親なりに、一番悲しむべきは彼女よりむしろ娘の綾だったのかも知れないということを実感していたようなのです。
 父親がいなくなってから、弟の健一をなだめたり、母親に気を使ってくれたり、綾はほんとうによくやってくれたそうです。周囲の大人たちが呆れるぐらいにそれはつづきました。母親の父親、つまり綾の祖父が死んだときも、孫である彼女は涙一つ見せずに親戚たちに心配をかけまいと気を張っていたと言います。たった小学校三年生の彼女がです。閣下はご想像がおできになりますか。しかし、綾にも我慢の限界が来ていたことは確かだったのでしょう。少しずつ無意識にムリが溜まりに溜まっていはずです。弟の健一は、何にでも興味を持って夢中になれる子でそれほど心配はしていませんでしたが、綾はどこか違っていたそうです。いつも何か、考えごとがあるような、そんなところがあったと報告書には記されてあります。だからこそ、彼女は日頃からよく、なんでもいいから娘に対し、彼女の思っていることは自分に話してくれるよう、口が酸っぱくなるくらいに注意していたそうです。また、そこが自分の悪いところでもあったと、母親は反省と回顧を込めて述べていますが……。しかしついに、綾は、微笑んでいるだけで何も彼女には打ち明けてはくれなかったのです。一言で言えば、自分の努力が足りなかったのだと母親は、最後に瀬上にそうつぶやき後悔したと、調査官は、直接わたくしのもとへ出向き伝えてくれました。 そのときです。閣下、手もとの記録には「後方で扉の開く音がした」と書いてあります。 風の音のようでもあったかもしれませんが、壁と硝子によって締め切られ、まだ出来て間もない金属の匂いの立ち込めるその部屋に、そのような現象が起こるはずもありません。常務と母親は、椅子に座ったまま振り返りました。
 ふたつの影が、西日に黄金色に染められ、細長く壁に垂れながら、そこに映し出されていたそうです。
 『綾と健一が、浜辺から帰って来ていた』
 記録の最後の言葉はそこで終わっています。
 総司令官閣下、以上が作文のことに関する我々の調査のおもな内容です。      

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment