「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケイショナル・スノウ』その九

             第八の報告
 総司令官閣下、この地域の学校では人権集会というものがときどきあります。臨時採用教員である木村が二番目に赴任した学校でのことです。そこは担任の教師が眼の角膜に穴が開くという重い病気にかかり入院し、約半年間彼がその教員にかわって勤務することになりました。木村は、五年生を担当しました。
 人権集会は毎年一回行われています。児童たちの『イジメ』をなくし、『サベツ』をなくすために行われています。各学年、各クラス、それぞれに工夫した教材を使い準備のときから時間をかけ子どもたちと進めていくわけですが、それでも足並みはなかなかそろいません。それに反対する一部の教師たちもいるからです。閣下、子どもたちに協力したり、まとまることを表面では言いながら、それを実践する教師たちが支え合えないとはなんと皮肉なことでしょうか。ほとんどは教材をもとに作文を書かせたり、劇をつくったりし、いじめたり、いじめられたりした経験やそれへの取組みを全校児童の前で発表させたりするのですが、そのとき教師は少しでも強引な手を打ってはならないことは閣下にもおわかりいただけるかと思います。子どもたちが自分から発表すると言うまで、ただ語らいをやりながら待つしかないのです。
 正直なところ、木村自身、今思い出してみてその短い赴任期間にどこからどこまでが人権教育で、その実践であったのかたずねられたとした場合、はっきり答えることはできないはずです。その頃の毎日の彼の行動は、全て教員になって初めての試みでもありましたし、考えようによってはそのほとんどが彼を含めた子どもたち自身にとっての人権とは何かを否応なく突きつけられ考えさせられる日々であったとも言えなくもないからです。また、そうでなく、まったくそこから遠くかけ離れた健全で新鮮な毎日を過ごしていたと言えば、まさにそのとおりだも言えるでしょう。それは、はっきり申し上げて今は彼自身どちらとも言えませんし、そのときどきある一方へ傾いていたにせよ、自己満足の度合は相当なものであったろうことだけは推察されます。
 閣下、どの職場についてもそうでしょうが、彼にも、いくつかの忘れられない出来事があるようです。
 彼はそれを、ことあるごとに校内での研究会でレポートをしてきていました。一つは家庭訪問に行った時の事です。訪問のきっかけは向こうからやって来たそうです。かつてよく、いじめられていた女の児童の母親が、娘が最近またいじめられているようだと、他の親から聞きつけ心配でやって来たのです。実際に木村が見たところ、最近とくにいじめられているといった様子は、その子にはありませんでした。その児童には、人権作文を書いてもらって以来、木村も彼女と少しづつ会話を持つようになり、これからはお互いに弱いところを変えていこうと約束し合っていたところでもあったので、母親の訪問は、寝耳に水といった突拍子のない感覚を持ちました。そこで彼は、その時は彼女の最近の様子と、母親の会話の中に出てくる他の女の子二人の様子などを話し、仲良く問題なくやっていることを伝え、向こうも、それならば思っていたほどのことではないと幾分安心して帰って行ったとのことです。
 ところが、木村自身、そこだけの立ち話では納得がいかず、本当のところは彼一人が気づいていないだけで、実は彼女へのいじめは今もまだつづいているのではないかという不安も強まってきました。とにかくもう一度、彼女とじっくり話をしたい。彼はそう思い、児童の家を訪ねることにしたのです。 
 約一時間ほど木村は、話をしたと思います。母親も一緒でした。女の子は、最初なかなか口を開けようとしてくれませんでしたが、後の方になってようやくぽつりぽつりと話し始めました。悪口を言われたこと、除け者にされたこと、今でも遊んでいるとき、ときどき自分だけ仲間はずしにされ、相手にされないときがあること……。これまで学校でのそんな娘の様子を直接本人から聞いたことのなかった母親は、その児童の隣で黙って頷きながら涙を浮かべていたそうです。彼女は、しばらく話したあと黙り、木村がもう一度彼女がつき合っている女の子たちに声をかけてみることを約束し、そろそろ帰ろうかと立ち上がると、それをまた引き止めるかのように小さい声で話し出し、すぐにまた黙り、しばらくしてまた彼が立ち退くそぶりを見せると、ぼそぼそと話し出す、そんな様子だったと言います。
 次の日、他の子どもたちが音楽室へ行っている間に、木村は彼女を除いたいつもの遊び友だちを教室に残し話を始めました。
 まず、なぜ、木村は自分が彼女らを残らせたのかその理由を聞いてみました。三人は、すぐには返事をしませんでしたが、木村本人が彼女の家へ行ってきたことを話すと、黙っていた子たちもようやく交互に重い口を開け始めました。ジャンケンをして負け、自分が鬼になるといつもいじけてしまうから、こちらがいじめていなくともいじめているように見えてしまう。それが三人の一致した言分でした。彼女はたしかに躰も大きい方でなく、むしろクラスでは小さい方です。運動も、さして活発にできるわけではありません。彼女にとってジャンケンで負け、鬼になり追いかけたりボールを取ったりすることは、他の者が軽く受け流す以上に辛く、楽しいものではなかったに違いありません。同じ一緒にやる遊びの中にも、その中に常に弱い者への配慮がなければ、たとえその発端が悪気のない無邪気な気持ちで始まったものだとしても、つい、いつのまにか力のない者を除け者にしたり、ちょっとしたいたずら心が生まれ予期せぬ方向へ行ったりするものです。閣下、報告をする私どももそうではありませんか。それほど弱い者は相手の小さな行為にまで神経を配り、気をあれこれ回しているのです。
 木村は、彼女を入れ四人で、その日の放課後図書室を使い話し合いました。彼女には、自分のことをマイナスにとらず、考えや気持ちを自信をもって言って欲しいこと。そして後の三人にはそんな彼女の言葉をこれもまた、あたりまえに耳を向け、対等にやってほしいことなどをです。
 やがて、木村がその学校へ来て半年が過ぎようとしていたときに、もう一つ忘れられない出来事が起こりました。一人の男子児童が屋上でちょっとした騒ぎを起こしたのです。 その日、木村のクラスでは彼の サヨナラ会 を催すための学級会が行われていました。プログラムや彼への贈物まで決めるということで、木村には見に来ないで欲しいという学級委員の言葉を彼自身、悪い気もせず承知し職員室に残り、研究紀要に記載する資料まとめをしていたそうです。
 木村は、それでも職員室にいつまでもいるわけにはいかず、そろそろ出かけ、教室の後ろからこっそり覗いてやろうと思い、職員室の扉を開けました。頂度その時です。クラスのある子が息急き切って一人廊下を駆け、慌ててやって来たと言います。何でも、ある男の子が学級委員と言い争い、家に帰ると叫んでそのまま出て行ったらしいのです。その子は、母親との二人暮らしで喘息の病気があり、欠席の目立つ日頃はおとなしい子でした。木村は、勉強の遅れを取り戻させるためよくその子の家に足を運び、休んだ日には、もちろん顔を見にいっていました。その子が今、出て行ったと言うのです。
 木村は下駄箱へと急ぎました。靴はまだそのままにしてあり、彼は、ホッとして今度ははやる気持ちを押さえながら教室へ駆けもどりました。教室には、その子と男子児童の何人かが姿を消し、見当たりませんでした。木村は一瞬戸惑い、教室全体を見まわしふり返りました。その時、いなくなっていた中の一人の児童が突然、木村の視界の前に現れたのです。その子は、他の子たちは屋上にいると叫びました。屋上で男の子が自殺しようとしていると。木村は、それを聞くと間髪を入れず、その子に有無も言わせぬ勢いで肩口を掠めるようにして教室を出、屋上へと向かいました。屋上の鍵が壊れていたことは、前の日にも職員会議で問題になったばかりです。捨て猫や子犬らを拾って来て、給食の残り物で子どもたちが飼っていたということも上げられています。だが、そのとき彼の頭には、その子がとにかく無事であってくれることを願う気持しかありませんでした。
 吹き荒ぶ南風の中に躰を弄ばれるようにして、子どもたちはいました。白い鉄のフェンスから身を乗り出そうとする男の子を他のふたりが両側から取り押さえています。木村はそんな子どもたちに感謝しながら上から覆いかぶさるようにして抱き着いたそうです。やがてクラスの子たちの足音がし、全員が血相を変えてやって来ました。何人かの女の子らは、涙で瞳を腫らしていました。木村は、大声で全員、教室に帰っているように注意しました。そのとき彼の腕の中にいるその子は、何かを必死に耐えているようでした。屋上が見える位置にある教室や運動場では、授業は一時中断され、教師が、そして幾人かの児童が教師に叱られながらも窓越しに顔を突き出すようにして木村たちのいる方を見上げていました。遥か斜め下の職員室の窓の向こう側にも、気づいてか気づかないでか、校長と教頭の顔が小さく二つ並んでいるのが、彼にはよく分かったはずであると最後に記録には書いてあります。

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