「共」に「生」きる。 in 阿蘇

阿蘇市学校人権同和教育課題別研「共生」の教育に講師で行ってきました。

阿蘇市学校人権同和教育課題別研「共生」の教育に講師で行ってきました。
レポート内容は以下のとおりです。

~障がい者と健常者との〝出会い〟について考える~熊大に講話に行ってみての学生の感想から(第二弾)~
2023.7.24 夢屋代表 宮本誠一
1、はじめに
5/26に5年ぶり(前回は2018.1/19)に熊本大学の新入生180名を対象にメンバー、スタッフで講話に行ってきました。講義後、感想を書いてくれるのですが、そのとき私の頭にあったのは前回の記憶でした。有意義な学習ができたという内容が多くありがたい中、気になる点が一つあったのです。それは、そのような文脈でも、「今日、初めて障がい者と出会った」と答えた人が全体の38%もいたことでした。『果たして本当に出会いはこれまでなかったのか』その年の課題別研修会ではそのことを検証しようとメンバーの体験から再考し、わずか5人ではありますが、すべて小学までに何らかのはっきりとしたかかわり(いじめられたことも含む)を持ち、かつ記憶しており、熊大生との感覚と明確なズレをぬぐい切れませんでした。そしてある仮説を立てました。実は、学生は会ってないと思い込んでいても、実際はどこかで出会っていたのではないかと。本人の意識もさることながら、本来、健常者と障がい者の「共生」の感覚や場を育む役目の保護者や教師、周囲の人たちが両者の関係性を積み上げていく方へ積極的に向かわせていなかった可能性もあるのではないかということです。
2、<「無関係」と言う「関係」>をつくりあげていたものとは何か
今回、私は前回の感想内容を踏まえ、学生にこう投げかけました。「もしも感想に『今日初めて障がい者と出会った』とか書こうと思っていた人はもう一度、本当に『初めて』かを考えてほしい」と。すると返って来た感想の中にその部分が引っかかり、書いてくれた方が多くいました。
●障がいの方々とかかわった経験はありますかと聞かれたら、ないと言ってしまうと思います。しかし、最後の言葉を聞き、確かにあるかもと考え直しました。私は、障がい者は話したり伝えたり理解することが難しいと思っていて、確かに小学校や中学校に数人いましたが自ら関わろうとはしていませんでした。
●宮本さんの一言で、小学生の時に学校で、そして中学校の時に電車の中で障害者の方を目にした事があることを思い出しました。しかし私はその時、心の中で「自分とは違う」と考えたり、「不可解な行動をしていて少し怖い」と避けていました。本当に酷いことをしたと思います。 しかし、障害者についてあまり詳しく知らなかったり、そもそも考えてこなかった人は、昔の私と同じ考え方を持っている方もいると思います。差別をなくしていくためには、 健常者が障害者について考える機会を増やしていくことが重要だと思います。
「話したり伝えたり理解することが難しい」「自分とは違う」「怖い」という偏見や差別の壁を超えるにはどうすればいいか。
●小学校のころ特別支援学級や通級指導教室があり修学旅行などの行事ではいつも学級に通っていた障害児と同じ班でした。したいことを優先して好きなようにしていたことが幾度もあります。しかし話せば伝わるし話すことにより仲も深まった記憶があります。だから、障害があるというだけで接しにくい、関わりたくないと思うのではなく話してみるべきだと思います。
●宮本さんが障がいのある人に関わる時に役に立とうとしなくていい、その人にとって意味がある人になりなさい、と言われた時、なぜかすごくすっきりしました。私は、何か手伝えることはないかと役に立とうとするあまり、今まで友人として障がいのある人とあまり深く関わっていなかったと気づきました。私は今参加しているボランティアを通じ気負わずにまずは親しくなることを大事に障がい児や不登校児を支援していきたいです。
「接しにくい、関わりたくないと思うのではなく話して」みて「まずは親しくなる」こと。わかりきったことですが、やはりそれが最も重要であり、わかっていながらもなかなか壁が厚く難しいことではないか。一挙に「役に立とうとするあまり」、かえって関係を疎遠にしてしまっていることがありはしないか。そもそも人と人との関係は損得で計れるものでなく、ただそこにいるだけで意味のあるものなのではないか。そこで今回は次に学生の感想にメンバーとスタッフが答えてみる形で現在の気持ちをあらわし、考えていきたいと思います。
3、学生からメンバーへの感想とメンバーから学生への返事
①ヒロヤスさん
●<学生➡ヒロヤス>:カメラの趣味が合いそうでとてもうれしく思います。私もよく撮った写真を見返してはそのときの記憶を思い出しあのときこんなことあったなーと懐かしく思ったりするのがとても楽しいひとときです。「夢屋にきて楽しかったこと」で「配達するときにお客さんと話すことが苦手だったけど話せるようになったこと」とおっしゃっていて夢屋で純粋に自身の成長を感じれたのかなと思いました。
●<ヒロヤス➡学生>:ぼくも写真をみて、いろいろ思い出しています。ゆっくり相手に話すことがだいじです。まいにちがんばったから成長したんだと思います。これからもすこしずつ成長していきたいです。
②ユウコさん
●<学生➡ユウコ>:「健常者を見返してやりたい」という一言が強烈でした。考えてみると、障がい者のことを完璧に理解し何の偏見も無く受け入れている人は少ないと思います。実際に障害のある方本人の話を聞き改めて、その特性を理解し受け入れる環境を作ることが必要だと思いました。中1のとき発達障害の人と同じクラスになりました。正直、その子を理解し受け入れているクラスメイトは少なかったです。心無い言動をする人もいて私も含め見て見ぬふりをしていました。結局その子は、中2で転校しました。これまでの経験と今回のユウコさんの話から障害の特性を理解し受け入れる人になりたいです。
●<ユウコ➡学生>:私も障がい者の一人ですが障がい者がほっとけなくなりました。障がい者にも差別をしない責任があると思います。互いに理解し合うことはすばらしいですね。またいつかお会いできればうれしいです。
③ミサキさん
●<学生➡ミサキ>中学生の時に掃除のやり方がわからずしかかるのが遅れたことで怒られたのが嫌だったとありました。これも、遅れたから悪いという思い込みから起こったのかなと思い、なぜ遅れたか、何がわからなくて何を教えたらよいかを周りの人々が考え本人としっかりコミュニケーションをとっていくことが必要だと思いました。わからないことがあったら周りから進んで教えてほしいとミサキさんもおっしゃっていましたが、私も自分から人に声をかけるのが得意ではありません。しかし今回、ミサキさんのお話を聞いて、困っている人がいたら自分から進んで行動し、どうしましたかと聞いてみることにもチャレンジしようと思いました。
●<ミサキ➡学生>自分もわけがわからず、何をしたらいいかを人に聞かないで突っ立っていたから悪かったと思います。私はコミュニケーションが苦手だから、夢屋では少しずつ周りの人に聞けるようになり、突っ立っていることが減ってきました。教えるときは、強くじゃなくやさしく教えてくださいね。仲良くなりましょう。
④シモムラさん
●<学生➡シモムラ>今回の講義においてとても驚いたことがあります。それは盲導犬のことです。犬が盲導犬となるため様々な訓練が必要なことは本やSNSなどで知っていましたが、盲導犬をつれて生活する人にも訓練が必要であることに驚かされました。でも考えてみると人側にもそれなりのことが必要だとはわかりますが、訓練が昔は大変厳しく、シモムラさんが盲導犬生活するために5年も要したことに本末転倒のような気がしました。
<シモムラ➡学生>今はなくなりましたが盲導犬との歩行訓練でなく、以前実施されていた白杖での単独歩行訓練のことだと思います。「判断力」を試すというのがその名目でした。盲導犬はあくまで歩行の支援役で、どこをどう歩くか、また盲導犬をしっかりコントロールできるかはやはり「人の判断」に委ねなければならないということからです。当時は本当に厳しいものでした。いきなり初めての繁華街を白杖で歩かなければならないのです。しかも私は白杖歩行をほとんどしてませんでしたからなおさらでした。一回目は散々で「判断力ゼロ」と言われました。それから5回目で合格しました(一番多い人で3回で、5回も受けたのは私だけらしいです)。
⑤竹原さん
●<学生➡竹原>「同じ人間であり、完璧な人間なんて誰一人いない。みんな未完成なのだから、誰が上で誰が下など関係なく、皆普通に接することが大切だ」という言葉が印象に残っている。いい意味で、さすが小学生の先生をしていたのだなと感じた。小学生の頃に誰もが聞いたことがあるであろうこの言葉。みんな聞いたことがあるはずなのに、なぜか皆守ることができてない。当たり前のことを当たり前のように守る。このことはとても大切だと感じ、卒業後、先生になることが夢の私はしっかり生徒に目を配れる先生になろうと思った。
●<竹原➡学生>「さすが小学校の先生をしていた」と言っていただきありがたいですが、残念ながら、退職して日がたつにつれ、『アー、あの時あの子に〇〇を言うべきだった』とか『あの頃、子どもに(激しく乱暴な?)しつけをしていたお父さんは少しは反省されているだろうか』等々、思い出しては懐かしがったり、会って謝らないといけないなあとか思ったりしています。最近、子どもがいる教え子たちが育児の大変さがわかるらしく、「先生も私たちが言うことを聞かなかったりして大変だったね、子どもができてよくわかった」と言ってくれます。やはり一つ一つの行為が当事者になって初めてわかってくるのでしょうし、そのような意味で「完璧な人間なんて誰一人もいない」し、「差別」や「偏見」はそのことに無自覚な傲慢さから生まれるのだと思います。
⑥宮本
●<学生➡宮本>
夢屋誕生までの背景についての話を聞き、苦労もさることながらT君についての話が最も印象に残り、そのような話が今だ現実にあるのかと耳を疑い、俄かに信じられませんでした。訃報についてはとても残念ですが、彼なりに最後は頑張ったのだと思います。また現在の障害者を取り巻く社会状況が昔より改善された面もあるが、むしろ悪くなった面もあるとおっしゃっていました。それを聞き私は実際に障害者と多く時間を過ごしてきたわけではないため、全然現状が見えてなかったと知りました。意識することなくして把握できないと感じました。
●<宮本➡学生>すべて実際の話です。現実はより生々しく、皆さんにお話しするときはオブラートに包んでいると思って下さい。差別構造の当事者の関係性に足を踏み込むと理屈抜きの厳しい選択を強いられる場面と遭遇し、支援のつもりでいてもいつのまにか自分の人生までもが試され(自身も社会をつくっている一因ですから必然とも言えます)安易に(課題が突き付けられると言う意味で)抜けられなくなることも多々あります。でも、だからこそ日常の綺麗事ですましている社会の欺瞞性もよく見えますし、深い理解と信頼の構築(もちろんその逆も)も可能です。講義冒頭で取り上げたインクルージョン(包摂)がその例です。果たしてそれは万能で全肯定すべきか。むしろ当事者の生きる領域と選択、幅を狭める面もありはしないか、自問自答している日々です。
4.まとめ
私が小学生の時にアフガニスタンから引っ越してきた同級生がいました。周りの人の中には、文化の違いが受け入れられなかったのか、日本語が伝わらないのをいいことに「バカ」や「アホ」といったひどい言葉をあびせる者もいました。そしたら悪口を言われていることは伝わったのか、アフガにスタンの子はそれらの言葉を覚え、周りの人に同じように言葉を浴びせるようになりました。私はこんな汚い日本語を覚えさせてしまったことが悲しくて仕方なかったです。小学生だったということもあったかもしれません異文化の人や、障害のある人など、自分と違う人に対する扱いがひどい部分がまだまだあるなと感じました。(学生の感想より)
差別や偏見は確実に伝播していきます。それはおそらく江戸期の身分制をつくり上げた「上見て暮らすな、下見てく暮らせ」にもあるように人間本来の「弱さ」に根差したものだからかもしれません。
最近でも気になる法改正と制定がありました。3回目以降の難民認定申請で強制送還できるようになった出入国管理及び難民認定(入管)法と「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」という当事者以外への配慮がわざわざ付記されたLGBT理解増進法です。いずれも本来の<被差別側>の不合理な差別をなくす目的から逸脱し、<差別者側>の立場を守ろうとする狙いが顕著であり、時代は移っても上記の感想にあるように「自分と違う人に対する扱いがひどい部分がまだまだある」証左が窺えます。水平社宣言に次のような箇所があります。それまでの「いたわり」に満ちた<同情融和思想>を批判した上で、その原因が「吾々によって、又他の人々によってつねに人間を冒涜されていた罰であった」と認識している部分です。単に部落民以外を攻撃するのでなく責任は部落民当事者にもあるとし、両者を等しく告発しています。人間は被害の面しか見ないときは<集団としての存在>ですが、加害面を意識したとき<一人の人間>として立ち現れます。加害者も被害者も私たち一人一人に中に存在しているのではないか。アフガニスタンの子はそう訴えているのだと思うのです。

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