「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケイショナル・スノウ』その十

               第九の報告
 総司令官閣下、この地域の地理的象徴でもある内陸の湾岸に沿った、私鉄R駅の正面から道路に面した西側に、CAN進学センター・R局はあります。証券会社と化粧品会社、最上階には保険会社が雑居する建物の三階に大小四つの部屋が移動式壁板で敷きいられ、そこへ小学、中学合わせ八十六名の生徒が、土曜日と日曜日とを中心にそれぞれ決められた時間帯にやって来るのです。これから申し上げるのは、あの説明会からちょうど一年たった現在の報告になります。
 さて、八十六という数字は、今のところセンターの中では最低のようです。現在勤める四人の講師のうち、唯一正式な男性CAN職員である柏木という男が、いつかそうこぼしていたと私どもは聞いております。職員は、その他に、主に小学校低学年の国語と事務の担当の杉野という女性だけで、あとは雇われ講師三人を含め、女性の事務アルバイトの全部で六人という、センターの中にあっては実に小じんまりとしたものです。
 R局を見ておりますと、なんとかいまのうちに策を練らないと営業上困難になっていく様子が、ひしひしと伝わってくるようです。R局がセンター八番目の局として開講を始めて、既に一年が過ぎようとしているのですが、当初は予想を上回り、伸び率も上位にある時期もありました。しかし、その後徐々に落ち込みだし、最近では会員数でも最低を記録するまでになっている次第です。結局、子どもたちの成績の伸びが今一つだったというのが全ての原因をしめているようでした。それにより、口コミでの評判も奮わなかったというわけです。ある日、柏木が、R局でもこうなったら、墨塗りでもやっていくかと冗談とも真面目ともつかぬ顔で言っていたと聞きます。そのとき杉野は、頂度本部にファクシミリで企画案の資料を送っている最中でした。墨塗りは、質問に答えられなかった子たちの顔を文字どおり黒い墨で塗るという何とも言えぬこのセンター独自の、まさしく罰の象徴のようなもので、見ている方がかわいそうになってきて直視できないと、思わず一人の調査官が顔をしかめ漏らしていたほどのものです。
 そのとき、また一方では講師の中の一人が、どこの局のものかわかりませんが墨塗りの授業風景を撮った写真を一枚見せてもらっていました。頬に筆太く髭が描かれている者、眼の片方だけが黒い隈に囲まれている者といろいろあります。今、R局にいる生徒の勉強状態でこれをここでやったら、大方授業が終わる頃までには、全員顔が真っ黒になっているのではないのか、冗談とも皮肉ともつかぬ言い方をその講師はしていたそうです。周囲に笑いが起きなかったのは、まんざら当たっていないこともなかったからでしょう。だが、勉強は間違いなくやってくるようになるはずであるというのが、キャップ柏木の考えでした。彼は、机の上に置かれた写真を手に取りしげしげ見た後、さっきの講師の男に軽く視線を移しました。相手は、現役の大学生です。柏木は、相手のそんな何でも簡単に言い切ってしまうところがどうにも癪に障ったらしく、はたから見ていても苛々しているのがわかるほどに刺々しい言葉を知らず知らず放っている様子だったと言います。閣下、柏木もCANの各局キャップの中にあっては最も若い、二十八歳の青年に過ぎなかったのです。 CAN進学センターには、三つの訓戒があります。それは、かつてはどの局でも毎日、朝礼時に全学年の子どもたちに唱和させていたそうですが、今は、もうほとんどの局でなくなっています。 
 総司令官閣下、ためしに閣下も一度ご唱和していただければ、この雰囲気なり信条をお伝えできるのではないかと思います。無駄なことかもしれませんが紙面をさいてお載せいたしたいと思います。
 その一、CANは、己れである。己れに勝てぬ者は、CANにはなれない。
 その二、CANは、努力である。努力なき者は、CANにはなれない。
 その三、CANは、可能性である。可能性を信じぬ者はCANにはなれない。
 そして、職員だけに配られる黒いビニール製の厚い手帳の最初の開きには、かつて研修のたびごとに頭に刻みつけられた社員用の一文も載せられています。
 子どたちをCANNOTからCANへ。それが、我々の使命である。
 このような文を大声を上げ叫ばせているだけで会員が増えていた時代も、もう終わりを告げた。これが、この若い局長柏木の常日頃思っていることでした。柏木は、いつものとおり打ち合わせの後、手帳を上着の中へ仕舞うと事務所と職員室を兼ねた、今いる自分たちの部屋の壁にぎっしりと貼り出されている今年度の全国ユウメイシリツ中学や高校を始めとする地元進学校らへのセンター内での合格者の書かれた紙の上にゆっくりと眼を馳せ、一字一角を見逃さない熱心さでたどっていました。そこには、つい先日まで彼自身がこのR局で英語を教えていた見覚えのある名前もあるにはありましたが、そのほとんどが他の局の顔も名前も知らない生徒たちばかりです。しかも、その中にはセンター全体で春、夏、冬一斉に毎年三回に分けて行われる模擬テストだけを力試しに受け、結局は入会することもなく、一度も授業に出ることもなかった子どもたちがかなりの数ふくまれています。その日も、柏木はいつ切れるともないそんな杉野が自慢としている達筆な字で記された名前の羅列を不思議と倦むこともなく、むしろいつもより平然とした気持ちで眺めていたのでした。そんな柏木を心配したように杉野が、何か所在なげに聞いたとしてもむりもなかったかもしれません。だれもがふと、空しさを覚えることはこの局にあっても充分考えられますし、そして現実に存在することでしょう。
 そのとき、次の週から行われる新期のゼミの打合わせにやって来ていた三人の講師は、さっそく帰る準備を始めていました。引き上げていいかどうか小声でたずねる講師たちに、柏木は、労をねぎらう言葉といっしょに教材研究を充分にやっておく忠告を忘れませんでした。講師たちは、鞄の中に各自必要な参考書類などをつめ込むとそれぞれに挨拶を言い終え消えていきます。学生もいれば、フリーのアルバイターもいます。弁護士を目指して勉強中の者もいました。それぞれに三者三様といった感じがします。思い起こせばそこにいるのは皆、一年前、開局の準備期間中に柏木自身が近くの大学や職安に募集をし、彼自らが面接をやり決定し、講習会やゼミ期間を通じセンターのノウハウを教えていった者たちです。柏木は、その質にはどこにも負けない自信がありました。ある局によると大学の医学部生ばかりを集めているということも伝えられていましたが、柏木はそんな方法を極度に嫌いとろうとはしませんでした。彼が講師たちを選ぶ最も大きな条件は、その経歴や見た目ではなく、いかに子どもたちを教育していきたいかという、熱意の方でした。様々な枷の中でも、とにかくここにいる間はCANの職員としてどれだけ子どもたちと接していくことができるか、それにすべてはかかっていると彼はとらえていたからです。そのためには、多少一癖あろうが眼はつぶる。柏木は、そんな講師たちのみを求めていました。 しかし、今回R局は、センターの中にあっては惨敗であったのはだれの目からも明らかだったようです。会員の伸び率は、おそらく他の局と比べ最低であることはいずれはっきりすることでしょう。そもそも講習会からして、参加した一般者への加入を決定づける要素がもう一つ不足していたのではないかというのが柏木の見ているところでした。
 柏木に、杉野はまだまだこれからですよとわりと淡々とした調子で、しかし彼女特有の闘志を内に秘めた声でつぶやいたのは、そのような状況から言っても当然だったかもしれません。そのとき電話のベルが鳴りました。杉野がすかさず受話器を取り、彼女は一年経って板に着いた柔らかな口調で応対しました。その日は、事務のアルバイトの女の子たちは社休日に当たっており、家で骨休みしているところだったのです。
 電話は、センター代表の片桐からでした。柏木は彼女に促され、観念したように腕を伸ばすと点滅する保留ボタンを押しました。しばらく挨拶程度に話し、実績が奮わなかったことや、センターのR局へ今回新しく要求してきたカリキュラムの多少の無理と困難さと、そこからでた保護者の戸惑いなどを受話器をとおし伝えました。最後に『オツカレサマデシタ』という、閣下、すでにご存じかと思いますが、この地域独特の挨拶言葉をつけたすことも彼はわすれてはいませんでした。
 ときがときだけに、柏木が受話器を置くと同時に、隣にいた杉野がすかさず電話の内容をたずねてきました。
 柏木が言うには、代表は、このままの調子でやってくれ、と比較的明るい声だったそうです。彼も拍子抜けしたように呆れた表情をしています。それから片桐は今度、R局にきたとき一緒に食事をしようとも誘ったと、杉野の顔をまじまじと見ながら言いました。杉野は、代表があまり細かい数字とかこだわらない人だから、よかったのではないか。自分たちの気持ちが通じたのではないかと柏木に笑顔で返していました。彼女にそう言われても、柏木にはどうも腑に落ちないことがありました。考えてみれば今回このR局の運営そのものには不審な点が多かったのです。
 まず第一に、柏木よりキャリアも豊富で年齢も上をいっている者が、センターには彼の他にもたくさんいました。そんな者たちを差し置いてまだ入社して間もない自分がこの局のキャップに抜擢された理由が、そもそも柏木には不可解なのでした。それに、今回提示されたカリキュラムです。一見しただけでこれまでと違っているところは、ゼミの中に合宿が一期ごとに三回づつの計九回も取り込まれているという点でも明らかです。そのことからも、その無謀さは不審感となるほどに極点に達していました。それぞれ連休などを利用してスケジュールを組んではあるにはありますが、余りに強引すぎるとしか言いようがなかったのです。しかも、その会場が『レモラ・ハウス』という聞き覚えのない施設であることも柏木にはどうも気になります。西の小さな島に研修所を兼ねた子どもたちの合宿所が現在建設中であることは、彼も連絡を受け知ってはいましたが、しかし、東部地区のことを考えた場合、何もわざわざそんな場所につくらなくともよかったはずです。将来的には、もっと増やしていこうという心積もりなのでしょうか。柏木の疑問はふくらんでいました。
 柏木は杉野にそのことをたずねてみました。何か彼女も同じようなことを感じているのではないのかと思ったからです。彼女はそれでも最初は、あまりピンときていない様子でした。柏木はていねいに補足しました。
 つまり、それはこういうことです。今回一年間、このR局の運営をやってきて結果的に八十六名の生徒が来週から始まる新年度のゼミに継続してくれたわけですが、けっして数字はよくなかったにもかかわらず、代表である片桐は、それで上出来だと柏木に電話で告げてきたのです。思えば、あれほど説明会や懇談会にも力を入れ本部からも多くの動員をかけ出発したR局です。今までどの局にもなかったほど力を注ぎ込んでいたことは他の局と比較しても周知の事実だったことでしょう。その後、いくつかの難関を万全を期してのりきって来られたのもそれらバック・アップの体制があってのことだったのですから。それでも結果はわずかの八十六名に過ぎなかったことは、センターにとっても常識的に見れば大きな痛手のはずです。それなのに、片桐は充分な数字と言うのです。キャップである柏木は、そのときばかりは首を捻りました。
 杉野はどちらかというと楽観的にとらえているらしく、それが柏木の考え過ぎではないのかということと、継続率が良くなかったのは、合宿が保護者にまだ充分に理解されていなかったからだろうと答えました。しかし柏木は、企業経営がそんなに甘いものでないことぐらいは、頭に叩きこんでいるつもりでいます。今、現在問題になっているその勉強合宿のことについてもいくつかの疑問を彼女にぶつけてみました。一つは、それがどうもこれまでやってきていた自由に参加できるピクニックがてらのものとは違うということです。『レモラ・ハウス』という、宿舎でやることになっていますが、そこはもうじき完成するらしく、彼も今まではさほど不思議には思わなかったことですが、やはり親としても大事な子どもをそんなところに年に九回もやるのは多少抵抗があったのではないかということが率直な感想です。しかし、よく考えてみれば、それでも八十六名残せたことは確かに代表が言うように大きな成果だったのかもしれません。それよりもさらに気になっているもう一つの点がありました。
 それは、その『レモラ・ハウス』での合宿が組まれているのは、実はR局のカリキュラムだけだったということです。白状すると、柏木本人そのことを前々から代表から知らされ了解はしていたのですが、上司らの命令どおりその事実を公の場では伏せていたのです。彼自身、局のキャップとしてそんなこともあるだろうぐらいで、余り大したことではないと思っていましたし、ここでせっかく皆がやる気を起こしている雰囲気をいたずらに乱したくもなかったこともあったからです。それでもR局が、他の局とはまったく違った別個の計画の上で運営されていたことだけは確かでした。それに、もっと驚いたことがあります。R局の児童、生徒たちははっきり言って、他の局の生徒よりかなり学力が落ちる子が集まってると言っても過言ではないという点です。これはどういうわけかと考えてみますと、R局でやっている毎週授業の中で行う科目ごとのテストが、やはりこれもここだけ他と違って少しばかり平均点が落としてあるかなり易しい問題に作りなおしてあるということが事実として判明してきたのです。しかも念入りなことには、一斉に行う模擬テストなどの全国版成績表にはどういう操作をやったのか、ちゃんと本人にはわからないように別のメンバーを使ってまるっきり違った一覧表が作成してあるのですから、かなり手はこんでいます。柏木はそれを恥ずかしいことかもしれませんが、夏講が終わって、新学期が始まってからすぐに別の局から移って来たひとりの転校生がおり、その子の持っていたテスト用紙やコンピューター表を見て初めて気がついた次第です。彼はそのときの驚きをまだよくおぼえています。それは、まったく精巧かつ緻密にできてはいましたが、その中身に出てくる子どもの名前が全然違うまったくの別ものだったことに衝撃をもちました。担当の本部の職員に問い正してみたところ、それは、生徒たちに自信をつけさせるために、どこの局でも最初のうちはやっていることだと一蹴されたそうです。しかし、そんなことが今までのセンターのやり方からして考えられるでしょうか。柏木の疑問の根元はそこにこそあったわけです。彼は、一気にそこまで話すとさらに杉野の顔を直視しながらつづけました。
 話の中心はこうでした。つまり、それら一連の操作の証拠に結局初めのうちはそういった効果もあるにはありましたが、そのうち段々と成績の上位の子たちは物足りなくなって、センターもこんなものかという落胆を隠せぬ様子で辞めていったという事実です。あとに残った者と言えば、ユウメイシリツ校の合格などとても今の実力では考えられない者ばかりでした。それに口コミでやって来た者の中には、学校の勉強についていけない生徒や児童、遅刻の多い子、中には一時学校にさえどういう理由でか行っていない生徒もいました。まったく彼らが、墨塗りでもやりたい気分になってくるのもわかる気がしないではありません。 柏木は、溜息にも似た深くくぐもった息をつき杉野に同意を求めるように軽く眼もとを顰めました。相手は、その都度相槌を打ちながらも黙っていました。
 それにしても、代表も常務も一体このR局を本気で伸ばして行く気があるのでしょうか。柏木でなくとも不安感をいだくのは当然だったかもしれません。彼にはそれが今現在、直接だれでもいいから聞きたいことであり、やはり一番の疑問なのでした。まさか、このR局をセンターの方向転換のための良い研究材料にしようということではないのか、そんな恐怖感に近いものさえ、彼は感じていたわけなのです。
 杉野は、柏木の言うことを聞きながらそう言われてみれば確かに自分がここに来てやってきたことも前半と後半とではかなり違ってきていることに気づき、今さらながら不思議に思わないところがないではありませんでした。最初は、これまでのセンターのイメージどおりかなりスパルタと言った感じがしましたし、彼女自身もそれを通してきたことはあります。しかし、生徒が少しずつ入れ換わって行くにつれ、自ずとその指導方法も変わっていったのです。ある公立中学校では、このR局やセンターのことを『お助けjuku』という別名で呼んでいるという評判も生徒から偶然耳にしたことがあります。
 杉野は、今新ためて自分自身の中にも柏木と同じように幾つかの疑問が渦を巻いていることに気づかされていたのでした。

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