「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『エデュケーショナル・スノウ』その十三

             第十二の報告  
 総司令官閣下、このたび係りの者から受け取りました閣下からの御手紙ならび御通達を、私はどのように判断すればよいのか、いささか困惑し心労しきっております。承服しかねぬ気持ちもさることながら、反省すべき点も重々承知した上、閣下には御無礼のないよう、今後とも誠心誠意を尽くしていく所存です。なにとぞ今はいささか気が動転していることと御寛容の上でお聞き願いたいと思います。まず、わたくしどものこれまでの報告が遅々として進まなかったことを先にお詫び申し上げておかねばなりません。私が閣下の意にそぐわなかったことは、おそらくそれが最も大きな理由かと思われるからです。ただお分かりいただきたいのは、私がここで自らの失態の申し開きをしているのではけっしてないということです。私は、結局は潔く閣下からの御罷免を承ることになるでしょう。ただ、これまで同様この視察団の代表として、いかばかりかの意地と態度でこのおそらく最後になるであろう私どもからの報告文をなおざりに片づけることだけは避けておきたい気持ちで臨んでいるだけなのです。そうすることが、私をこの視察団の代表として初めに御指名下さった閣下への最後の意に添う忠誠であると確信しています。なにとぞ老僕の意気と感じ取って、わずかばかりの文面の猶予を今少しお許し願いたいと思います。
 さて、何でもそうでしょうが少しずつ対象に接近するにつれ輪郭がつかめ、わずかずつはっきりしてきたことがあります。それはこの辺境の地において最も基盤となるものは、やはり血縁関係といって良いことです。これは、教育の世界と言わず、どの世界にも同じだけの重さで被さっています。
 人々は「血」というものを大事にし、そこに自らの拠り所を見つけようとします。頂度一人一人の顔を見ていますと一つの幹から枝分かれした梢に成った赤い実のいくつもの果実のように思えるのです。どの実も細かく伝わる管からまんべんに栄養を吸い取り、光沢を浮かべ豊に実ることだけを目標にしています。少しでも自分と同じ幹か、もしくは枝から奇形の実がなることは極度に嫌います。それは、他人でも「血」の繋がりを感じているこの地域の者たちの特徴とも言えましょう。
 閣下、ここで教室を一つの木とし子どもたちを実に例えてみます。子どもたちは自分たちがスクスク育つことだけを目指して一生懸命に学習します。教師は自分の担任するクラスという木が立派に成長していくことのみを願い教育に励みます。『キョウトウ』や『コウチョウ』は、それぞれの学校という木が無事にその日その日を日照りや害虫など病気を寄せつけず安泰であるかを考慮しながら監視に一段と力を注ぎます。それらを受け入れる地域という大木は、一個一個の学校という木が思うように育成されているかを見るため、常に連絡を取るのに便利な接ぎ木を行いその繋がりを濃くします。それは縦の経路を通じて生徒一人一人にまで行き届きます。かくして木を通しての「血」の関係は教育に於いて完成します。
 総司令官閣下、最後に今の気分で、ざっと私の申し上げられることはこんなところです。御報告しておきたいことはこれまでの報告文で伝えてきたことと思いますが、何分観察がたりず、はっきりとまだつかみきることができないのも事実です。それに私は自分の身分をわきまえることは知っておりますし、次の者へその責務は譲りたいと考えます。
 ただ、最後に申し上げておきたいことはこうした「血」の結束が、この地を、ある意味で固い殻に閉じこめさせたままにしているということは事実ですし、また、あるときには恐るべきエネルギーとなり信じられないほど強力な瞬発力を生み出す要因ともなることがあり得るということです。閣下、私がどこかまだ危惧せずにはいられないというのはその点なのです。この地に我が中央の世界で培われた教育というものを取り組んでいったとき、この辺境の地域は、おそらくこの地域なりの方法によって見事にそれをつくりかえることでしょう。そして、それによりさらに大きく立ち直ったこの地は、いずれ我が国中央にとっても驚異となるはずです。しかしそれにも増し、もしそれが大木の栄養素として初めに受け入れられたとしたなら、子どもたちは、あるいは教師たちはそれらを自ら拒絶するしない関係なく、かりにそれが自分らにとって毒素であったとしても躰に流し込まざるを得なくなることはわかりきっています。あの、無数の細胞に囲まれた器官の網の目を通して、あたかも中毒になったヘロイン患者のように、血管がボロボロになるまでそれはつづけられるでしょう。
 閣下、私が前々から心配していたのはこのことなのです。その毒素が一体どういうものであるのか、今の段階では私にもわかりかねます。ただそれは、徐々に少しづつ蝕み始めるにちがいありません。ときには時代に乗り一度に広がることもあるでしょうが、概ね静かに、行っては戻る蠕動を繰返しながらわずかづつ、しかし確実に接ぎ木から接ぎ木へとその毒素は伝わっていく筈です。閣下、私はこれを『エデュケイショナル・スノウ』と名づけます。まさしく、教育の白い粉です。街をたむろする『キョウイク』によって薬づけにされていく子どもたちや母親を垣間見る前に視察団代表の職を辞させていただくことを、閣下、今となってはただただ光栄と思う次第です。

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