「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』新緑号(135号)からの文章です。 

〇皆様へ、新緑のご挨拶をさせていただきます。
2023.5.11 作業所「夢屋」代表 宮本誠一

2023年度も2か月が過ぎようとしていますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。昨年から加わらせて頂いている「見守り隊」をしながら、真新しいランドセルや制服の新入生を目にするとこちらまで気が引き締まる思いがしてきます。夢屋も1995年に開所し、おかげさまで29周年となりました。これもひとえにこれまでお支え下さったお客様、地域、行政、教育関係者の方々のお力と深く感謝申し上げます。また今年は熊本地震から7年目となります。改めまして犠牲者のご冥福をお祈りするとともに被災者の皆様へ心からお見舞い申し上げます。「追悼」では私も心に期すものがあります。夢屋を立ち上げるきっかけとなった青年は入所施設二階から飛び降りたことがきっかけで、2000年5月に24歳の若さで亡くなったのですが、その施設の横を車で通ったり彼のことを思い出すと胸が詰まり、自責と悔恨、悲しみの感情で今もってまともに話せぬ自分がいます。その体験も重なり、震災のご遺族のお気持ちを思うとさらに胸が痛むばかりです。心よりお悔み申し上げる次第です。
さて、『広報あそ・4月号』の巻頭に『部落差別は、絶対に許さない』と題し、阿蘇市内で差別事件が発生しました~と市長名で差別解消へ向けての理解を求める文章が掲載され、市長の願いが切々と伝ってき、今だにこのような「事件」が起きていることに憤りを持ちました。ただ、実際にどこでどのようなことが起こったのか、あるいはその後どのような経過をたどったのか具体的に書かれていないため、市民の方々を始め、学校現場でも<事実>をもとに考察し、児童生徒とともに認識を深めていくせっかくの機会がつくれなかったのではと残念に思った次第です。感情も大事ですが、自省も含め、何より<事実>を根底に意識や行動を検証しながら日々活動せねばと思った次第です。
ここ数年、頻繁にかつての教え子のお兄さんが我が子の様子を伝えに来られます。その子は市内の小学校を卒業し中学に進学後、不登校となり、精神科に入院、ご両親は直後から相談に見えられました。教育委員会や教育事務所に連名で復学に向けての取り組みの要望書を提出し、職員の皆さんも真剣に聞いて下さり、先生方も本人だけでなく弟妹にも元気になってもらおうと家庭訪問を繰り返され、両親とも感謝されていました。結果は復学は叶わず、支援学校への転校となりましたが、現在は自立心も生まれ、クラスメイトとも仲良くやっているとのこと。私の教師の新採時、初任者研修を担当下さった教頭先生は被差別部落出身でした。常日頃から差別は、机上の空論でなく<現実>や<事実>から学ぶことが大事であるとおっしゃっていました。あれから35年、今その言葉を改めて重く嚙みしめる日々です。では4月から5月までの行事(予定を含む)をご報告させて頂きます。
4/2 お隣の農事組合法人『碧水』理事長の竹原忠信さん宅の高菜折りをし、たくさん頂戴する。
4/7 代表宮本の応募小説『プレート』が部落解放文学賞(小説部門)を受賞(6回目)
4/10 前区長笹木郁夫さんや市議竹原祐一さんらを中心に蔵原地区の新年度『見守り隊』スタート。
4/16 熊本地震本震から7年、立野の慰霊碑で黙祷。 4/21 食品衛生組合による定期検査。
5/3~5 森の家「野菜ty(のなてぃー)」に長崎と熊本県内、5/13、北九州からのご利用。
5/11 阿蘇市人権・同和教育推進協議会総会に竹原が参加。(サンクラウン)
5/16 共に夢屋を立ち上げた青年の命日にあたり、今は亡き歴代メンバーらの御霊とともに黙祷。
5/26 熊大(新入生180名『現代教育について考える』)にメンバーとスタッフが講師に招かれ講義。

〇『ついに!20周年!!☆』
中島 地利世(チトセ)
20年前の4月24日【夢屋】に入所して、この春、ついに勤続20周年を迎えました。
10周年の時の「夢屋だより」内容と同様、10年間の出来事を思い返してみようと思いましたが、前回より年齢的にも忘れっぽくなっていて、思い出すのが困難でした。(苦笑)
それでも、一番 忘れてならない出来事は、心の恩師「竹原幸範」さんとの悲しい別れです。お亡くなられて数年も立ちますが、よく一緒に散歩した場所とかに、今でもまだいらっしゃるような…ふとそんな気がして、存在感の大きさが改めて身にしみます。
他にも寂しい別れが…入所以来、実の姉妹のようにいつも一緒にいてくれた、大事な同期メンバーが、ご家庭の事情で「夢屋」を退所して、別の施設に入所しなければなくなりました。変わらない笑顔で、元気に過ごしていることを祈っています。
ここ数年の間には、大地震の後のパンづくり、コロナ流行中の対策なども加わり、他にも色々と大変なことがあっても20年も継続してこれたのは、もちろん、「夢屋」の皆の支えが大きく、まずは宮本さんと竹原さんが、過ごしやすい居心地の環境を日々、つくって下さっていることが一番の支えです。心から感謝します。そして同時に思い出すのは、大先輩のお言葉です。
私が入所した時、「夢屋」開所時から通われている大先輩の女性がいました。
その方が、一番 最初に下さった応援アドバイスで、「何事も、【継続は力なり】言うのは簡単で大変なことだけど、大事なことよ。努力は裏切らない!頑張ってね」と、自分はそれが一番 好きな言葉だと教えてくれました。その通り、必ず何事も有言実行される方でした。
私の母が、色んな人にお世話になりっぱなしになって来た時、身近になにか恩返し「世の中、(特に障がい者の為になること)で継続できそうなことはないか…」と考えるようになり、まずは、微力ながら盲導犬育成支援の募金を続けさせて頂いています。
キッカケは、宮地に【ドラッグストアもり】がオープンして、買い物に行ったら、レジに募金箱が設置してあるのを見かけて、買い物に行く度に300円 入れて帰るようにしました。(この額は百円だと少なく、五百円だと負担になり続かず、三百円だと丁度よい?と思ったからです。)
だいたい月に3回ほど行くので、それをずっと続けていると、ついに2万円を超えることができました。その額を一度にと考えるとなかなか難しいですが、少額ずつだと私でも可能なのだと、継続できたことが嬉しかったです。21年目の目標は、他にも何か「小さな継続が、大きな力」になることがあれば良いなと願いながら、また今後も同じ所と、余裕があれば他の場所でも募金したり、手助けできることは続けていきたいです。
まずは、日頃から「夢屋」を支えて下さっているすべての方への感謝の気持ちを忘れず、目の前の仕事を、ピョンピョン跳ねるような勢いの元気な気持ちで活動し続けていけたらと思います。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment