「共」に「生」きる。 in 阿蘇

大学の方から5.26の講義の様子の写真と掲載許可をいただいた感想文を送っていただきました。ありがとうございました。

●今回の講話を聴いて、障がいのある人と健常者が共生していくことの難しさを学びました。障がい者施設を立ち上げるとしても、数年間は補助金なしで取り組んでいかなくてはならないし、障がいのある人側も精神状態が安定しない状態が続くことがあるのでうまくいかないことのほうが多いと知りました。また、現在では、通常の学校にも特別支援クラスを設置するなどの政策が実施されていますが、障がいのある人の話を聞くと、健常者からのいじめが多いというのが現状であり、それは本人にとっては大きなストレスで学校に行くのが嫌になるという人も少なくないことを知り、一見障がいのある人がより心地よく過ごせるようになっているようだが、実際にはそう上手くいっていないと学びました。なので、共生していくために最も必要なことは、障がいへの理解と配慮であると考えました。今日の講義では障がいとともに生きる人の会話を聞くことで何かしら型が破れたのではないかなと思っています。講演の最後にも仰っていたように、障がいを持つ人と持たない人どちらにも何も変わらない対応、同じ人なのだという意識を持って生活していくことが今の自分にできることなのではないかと考えています。貴重な体験ありがとうございました。

●最後に宮本さんが「助けなきゃという意識は持たなくていい。障がいを持つ人も一緒に暮らしているのだという意識を持つことが大事。」とおっしゃっていたのを聞き、納得しました。この意識を持ち続けていきます。今回の講義を聴いて夢屋の行っていること、雰囲気、関係性がとてもよく伝わってきました。
障がいといっても一つの種類だけではなく一人一人がそれぞれの問題を抱えている中でそれに合った対応をすることは大変なことだと感じました。
何よりも、最初に宮本さんのおっしゃった「形ばかりの共生」という言葉が心に刺さりました。自分や今までの周りの様子を省みて心当たりがあったからです。しかし、「形ばかりの共生」の解決は非常に難しいことだと思います。これは根本的な考え方や感じ方を変えなければ解決しない問題だからです。自分では「配慮」だと思う行動もわざとらしさが出てしまうこともあります。
今回の講義を通してただ思いやればいいというものではないと知りました。今日学んだことを心に留めて今後の生活を送りたいです。

●今回の講義では、「夢屋」の方々からお話を聞くことができました。病気を抱えている方や視覚に問題を抱えている方から、今までの経験を聞くことができる貴重な時間となりました。それぞれの方が、健常者からいじめられたり、嫌な思いを感じたりしたとおっしゃっていました。おそらく他に、今回の話の中に出てこなかったこともあるのだろうなと思います。心が痛むのと同時に、自分も気づかぬ内に加害者になっていなかっただろうかと怖くもなりました。
話を聞く中で印象に残ったことの一つとして、話の内容はもちろんですが、代表の方が司会として話を聞いていた際のことがあります。一度質問をした後、確認を取るように、念を押すようにもう一度聞くと一回目とは異なった答えが返ってくることが多かったことです。気づいたことは、障がいのある方との会話では、本当のこと、本当に言いたいことは簡単にはでてこないこともおおいということです。コミュニケーシを取る際に相手のことを知りたいと思う気持ちをちゃんと持つことが本物のコミュニケーションにつながってくるのだと思いました。
もうひとつは、最後のお話です。「何かをしてあげようと思うのではない。それは私たちには、ハードルがとても高いものである。」といった内容のことを話されていました。ただ、障がいのある方が身近にも存在していることを受け入れ想うこと。そういった方々のことから目を背ける、避ける、自分とは切り離す、こういったことをしないこと。これが私たちにできることなのだなと感じることができました。授業テーマは【”形ばかり“の「共生」にとらわれていませんか。】というものでした。今回の講義を通して、障がいのある方と健常者がともに生きていくとはどういうことなのか、互いの世界を大切にできる生き方とは何なのか、こういったことについて考えさせられる有意義な時間になりました。本日はお越しいただきありがとうございました。

●講義の中で、印象に残った対話は、小学生や中学生の時にからかわれたり、いじめられたりして泣いたことを心配するので、両親には言わずにいたとおっしゃっていたことです。この気持ちは私もわかるなと思いました。高校生の時に人間関係でうまくいってない時があり心配をかけたくないと思い自分で解決しようとしていました。うまくいかず結局両親に相談したら、アドバイスをしてくれたり、慰めてくれたりして気持ちが軽くなったことを覚えています。この経験を通して相談することも大切だなと学ぶことができました。また、「役に立つ関係ではなくて意味のある関係になる」という言葉が印象に残っています。今思っている思いを話したいと思うような人になりたいし、そういう人を大切にしていこうと思いました。

●今回の講話を聞いて、障がいに対する様々な考えを持ちました。ヒロヤスさんの今までの経験や、感じたことを聞いて、言葉にすることが苦手そうだと感じましたが、言葉がつっかかりながらもきちんと人に伝えようとする姿勢を見て、聞くこちら側も、しっかりと耳を傾けてひとつひとつの言葉をゆっくりうなずきながら聞く姿勢をとることが大切であると感じました。しっかりと話の内容を聞こうとすると、伝えていることは健常者の経験や考えと何一つ変わりないことであり、ただ、言葉がつまってしまい、うまく話すことができないということを実感しました。また、トークのやりとりもとても面白かったです。そのような伝えることが苦手な障がいの方とお話したことはないので、話す機会があれば、障がいの方、としてお話しするのではなく、ただ会話を楽しみたいなと感じました。
四限目のこの授業の教室に向かっている際、シモムラさんと盲導犬と誘導する方を見かけました。最初に見たときは、目に障がいのある方だとはわからなく、盲導犬が、普通の犬だと思って、かわいい!と友達と話していました。しかし、授業に参加して、盲導犬だということを知り、周りの状況が全く見えていなかったのだと深く反省しました。確かに、もう一人の方は、盲導犬をつれている方を案内しており、よく周りを意識していれば気づいたことだったと思います。このあいだ、自分の家の近くで、白杖をもった中年男性の方を見かけました。その方の近くを車が通り、その男性に向けてではないのですが、大きなクラクションを鳴らしました。その音を聞いて、その男性は、びっくりした~と驚いていらっしゃいました。しかし、私は、ただクラクションを鳴らした車に対して、いやな気持を抱いただけで、その男性に何も声をかけることができませんでした。なにか安心させてあげられるような言葉をかけた方がいいと思ったのですが、どのような言葉で伝えればいいのかわからず、関わることをやめてしまいました。これは、自分の後悔の残る経験であり、目に障がいのある方を見て、すぐにこのことを思い出しました。そのような方を目にした場合には、安心して道路を使えるような配慮をみずからの関りによってできるようにしたいと思います。
また、障がいの方々とかかわった経験はありますかと聞かれたら、ないと言ってしまうと思います。しかし、最後の熱いお言葉を聞いて、確かにあるかもと考え直しました。私は、障がいのかたは、お話しすることが難しく、伝えることも理解することも難しいと思ってしまい、確かに小学校や中学校に数人いましたが、自ら関わろうとはしていませんでした。しかし、関わろうとしないで避けるのではなく、みんなと同じであるという今回感じたことを思い出して、これからきちんとかかわりを持てるようになっていかなければならないと考えました。今回の講話を聞いて、障がいに対する考えを改めることができ、自分の経験を振り返ることができました。わざわざ熊本大学に講話をしに来てくださり、ありがとうございました。

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