「共」に「生」きる。 in 阿蘇

差別事件に対して、市側は市民により明確な説明を。

2023『広報あそ(4月号)』にこのような報知文が市長名で掲載されていました。
じっくり読ませていただき、<部落差別事件>が市内であったということをきちんと知らせ、差別が今だ現存していることを知っていただく意味では重要なことと受け止めました。ただ、内容に関し意見を述べさせていただくと、果たしてどのような差別事件が発生し、どんな対応を行い、今後どういった取り組みをしていくかはここでは判然とされておらず、市側はまずもってそのことを可能な範囲で(いろいろ難しい面もあろうかとは思いますが)より具体的に、市民の皆さんへ明らかにすべきではないかと思った次第です。そうでないと、この〈事件〉を具体的に検証し、問題点を再帰的に市民一人一人が捉え直し(外部からの問題を一度、自己内へ取り入れ、あらたに自分自身の課題として外へ表出していくこと)、より深い認識と取り組みへと変容させる機会を奪いかねないからです。ひいてはここで表明されている内容も、単なる「形=弁解」だけのもの、もしくは「傍観的共犯」ととられかねません。つまりは中途半端で表面だけの報知は、かえって差別を助長することにもなりかねず、そこにこそ差別解消へ向けての大きな壁と困難、乗り越えられるべき現実はあり、市民一人一人が日頃の生活の中で意識し向き合い、学習していかねばならない核心があると思うのです。

 

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