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~『熊日文学賞』について思うこと~

~『熊日文学賞』について思うこと~

熊本の月刊文芸誌『詩と眞實』の同人である北原政典氏が、熊日文学賞の最終候補作に選ばれました。かつての同人仲間として祝意を申し上げたいと思います。本当におめでとうございます。

私もこれまで拙作『トライトーン』『慰留地』『有明』の三作を候補に選んでいただいています。そのような立場で、敢えて意見を申し上げたいことがあるのです。私、予想しますに、今回の受賞は小説・エッセイーの岡田利規氏の『ブロッコリー・レボリューション』、もしくは評論・ノンフィクションの半藤英明氏の『徳冨蘆花ー天性に順ひ、眼光に依頼せよー」のどちらか、もしくはダブル受賞と思っています。理由は簡単です。作品の完成度として一つ頭を抜けている(と思われる)からです。選考理由としてはこれほど明確なことはありませんし、それでいいのです。文句ありません。ですが、私、ここからが言いたいところです。プロアマ関係なく選定、もしくは応募して選出されるこの賞、まあ、どう見積もってもプロの、しかも三島由紀夫賞まで受けられたり、現役の大学教授の論説と<素人>との文章を同じ土俵に載せること事態、結果がほぼ見えているのではないでしょうか。さらに申し上げたいのは候補者としての応募条件である熊本県在住と言う項目です。最近では3.11震災以降、地方への文化人の移住も増えています。それはそれで自由ですし、様々な意味で活性化につながりますし、大いにけっこうなことです。しかし、もともと実績あるプロが地方へ移住し、数年いてそこからお仕事をオンラインを含め、基本的労働体制は都市にいたときと同じ形でされていることと、ずっと地域に生活し続け、地域の労働に携わりながら地域ならではの問題と視点にこだわり書き続けてきた人とを「熊本在住」としてひとくくりにしてしまうのも、どうも納得がいかないのです。地域移住で100万円支給されるやもしれない時代です。私はここに地域版都市部からのグローバル化ならぬアーバニゼイション(都市化)の波動の逆流によって押しつぶされかねないローカリゼイション(局地化)との相克を文化面にも見るのです。

で、結論としまして、けっして『熊日文学賞』を批判も否定もしているわけではなく、このような現状を鑑みた上で、もしもこの文学賞をさらに今後も意義あるものとして継続していくというのであれば、真に地域の文化復興と土台の底上げにつながるような選考基準や応募条件の細かな改定をそろそろ検討してもいいのではないかと思う次第なのです。

ここからは私一個人の、あくまで<例>としてのアイデアです。

①プロとアマを分け作品選考し、各部門で受賞を設ける。(もちろん予算面もあるかもしれませんが、賞金は現在の半分でよかろうかと思います。応募者たちが求めているのは金銭ではないはずと私は思っております)

②熊本在住年数を現在を入れて最低10~20年ほどにする。(現行の無規定だと、1年でもいいこととなってしまいます)

とりあえずはこの二点だけでも早急に取り掛かれば、応募者(特に地域に長年住んで創作を続けられている公募者)は増え、より選考基準も明確になり、選者の方もむしろ照準がはっきりし、確信を持った分析と選定へ進んでいけるかと思うのですが。以上、いかがなものでしょうか。(夢屋代表 宮本誠一)

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