「共」に「生」きる。 in 阿蘇

阿蘇市人権・同和教育課題別研修会「共生」の教育の講話のレポートです。

阿蘇市人権・同和教育課題別研修会「共生」の教育の講話のレポートです。
〝形ばかり〟の「共生」にとらわれてはいませんか。
~メンバーとスタッフがそれぞれに、これまでの自分をふり返ってみました~
2022.7.22 作業所「夢屋」代表 宮本誠一
Ⅰ、はじめに
1995年に開所した夢屋も今年28年目を迎えます。現在、地域活動支援センターとして登録者12名、4名~6名がパン作りや販売、『夢屋だより』発行、地域の小中学校との交流学習や相談事業にも対応しています。この課題別研修会も15年続けて呼んでいただいております。昨年は、過去のひとり一人の『夢屋だより』の印象的な文章や記事を取り上げながら、そこから入所以来の自分自身や自分から見た他のメンバーのことをふり返ってみましたが、今回は小学校時代から現在までを「楽しかったこと」「嫌だったこと」に区分けして事前に書いてもらい、そのことをもとに発表してもらいたいと思います。そこから垣間見える「共生」とは何か、そしてそのあり方を考えてみたいと思います。
Ⅱ、メンバーとスタッフのふりかえり
①ヒロヤスさん
1、小学生の時、楽しかったこと
・2年の時、先生と二人で音楽室でホットケーキをつくりました。
2、小学生の時、嫌だったこと
・てのひらにペンで落書きされたり、かえるときランドセルをみぞにおとされ、なきました。
3、中学生の時、楽しかったこと
・ともだちとであったこと
4、中学生の時、嫌だったこと
・同級生からばかと言われた
5、高校の時、楽しかったこと
・フロアーホッケーで優勝したこと
6、高校の時、嫌だったこと
・実習先で注意をうけたこと。フルーツキャップつくりができなかったこと。
7、学校を卒業して、楽しかったこと
・もう大人だなあと思った。
8、学校を卒業して、嫌だったこと
・夢屋にいくことになってからはいやなことはありません。パンまるめがじょうずになった。
9、夢屋に来て楽しかったこと
・パン丸めがじょうずになってきたこと
・はいたつするときにおきゃくににがてだったことばでつたえたこと。
10、夢屋に来て嫌だったこと
・じしんのあるトランプで負けたこと。
11、将来の夢。これからどんなことをしたいか
・カメラマンになりたい。
12、今、親や周りの人や世の中に一番、言いたいこと。
・みやもとさんに土曜日もぼくといっしょに運動をやってほしいです。
②ユウコさん
1、小学生の時、楽しかったこと
・もちろん、お休みの日は絵を描くことが多かったです。ときどき、漫画のキャラクターの画調をまねて描くこともありました。
2、小学生の時、嫌だったこと
・とにかくいじめられたことです(断言)。当時は私のもっている障がいを理解しない児童が多かったので、特に一斉下校の時に「キモい!」などと言われ、のけ者扱いされました。
3、中学生の時、楽しかったこと
・特別支援学級で年2回開催されるバザーがあって、その売り上げ金でお買い物学習、つまり『がんばったね!』会があり、それが楽しみでした。そのときは電車で大津とか光の森に行けるのが一番の理由でした。
4、中学生の時、嫌だったこと
・特別支援学級に入った頃、中学2年生~卒業するまでの担任の先生が口うるさかったです(ことあるごとに束縛でした)
5,高校の時、楽しかったこと
・支援学校の図書館で時間を忘れて好きな本を読みふけったり、メモを取るような感覚で絵を描いているときが楽しかったです。
6、高校の時、嫌だったこと
・高等部3年のとき、下級生が私のクラスメイトをいじめていたことです(いじめていた子は舌打ちがとにかく多かったです。私は助けませんでした)そのいじめっ子はささいなことでイライラしたり、暴れたりしていたのでとても怖かったです。それで私はいつも、できるだけ距離を置いていました。
7、学校を卒業して、楽しかったこと
・当時は夢や希望に満ちていました。その頃の私は絵描きさんにぜったいなってやると思い続けていました。それで、在宅で仕事をしたり、イラスト関係の資格がとりたいと思っていました。
8、学校を卒業して、嫌だったこと
・大学へ進学できなかったことが一番です。あと、車の免許を親に反対され、とれなかったことです。健常者が当たり前にできることがほとんど私にはできなくて、今でも人生を一からやり直したいくらい悔しいです。
9、夢屋に来て楽しかったこと
・皆と力を合わせて働くことが大事だということと、お給料をもらい、社会人のありがたみを感じました。
家から通えることも大きく、おかげで私自身が引きこもりになることを防げたようでよかったです。
10、夢屋に来て嫌だったこと
・入所して間もないころ、私がいつも暇さえあればイラストばかり描いていたので、話し合って、週に一日だけイラストをしない曜日をつくることになりました。私は内心、大好きな夢を奪われたような感覚で腹が立ってしょうがありませんでした。
11、将来の夢。これからどんなことをしたいか
・星の数だけ夢があります。異性、できれば外国人と付き合い結婚すること。子どもをたくさんつくること。好きな場所に豪邸を建てること。大学へ進学すること。起業して実業家になり、親にぜいたくざんまいの恩返しをしてみたいと考えています。それらの夢を実現したいので、もっともっと努力が必要だなと思います。
12、今、親や周りの人や世の中に一番、言いたいこと。
・障がい者のやりたい仕事や職場がたくさんあったらいいなと思います。信じていれば夢は必ず叶います。たとえ夢が破れても、最後まであきらめないでください。
③ミサキさん
1、小学生の時、楽しかったこと
・学校でブランコや一輪車をするのが楽しかったです。
2、小学生の時、嫌だったこと
・家で勉強のことで言うことを聞かなくて、お母さんからしかられ、腹が立ってちり箱をけったくりました。
3、中学生の時、楽しかったこと
・学校で勉強した後、休み時間に友だち三人で外を歩くのが楽しかったです。
4、中学生の時、嫌だったこと
・そうじのとき、自分が遅れたので人から怒られたのが嫌でした。
5、高校の時、楽しかったこと
・皆で青年の家に行ったのが楽しかったです。
6、高校の時、嫌だったこと
・私がストレスでいらいらして、嫌いな人のスリッパを隠したらがちゃがちゃ文句を言われたのが嫌でした。
7、学校を卒業して、楽しかったこと
・常盤学園を卒業して、夢屋に入ってパン作りをするのが楽しかったです。
8、学校を卒業して、嫌だったこと
・常盤学園で、実習中に、隣の人から突然、「さすぞ」と言われたこと。
9、夢屋に来て楽しかったこと
・夢屋から出て、野菜ty(のなてぃ)で雑巾がけをするのが楽しいです。
10、夢屋に来て嫌だったこと
・トランプの切り札がパンづくりよりうまくできなかったこと。
11、将来の夢。これからどんなことをしたいか
・家族三人でずっと暮らしたいです。
12、今、親や周りの人や世の中に一番、言いたいこと。
・お母さんの入院中に夢屋からもらったみそ汁や一品などを家の人にきちんと伝えたいです。
・畑仕事でがんばったことを家の人に言いたい。
・もし友達がいたら友達と一緒に買い物に行きたい。
・わたしがわからんことがあったら、まわりからすすんで教えてほしいです。
④チトセさん
1、小学生の時、楽しかったこと
・「7学級」というクラスに2年生のときからいて、そこの先生と2人でずっと過ごしたこと
2、小学生の時、嫌だったこと
・7学級の教室から親学級の教室にもどるとき。
3、中学生の時、楽しかったこと
・林間学校に、たまたま仲良しグループで参加できた時。
4、中学生の時、嫌だったこと
・不登校がつづいていたとき、母も周りから責められ泣いたので、行きづくらかったけど行ったら、ちょうど給食が出ない日で、それを知らず、午前中で車で送られているとき、「まさかこんなときに限ってくるなんて…」と露骨に嫌な顔をされ、「本当にめいわくな子!」と言われ、降りてからも母にまた文句を言っていました。
5、学校を卒業して、楽しかったこと
念願だった携帯を自分で働いたお金で買えたとき
6、学校を卒業して、嫌だったこと
・初めて就職した場所の「おしぼりのクリーニング工場」で説明が聞こえず、何回もおなじことを注意されるうちに相手がキレて、「本当は聞こえてんだろ、洗濯機の中に閉じ込めてしまうぞ!」と言われた。
7、夢屋に来て楽しかったこと
・実父のように接してくれる竹原さんのお父さんに出会えて、南阿蘇や産山村などたくさんの場所へ一緒に行けたこと。
8、夢屋に来て嫌だったこと
・基本的には嫌なことはないのですが、夢屋は今日のような発表が多く、人前で話すことがとても苦手なわたしにとって、特に夏は相手が〝先生〟たちなので憂鬱になります。
9、将来の夢。これからどんなことをしたいか
・昔からとても近くて親しみ深く、憧れの場所の韓国に移住したいです。それが無理ならせめて生まれ故郷の対馬に戻って暮らしたいです。
10、今、親や周りの人や世の中に一番、言いたいこと。
・介護を受けている母へ、お医者さんや介護士さんの前だけで猫かぶりはやめてほしいです。
⑤シモムラさん
1、盲導犬との生活が始まってから楽しくなったこと
訓練時から苦労し、ようやく貸与できた盲導犬ですから、家にやってきたときは本当にうれしかったです。しかし何より実感したのは、盲導犬と一緒にいると、それまで引きこもりがちだった私の心に、「外に出てみよう」と言う意欲が湧いてくることです。外出の準備一つ一つに体を揺すったりして反応してくれ、前向きにさせてくれます。いわば一心同体の関係です。ですから、もし今、視覚障がいの方で盲導犬のことで迷っておられる方がいたら、ぜひチャレンジしてほしいです。きっと不安をふきとばす力になってくれることと思います。
2、盲導犬との生活が始まってからつらかったこと
デイビー、ウルマ、ロダンと盲導犬は三匹目になりますが、デイビーが引退後、引き取られた飼育ボランティア先で短命だったこともあり、それが、あたかも私が無理をさせたかのようなデマが流れました。当時、巷では盲導犬と利用者に関してまちがった情報が流布されていたこともあり、とてもつらく嫌な体験をしました。
3、これからの願い。どういう暮らしをしたいか。今、世の中に一番、言いたいこと
年齢もあろうかと思いますが、何かを強く求めると言うよりも、私は現在、充分今のままで満ち足りた気持ちでいます。ですから、このまま現在の生活が何とか維持されていくことを祈るだけです。
⑥タケハラさん
1、教員時代で楽しかったこととつらかったこと。
子どもと仲良くなり遊んだり、「つづり」につらいことが書いてある時、家庭に行き保護者と話すことで解決し、子どもが笑顔になることがうれしかったです。障がい児学級の教え子から電話で結婚の知らせがあり「おめでとう!」と言うと少しためらい「障がい児クラスにいたことがばれるから、先生は呼ばれん」と言われたことです。「いいよ、いいよ、阿蘇の方からお祝いしてるよ」と言って受話器を置きました。
2、退職後で楽しかったこととつらかったこと。
ささやかですが自分なりに老父母の世話が最期まででき見送れたことです。つらかったことは特別ありません。
3、これからの願い。どういう暮らしをしたいか。今、世の中に一番、言いたいこと
70歳を超え、急な疲れや物忘れが増え、びっくりしています。まずは健康第一で暮らしたいです。我が家の敷地に「夢屋」があり、パン作りだけでなく、畑仕事(草取りも)にも精を出してくれありがたいです。孫娘(小1)も一緒に過ごすことが多く、「障がい」というものを特別視することなく自然体で一緒に活動したりしています。世の中の「障がい者」に対する視点はまだまだ差別があると感じます。高齢者にも言えますが、同じ人間であることを当たり前に思い、当たり前に付き合う世の中になってほしいです。
⑦ミヤモトさん
1、夢屋を始めて楽しかったこととつらかったこと。
・地域の障がい者の方たちと「共生」の場づくりを腰を据え取り組んでいけることに喜びを感じていました。
・阿蘇郡内で初めての無認可の作業所をつくっていくことは想像以上に壁が厚く、重度障がい者やその家族と行動をともにすればするほど、地域でいかに生きにくいかその現実を知り、どう取り組んでいくかで悩みました。
2、蔵原に引っ越してから楽しかったこととつらかった。
・ようやく一の宮町で軌道に乗りつつあっただけに、移転やむなしとなったときは奈落に突き落とされた気がしましたが、竹原幸範氏から土地の提供があり、希望を持てたこともさることながら、ご恩に報いるためにもまずは地域の方たちと障がい者の関係を深め、信頼を得る場所に絶対にしなければならないと決意していました。
3、これからの願い。どういう暮らしをしたいか。今、世の中に一番、言いたいこと
・「夢屋」もですが、大型施設でない小さいけどそれゆえに一人一人顔を合わせつながり合えるような<居場所>が各地域に分散してある方が、フットワークもきき、細かに動いて行けるのではないかと思っています。
Ⅲ、「共生」とは。
最近、そもそも「共生」のイメージがいつのまにか固定観念にとらわれていたのではないかと思うことがあります。それはわかりやすく言えば〝関係性〟にこだわりすぎていたのではということです。つまり、人と人がどんな関係をつくり、互いにどうかかわりあい生きているかが大きいのだと。しかし、関係性は注意しないとつい上部(=形)だけを追い求めることになりがちです。
こうやってメンバーに色々訊ねてみると、日常をともに暮らしている場所である夢屋や私なんかより、基本的に本人が自分でこだわっている対象が内容の主となっています。つまり、各自、自分の〈世界〉で生きているのです。夢屋はつまるところそのようなことを自由に考えたり感じることがある程度、保証された「居場所」であって、「共生」とは、最終的には各自が自分に合った落ち着ける場所で、自分の〈世界〉を描き、充足して生きれればいいのではないかと思うのです。もちろん、誰かを誰かが助けたり、寄り添って歩いたり、一方が一方に話し、また逆に聞いたりすることは「共生」への重要なステップであり、大事な手段です。しかしその先には各自が平等に、今ある現実世界を周囲から理不尽な束縛を受けることなく、精神的にも物理的にも共有し合えているかがより大切なのではないでしょうか。
夢屋をつくり始めた頃、ある車椅子の方が話された言葉が今も印象に残っています。仕事で同じビルの二階に月に一度ほど通わねばならず、そこはエレベーターがないそうです。もちろんあらかじめ訪問を言っておけば事務所の数人待って、快く抱え運んでくれるそうですが、正直、いいかげんエレベーターつけてくれよと思うそうです。当然です。いかに気心の知れた人の介助と言っても、二階へ上がるたびに一々お礼を言わなければならなかったり、相手の貴重な時間を奪う事への気の毒さもあるでしょう。エレベーターさえあれば「関係性」は生まれなくとも、〝ただすむ〟のです。また、手助けされる図は一見「共生」に映っても助ける側と助けられる側との力関係が生まれることを忘れてはなりません。私たちが介護を〝有料〟にする理由の一つは、そこに上下関係をつくらず、労働性を明確にし、フラット化するためでもあります。 エレベーターという選択肢があり、ごく普通に一人で二階へ上がれさえすれば、〈世界〉を平等に「共有」し、「共生」が果たせているのではないか、ということなのです。
Ⅳ、まとめ~コミュニケーションから考える~
よく会話では、キャッチボールが大事だと言われます。一方から話すだけでなく、両者がそれぞれに話したり聞いたりすることが大切であると。それは両者が理解し合う上で重要なことだと思うのですが、さきほど〈世界〉を「共有」することと重ねてみれば、もう一歩踏み込んで考える必要があるのではと思うのです。つまり、〝形だけ〟の言葉のやり取りをすれば、両者に理解が生まれるのかということです。おそらく、そこが単なる言葉の〝伝達の場〟であるだけなら、望みは薄いでしょう。なぜなら、本来の会話とは、情報の「伝達」だけでなく、「分かち合い=共有し合うこと」が必要だからです。情報には知識だけでなく、感情も含まれます。それらをただ伝える目的で発している限り、何度交互に繰り返したところで無為な結果に終わってしまうのではないかと思うのです。そう、私たちは機械ではないのですから。
今回、改めてメンバーたちから思いを聞いてみて、新たな発見も多く、いかに日頃、〝形ばかり〟のやりとりをしていたかを知ることもできたように思えます。この課題別研修会を通じて、「夢屋」が今年も学習する機会を頂戴できたことは感謝しかありません。貴重な時間を皆さんと共有できた喜びを最後に申し上げ、終わりにしたいと思います。暑い中、本当にお疲れさまでした。

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