「共」に「生」きる。 in 阿蘇

『夢屋だより』(春号.2022.4/14発行)からの文章です。

●夢屋より皆様へ春のご挨拶をさせていただきます。
                 

2022.4.19「夢屋」代表 宮本誠一

新緑の香る季節。道路脇を大きなランドセルを背負った新1年生が上学年に手を引かれ登校する姿を見ると、こちらまで自然と気持ちが和んでくるようです。新年度が始まり3週間になろうとしていますが、皆様、お変わりありませんでしょうか。おかげさまで1995年に起工、開所した夢屋もいよいよ28年目に入ることとなりました。これもひとえにこれまでご支援くださったお客様、地域の皆様、学校や行政関係者の方々のご尽力によるものと心より感謝申し上げる次第です。出会いがあれば別れもあります。夢屋も、長く応援して下さった方々が転勤、退職と去って行かれました。また私事ではありますが、昨年還暦となり、教職員異動の退職欄のあちらこちらで同級生の名前を見ました。27年前に退職し、夢屋を立ち上げた私とは立場こそ違え、子どもたちと向き合いながら「共生」の世界を目指し最後まで全うされた皆様へ、心からご慰労の言葉を差し上げたいです。夢屋は、これからもメンバー、スタッフともども気持ちを新たにして力を合わせやっていきたいと思っております。どうかよろしくお願い致します。
さて、『この人に聞きたい!』2回目は、蔵原地区長の笹木郁夫さんに取材させていただきました(P8)。農作業などをしていると笑顔で声をかけてきて、ときにユーモアを交ぜ、あれこれアドバイスも下さる優しいお方です。お忙しい中、本当にありがとうございました。
では前号と重なる部分もありますが3月から4月までの行事(予定含む)をご報告致します。
3/12『母と女性教職員の会』に昨年に引き続き宮本、竹原が講演。(参加者の感想をP7に掲載しております。準備の段階から当日のズームでの参加まで職員の皆様、本当にお疲れ様でした)
3/24高橋ふじみさんのご厚意でご自宅の畑で高菜折りをさせていただく。
3/30農事組合法人「碧水」理事長の竹原忠信さんのご自宅の畑の高菜折りをさせていただく。
4/1 夢屋開所28年目に入る。中島地利世さんが20年目に入る。(P3に心境を書いています)
4/19「夢屋だより」(春号・130号)を発行。
4/20ビニルハウスでのトマトの畝づくりと苗植え。
国内ではコロナ感染や頻繁に起こる地震と心配が絶えませんが、なんと言っても心を痛めておられるのはロシアによるウクライナ侵攻ではないかと思います。ほんの数か月前まで、ごく普通な生活を送っていた市民の多くが避難民となり、子どもや高齢者関係なく無差別に殺傷される映像をリアルタイムに見て、わかっていたつもりでもこれが現実の戦争かと底知れぬ恐怖が襲ってきます。そして今さらのことですがウクライナだけでなく、それ以外でこれまで起こっていた紛争や弾圧にいかに自分が無関心だったか恥じ入るばかりです。そこで思うのは、何事もひとたび有事になってからでは遅いということではないでしょうか。国家間の争いも、人と人、家庭内のもめごと、会社やクラス内での差別や虐めなど、残念ながら人間がいるかぎりゼロになることはないと思いますが、被害を最小に防ぐことは可能とも思うのです。それは互いの言い分に平時の時から耳を傾け、課題を共有し合っておくこと。自分にとって耳の痛い話でも聞き入れ会話を途絶さぬ姿勢こそ、結局は重要なのではないか、そう思うこの頃です。
●これから地域や阿蘇はどうあるべきか~この人に聞きたい②~
今回は、夢屋をいつも見守って下さっている蔵原区長の笹木郁夫さんにお聞きしました。
1、区長をされてのやりがいと、ご苦労を、それぞれ一つあげるとすればどんなことでしょうか。
「自分の住んでいる地区を悪くしようと考えている者は誰もいない」を信念に、区長としての考えを率直に述べ、やるべきことを明確にお示ししています。話し合いで違う意見もありますが、経験から得た公助の重要性を訴え、協力を得ながら進め、結果が出た時に喜びを感じます。
2、笹木さんは農業だけでなく漬物屋さん、レストラン、植木市への出店など様々なことをされています。その原動力や思いをお聞かせください。
好奇心、冒険心、家族愛がモットーです。1980年、減反政策が続く中、まずは家族の生活安定へ向け、農地の有効利用としてカイワレ研究から大根、阿蘇高菜の漬物製造と販売ルートを開拓してきました。商店や問屋、生産者など、ここはと思った所には直接出かけ、思いを正直に語り、一ケ月間、大規模な漬物工場で経験を積ませて頂いたこともあります。並行して蔵の改装を妻と手がけ、そこで漬物関係のお客様へお食事の提供をしていたところ大変好評で、その後の息子夫婦のレストランやカフェ、宿泊所経営へとつながっています。これまで教育方針として子どもに「小遣い」でなく、必ず畑や漬物作業等できることを手伝ってもらい、その対価としてお金を上げてきました。周りからは厳しいと見られることもありましたが余暇には必ず家族旅行などで絆を深めてきました。家族はもちろん人との出会いと〝ご縁〟を大事にしています。
3、地域で新分野に挑戦されてこられた草分けとして、今の若者に望まれることは何ですか。
世界の阿蘇と言う恵まれた環境下で生かされている私たちです。立地的にすごく誇れると思います。一人一人違った目線でアイデアを出し合うことが肝心かと思います。そのためにも今やれることの質を高め、足元を踏み固めることではないでしょうか。かつて「漬物の神様」と呼ばれた師匠から頂いた言葉を敢えて送ります。創業当時、営業のことも考え高級車クラウンに20代で乗っていた私を師は、「自分を大きく見せようとして背伸びをするな。見た目だけではだめだ」と諫めて下さり、今も教訓としています。強がることなく自分自身と真っすぐに向き合い、やるべきこと、できることを見定めながら、きちんと全うされることを期待しています。
4、最後に「夢屋」へのメッセージをよろしくお願いいたします。
お薬師堂の枯れ葉掃きや地域の障がい者の受け入れなど、いつも夢屋さんにはいろんなことにご尽力いただきありがとうございます。これからもますます「夢屋」さんが発展していかれることを楽しみにしております。
●3月5日に『母と女性教職員の会(講師宮本、アドバイザー竹原ナホ子)』が夢屋からZOOM開催され、先生方から貴重なご感想を頂戴しましたので抜粋し、ご紹介させて頂きます。
●宮本さんが出会いを大切にしている姿に胸が熱くなります。「家庭訪問を行くことをもし誰かに止められても、行こうと思えば行けばいいんですよ」にガーンとなりました。周りの空気や大きい声に従っていないか。考えることをやめ、楽な方へ行っていないか不安になりました。
●キーワードの「敷居の高さ」は自分が保護者になって感じることがあります。それは学校の先生が見えず、思いを量れないからだと考えます。相手が見えないから諦めや自分本位の考え方に向かい、他に責任を押し付けようとしていると。自分に出来ることを探していきたいです。
●日常に小さな「不安」は沢山あります。けれど宮本さん、竹原さんと出会い何も行動せず「不幸」のままでいるより、行動した後の未来へつながる「不安」を選択できるようになりました。
●4月から小学校教諭として働きます。子どもたちとしっかり向き合い、寄り添っていきたいです。そして子どもたちのことを一番に考え,一緒に成長していきたいです。
●担任だけで何とかしないといけないんではなく全職員でかかわっていければと思います。交流学級の先生も同じ考えで担任している子どもと信頼関係を築き、味方でありたいと思います。
●竹原さんの「同和」教育はどこへ行ったんだという言葉が忘れられません。若い先生は親さんからクレームが来ないようすぐ電話されます。でもそれが、子どもや親の側に立っているのか、自分自身も振り返ってもう一度きちんと子どもたちと向き合っていきたいと思いました。
●はじめて宮本さんの話を聞き、利用者さん一人一人に熱心に向き合う方だと思いました。同時に自分は家庭訪問の際、しっかり保護者さんに心遣いできているか考えさせられました。
●最初の一歩が踏み出せませんでした。頭でわかっていても行動に移せない。宮本さんの「行けばいいんですよ」の言葉が深く胸に突き刺さりました。
●宮本さんの講話から「原点回帰」を思わせるような自分の足元での実践を振り返ることができました。それは本質的に「つながり」「かかわり方」が違うということです。ただ家庭に足を運ぶのではなく、保護者との深いつながりがそこにはあるということです。
●竹原さんも言われたように「同和」教育が「人権」教育と改名されてから「同和」教育によって受け継がれてきた熱い思いや積み重ねられてきた力が感じられなくなっていると思います。
●事務職員の自分にできることとして、保護者さんの顔と名前を覚え、様々な理由で来校された保護者さんに①席を立つ②笑顔で③面と向かって対応するをずっと心がけてきました。今後もささやかなことですが、相手を大切にした対応を実践していけばいいのだと安心しました。
●私が教師を続ける原動力はなんだろうと考えました。一つ、ずっーと心にあるのは「保護者さんと子どものたちのことを話すのが好き」ということです。子どもたちの成長やうまくいないことを共有できたとき、この仕事が好きだと強く感じます。もう一つ昨年の夏、夢屋さんに行き、皆さんとパン作りをさせて頂きました。宮本さんや皆さんのやり取りを見たり、皆さんと話したりして感じたことも、それと同じ「力がわく」という感覚でした。元気をもらって帰りました。また行きたいな、パンを食べたいなとよく思い出しています。夢屋さんは私にとって思い出すだけでも「力がわく」場所です。
●『20年目を目前に、思う事』
                  中島 地利世(チトセ)
3月初め、急に真夏のような暑さが続き、「今年は暖かくなるのが早かったな…」と、異常に感じていると、中旬からやはり寒の戻り…。そこに連日の雨で、今度は寒い日が続きましたが、皆さま、季節の変わり目に体調を崩されていない事を願います。
さて、新年度が始まりますが、今回のお便りでは、夢屋の起こっている〝ある変化〟のお話をします。それは、有難いことに一般家庭のお客様だけではなく、地域の学校や行政関係の方からも、パンのご注文が少しずつ増え続いていることです。
もちろん、その前までも開所以来、毎週 買い続けて下さっている方や、他にもたくさんの方が購入して下さっているのですが、去年あたりからとくにメロンパンとチーズパン、あと食パンも、ブーム到来♡ その3つのご注文が急に増えました。
しかし、どのメニューも多い時でチーズとメロンは、20個~30個、食パンは20斤 近く作る日もあり、メニューの中でトップを争うくらい形成に時間がかかるパンなので、夏などは生地が傷みやすく、出来るだけ朝の涼しい時間帯に全部、素早く作り上げてしまいたいのですが、そうすると、食パンがサイズ的に一つのオーブンに11斤が限界なので、他の菓子パンの分を考えると、オーブンだけじゃなく発酵機のスペースも追いつかずで、どの種類から先に作るか、間を置いて小分けして仕込み、作るか…タイミングを考えるのがなかなか大変でした。それでも、無事に焼きあがってくれて、大量に並ぶパン達を眺めていると、やっぱり、不思議と愛着を感じ幸せな気持ちになります。
あとこちらも有難い変化なのですが、「夢屋」のパン作り日は、一週間のうち、火曜、木曜、金曜の3日ですが、パン作りの日に「国民の祝日」が重なりお休みになった場合、「その日の分は、楽になるぞ♪」と、怠けた気持ちでいたら、固定客の方が「その分、今週だけ別の曜日に作って欲しい」と、ご注文して下さる方もいます。
「曜日を変えてまで、求めて下さるお客様がいるのだな…」と、嬉しいのと同時に、少しでも楽をしたいと考えてしまった自分が恥ずかしくなりました。(苦笑)
最後になりますが、2003年4月24日に「夢屋」に入所して今年で19周年! いよいよ、20年目に突入します。(*^^)v
入所前、どこの勤め先でも長くて半年が限界でしたが、19年という年月を通い続ける事が出来たのには、正直、本当に自分が一番!驚いています。
これも、すべては「夢屋」の皆はもちろん…周囲で支えて下さっている関係者の皆さまのお力だと、心から感謝を忘れず、また健康第一で来年の勤続20周年を無事に迎える為、コツコツのんびりと頑張っていきたいと思います。m(_ _)m

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