「共」に「生」きる。 in 阿蘇

今朝も元気に児童の皆さんが登校していきました。

4月から地元の地域の小学生の登校班の見守りをさせて頂いています。子どもと話すことも楽しいのですが、地域の方々とコミュニケーション(いわゆる世間話)することもいろいろ教わり、勉強になります。このブロック塀は地震の時に危ないね、だから反対側を歩かせた方がよさそうだねという具体的な意見から、話題は現在、懸命な捜索中の北海道・知床半島沖の観光船の浸水遭難事故へと移っていき、やはり「命」に関することになってきます。観光優先、人命や安全が蔑ろにされているのではという話から、かつて半世紀以上前に起きた阿蘇山噴火時の事故の話へ移りました。その悲劇を生かし、二度と同じ過ちを起こさないために中岳第一火口周辺には噴石を避けるために複数の退避壕が設けられたり、現在の厳しい規制基準を設けていったとのこと。その後も、残念ながら火山ガスでお亡くなりになる事故はありましたが、大規模な被災者は出ることはなく、現在までやってきているということ。なるほど旅行客の方々には、せっかく来たのに火口見物ができず申し訳ないことも多々あったかと思いますが、とにかく、まずは人命最優先に考えた結果としてご理解いただければと思った次第です。さっそくその事故を調べてみました。1953年(昭和28年)、阿蘇山の中岳第一火口から噴火が発生し、人身大~人頭大の噴石が火口周辺に飛散。修学旅行中の高校生など多数の観光客が巻き込まれ、6人が死亡、約90人が負傷とあります。驚きました。日付は4月27日11時31分、つまり今日から2日後です。阿蘇に来て30年になりますが、お恥ずかしながらこの日付までは知りませんでした。自分のことは棚に上げて恐縮ですが、次に思ったのは、この日をどれだけの方々が記憶されているのかということでした。人間は忘れる生き物です。もちろん忘却すること全てが悪いとは思いませんが、後世に残しておくべき歴史もあるでしょう。熊本地震然り、人吉球磨の豪雨災害然り、いつ起こったかも含め、次の世代へとしっかり受け継いでいかねばならないのだろうなと、そんな登校見守りの世間話をきっかけに考えた次第です。改めまして69年の歳月を経た今、お亡くなりになられた方々へ、阿蘇に住む身として心からの追悼の意を表したいと思います。

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