「共」に「生」きる。 in 阿蘇

〇27年目の初盆参り。

初盆参りに行ってきました。
御霊の方々は皆さん、夢屋や私と深くかかわってくださってきたご本人であり、またその身内の方です。その中の二人についてお話させていただきたいと思います。
お一人は、27年前の3月31日、私が当時の一宮町立宮地小学校を最後に退職をしたときの教育長さんです。葬儀に参列したことも含め、『夢屋だより・春号』に書かせていただきました。
それには以下のように書いております。
《2月2日にかつてお世話になった先生の葬儀があり、参列してきました。私は1995年3月に教員を退職しましたが、当時、一の宮町教育長をされていました。何かの連絡の手違いで役場での退職の挨拶会に行けず、その直後、お会いした時、「あんたば待っとったつぞ」とおっしゃり「しっかり、よか先生だったって言うとったけんな」と気さくに笑って下さいました。温かく懐の深さを感じた次第です。その後、夢屋を開所してからも、近くのメンバーとのつながりでパンを買って下さり(今もご遺族が続けて下さっています)、移転で土地を提供頂いた恩師とは一宮中時代の校長、教頭の間柄で、その方が自分史『前向きに阿蘇住まい』出版と卒寿の祝賀会をされたときも、駆けつけて下さいました。お二人の息の合ったやりとりを見ているだけで、かつての学校の雰囲気が彷彿され、会場は和やかな空気に包まれました。パン配達の際、メンバーたちにいつも笑顔で対応して下さり、皆、大ファンでした。本当に長い間、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします》
今日はご遺族の皆さんにもう一つ、お便りでは書けなかった、でもどうしてもお伝えしておかなければいけないと思うことがあり、霊前へ拝したのです。
実は先生は、「あんたば待っとったつぞ」の言葉に加え、連絡ミスとは言え、挨拶の場に姿を見せなかった私にゲンコツを下さったのでした。しかし当然でしょうが、それはまったく痛いものでなく、何かこう、これからの人生、しっかりしろよと言わんばかりの愛情に満ちた温かいタッチのものだったのです。そのぬくもりは、ずっと27年たった今も、額から消えることなく、私にとっては大切な支えの一つとして、これまでの夢屋の活動をやってきたのでした。
先生は、その後パンを買い、応援し続けてくださいました。
あふれ出る涙とともにお伝えすると、「良い話をありがとうございました」ご遺族の方々も涙を流されていました。
 
もう一人、これは私がこちらの宮地小学校の4、5年生で受け持った教え子です。6月に自死という形で旅立っていきました。まったく突然のことでした。そのことについてはここでは何も申し上げることはしませんし、できるはずもありません。
ただ私は、心から謝罪したかったのです。
本人にも、そしてご遺族にも。2年間受け持ちながら、夢屋をやるためとはいえ、一方的に教員を辞めてしまった自分の行為を。辞める直前、子どもたちには障がい者の作業所をつくることは説明しました。先生は、この学校の目の前にいつもいて、そんな「共生」の場所をつくっているよ。だからこれからもいつでも会いに来てほしいし、あえて、さようならは言わないよと。しかしそれはどう理屈だててみたところで、自分の側の一方的な論理であり、押し付けのようなものです。私は、あれこれ言いながらも、児童や保護者の思いを深く知ろうともせず、結局は無責任に現場を放棄してしまっていたのではないか。
その罪悪感は、27年間、いついかなるときも離れませんでした。
その後、その子は地元の高校を卒業し、地元での仕事についてくれました。それは、私にとっても大きな支えとなりました。車ですれ違う時の言葉の掛け合いから、用足しで彼の職場に行く際には、あれこれ話しもしてきたつもりです。しかし、今こうなってから思うのです。果たして私は、一体、何をしてきたんだろうかと。もっとつっこんであのとき話を聞いておけば、もっとこうしておけば、もっと、もっと…。27年前、教員を辞めたことも含め、それらの自問が繰り返し繰り返し苦しめつづけます。
そんなときです。つい一週間ほど前、別の教え子が、小学校の息子さんを連れて夢屋へ来てくれました。会うのは27年ぶりのことです。自死した子とも仲がよく、当然ですが、彼も心を深く痛めていました。同じテーブルで顔を見合わせます。何かを話したいとかそんなことじゃない、今のこのもどかしい、無力で寂寞とした思いを感じてほしい、共有したい、そんな願いのような、祈りに近いものがひしひしと伝わってきました。
別れ際のことでした。
お互い、いろいろあるだろうけど、一人でため込まないように、大した力にはならないかもしれないけど、もし俺でよければ話してくれよ。そう言う私に彼も即座に、はい、そんなときはすぐに来ます。そう答えてくれました。私も言いました。俺もなにかあったら、話をしに行っていいかな。彼は笑顔で答えてくれたのでした。
「どうぞ、微力ですけど、こんな僕でよければ」
今は亡き教え子が、一人一人とつなぎなおしてくれている、こんなどうしようもなくダメな元担任でも見捨てずに。
そのことも最後に御遺族にお伝えしてきた、そんな初盆参りでした。(夢屋代表 宮本誠一)

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