「共」に「生」きる。 in 阿蘇

地上よりはるかに「地上的」だった富士山の世界

山小屋についたのがちょうど7月1日の山開きの日でした。まだバイトは僕しかいなくって、それから二週間くらいのうちに二人、三人と四国、関西、遠くは北海道からもきました。わりと小さい方の山小屋で、一番多い時で五人くらいだったかな。
とにもかくにも、どうにか到着して、こんばんわって開き戸から声かけたら、ご主人が一人、囲炉裏の脇で寝てて、がばっと跳ね起きましてね、まずは自己紹介でしたね。翌日やってきた女将さんに、すいません、ぜんぜん知らずこんな格好で来ましたって言うと、いいずらいいずら、まだ宮本さんは良い方ずらって。なんでも前は背広にネクタイでスーツケース持ってきた人がいたそうで、上には上がいるもんだと思いました。
とりあえず屋号の入った法被みたいな仕事着を借り、外は、おおむね長靴です。
仕事の内容を話すときりがないんですけど、まず、やったのは山小屋からちょっと離れた場所に穴を掘ることでした。僕の背がすっぽり入るくらいのを。なんにするんですかって尋ねると、このシーズンで出るゴミを捨てるためって言うじゃありませんか。またまた、なんじゃこりゃ、ですよ。40年前です。SDGsもなにもあったもんじゃありません。さすがに空き缶はないですが、生ごみや紙くずもだったと思います。ガクッときましてね。でもまあ、やるしかないからやりました。それと当時から富士山の山領の形が崩れてきてるってことは心配されてましたね。登山者が年々増え、だんだん崩れてると。前年1980年に大規模な落石事故が起き、砂走の下山者を直撃し、12名(負傷者29名)の方たちが亡くなってたんですが、あれもそういうのが影響してるんだって言ってました。地元の人たちはとにかく富士山の微妙な変化に詳しいんですよ。当たり前でしょうけど。何年か前までは、どこそこに埋めとけば茹で卵ができてたとか…。それでいて穴を平気で掘ってゴミも捨ててるんですから、生活のためとは言え、矛盾て言えば矛盾です。あとトイレも岩場に板を載せたみたいなもんで地下浸透式、つまりは垂れ流しです。水は雪解け水や雨水を大きなタンクに溜めてあって、囲炉裏の炭火にかけた鉄瓶で沸かして飲んでました。とにかく水は貴重で、当然ですが風呂は月に一度あったくらいです。
あと、山小屋同士のルールも厳しかったですね。電気は手動でぐるぐる回す発動機でつくるんですが電灯のワット数は同じゃなきゃいけない。食べ物や飲み物の値段もきちんと決まってました。山小屋前での客引きも禁止。まさしく同業者の自治団体=ギルドの世界でした。うひゃあ、地上が嫌で嫌で逃げてここまできたけど、こっちの方がよほどシビアだなって思いましたよ。人がいるかぎり、社会の煩わしさはどこまでも追っかけてくるって感じで。でもね、これはだけは言っておきますが、人柄はよかったですよ。少なくとも僕の勤めた山小屋の皆さんは。温かくって、親切で。何もできない僕に一つ一つ教えて下さり、本当に感謝してます。
で、山小屋の経営なんですが、ルールを守ってじっとしててもお客はなかなかつきませんから、それぞれ策を練るんですね。今みたいにネットもスマホもないアナログです。山小屋前で客引きができないんだったら、五合目でやればいいじゃないかってことで、そこに息のかかった客引きさんを置いとくんですね。で、昼に担当のときは連絡(電話機は手回し式のダイヤルなしのがありました)があると、客を迎えに行く。まあ大体、必ずあるんで定時になると行ってました。もちろん僕らも慣れてきたら客引きしましたけど。
五合目と七合目を一日平均二往復、多い時で三往復。ああ、そうそう一応、勤務は夜と昼の交代制で、夜は夕方から夜明けまで、主に宿泊客の対応ですね。皆さん、登山だけじゃなく御来光を拝むのも目的の大きな一つですから、例えば頂上で見たい方は、今から登ればちょうど山頂につくっていうくらいの出発時に。疲れたからもうここで見ちゃおうって人は日の出時に起こして回るんです。ただね、こっちも慣れてくると、ああ、この天気じゃ、今日は見れそうにないなあってのが、かなり早くにわかってくるんですね。でも自分の目で納得してもらうため仕方なく起こさなきゃいけない。そんなときはホントつらかったですね。にしても目の前に広がる雲海に上る日の出は何回見ても見事なものでした。
あとそうだな、杖に押す焼き印かな。当時百円で、それはまあ、自然な感じで中から声かけてました。スティックスタンプ、ワンハンドレッドイエ~ン、プリーズみたいにね。なんと言っても「日本のフジヤマ」ですから、外国客が多いんですよ。焼き印は各山小屋の屋号が入って、どこもすべてオリジナルなんですね。だから、声さえかければほとんどの登山者は押していってました。囲炉裏で真っ赤に熱しておいた焼き印を、端っこを膝に置いてジューッて、六角形の杖をくるくる回しながら。僕らもそれができれば、一人前になったって感じです。それと自衛隊や米兵の訓練もよくあってました。あの方たちは一気に隊列組んで真夜中に頂上まで登ってってました。(夢屋代表 宮本誠一)

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