「共」に「生」きる。 in 阿蘇

逃走劇は、なお続く

大学に行って、それまで一冊の本も読んだことのない僕が、同じ下宿の苦学生のアドバイスで有島武郎の『生まれ出づる悩み』をきっかけに「小説」と出会った話は書きましたが、やっぱりね、幼稚園時代からいじめを逃れるため身に付けた『脱出』、もしくは「脱走」癖とでもいうんですか、その方法論はなかなかおさまらなくて、その後も「やばいぞっ」てひとたび思ったらぱっと抜けるってことにあんまり抵抗はないわけですよ。
大学は留年も含め5年いましたが、7回、下宿を変えてます。短いところでは3日で出たところもありましたね。まあ昔ですから、自治会でリヤカー借りればできるわけです。荷物もほとんどありませんでしたし。
私の行った大学は、規模は小さかったですが、両脇に自衛隊やかなり大きな被差別部落地区もあり、かつて貯蔵されていた弾薬庫の問題や活発な識字運動とのつながりもあったようで、60年代、70年代の学生運動の置き土産があちらこちらに欠片のように散在しているとこでした。まずは学内に24時間、学生の自治により運営されている「サークル会館」がありましたね。各サークルのメンバーが順次、夜警をしながら常に利用できる体制を維持してました。正門はもちろん365日昼夜、開いたまま。立看も、当然ですけど、いたるところに立ってました。これはおそらく、どの大学もまだそんな風景が見られていたんじゃないでしょうか。
さて私ですが、小説に興味をもちだしたからといって、やっぱりなにもかもが面白くない。講義もほとんど出てなかったですね。幼児期から幼少までのいじめ体験は、簡単には払いのけることができないんですね。常に索漠としたものとして滞留してるって言うか、ときにはガッーとフラッシュバックみたいに波のように襲ってくるんですよ。そんな日々の中、たまに講義に出ると、決まって学生がビラを配って、最初の五分くらい使ってスピーチ始めるわけです。これまた当然ですが興味もなく、それどころか腹立つ感じで、そんなことしてるやつらは大した悩みもないんだろうって、かつて本を読んでるやつらを馬鹿にしてたのと同じように偏見の目で見てましたね。さっさと終われよってなふうで、ぶつぶつほざいてたんだと思います。
すると突然でした。前に座ってたやつが振り返り、「話、ちゃんときけやっ!」まさしく烈火の勢いで怒鳴ったんです。えっ、えっ、えっと戸惑いました。なんだこいつっても思いましたよ。実は、その彼とはまだ付き合いがつづいてましてね、つい最近も阿蘇に来て、僕になんやかやいろいろ言って帰りましたけど(苦笑)。
まあ、その一撃と言うか、疎ましいのもあったんですがまずは反論するためにも、一応、ビラを見返しまして、スピーチも自分なりに聞いてみたんですが、これまで世の中を政治的視点でほとんどとらえてこなかった僕には、どれもちんぷんかんぷんなんですね。でも怒鳴った彼は、スピーチにうなづいたり、渋い顔になったり、ときにニヤツイいたり、理解している感じなんです。でもね、一番の驚きはやはり真剣さでしたね。切実っていうか。ここまで彼をそうさせているものって何だろうって思いましたね。悔しいというか、情けなかったですね。
それでね、よーく耳を澄まして聞いてみると、学費や自治会費こととか、大学の全学連加盟の是非であるとかね、「大学当局」って言葉もよく出てきてまして。最後は「国政」ですかね。どうも今僕らが送っている学生生活も、如実に「政治」が機能しているようで、日々、影響下にあるということはしっかりと伝わってきました。これまで中学や高校の授業で一応、主権在民とか立法、行政、司法の三権分立とか、言葉では習ってきてたんですが、今、こうして改めて耳を傾けてみて、生身で聞いた肌触り感が新鮮っていうんですか、彼の一喝をきっかけにバーッと目の前に道が突然、あらわれたっていうか。そこでふと思ったんですね。
こりゃあ、もしかすると僕がうけてきた長い間のいじめや、これまで必死に耐えてきた家族に対する悩みなんかも、この「政治」が影響してたのかもしれないぞって直感的に考え始めたんですね。
それまで僕は、どこかで自分や家族を責めてたんですね。自分がこうだからダメなんだとか、家族がいけないんだとか。でもひとたび「政治」という単語が浮き上がってくるや、これはこのことをどうにかしてとらえなおさなければ何も解決しないんじゃないかって、外の方から第三の声が聞こえだしたんです。
で、それからは政治色のある本をひたすら古本屋で買って読み始めました。小説はもっぱら高橋和巳ですかね、そしてついには一年後には、その怒鳴りつけた彼の誘いで自治会の選挙に出ることになるんですから、まったくもってわからないものです。彼が会長候補で、僕が副会長。書記長は解放研にいた女性が立ってくれました。
早いものであれから40年過ぎました。今、改めて思うんですね。あの「政治」への思い入れとそれへ向けて舵を切ったのも、もしかすると何かからの逃走じゃなかったのかって。自分自身の内面ていうか、内省や意識というか、社会が外在とすれば、もっと内在的なものですね。きっと、そちらに傾き過ぎたベクトルに疲れ切って、なんでもいいから具体的にぶつける対象が外部に欲しかったのかもしれませんね。
内と外が密接につながっているっていうことを実感としてわかってくるのは、まだまだ先のことだったような気がします。
(夢屋代表 宮本誠一)
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