「共」に「生」きる。 in 阿蘇

高校まで本は一冊も読まなかったという話

                                                                    今はよく、幼児期から絵本が家に何冊かあったり、両親が読み聞かせをしてあげたり、かなりの家庭がそんな環境にもなったみたいですが、僕の家はそうじゃありませんでしたし、僕自身の嗜好も関係してるのかもしれませんが、絵本を始め、高校まで本を一冊も読んだ記憶はありません。まあ、でも当時(半世紀以上前)はそれも珍しくなかったのかもしれませんね。
あれは小学校の一年の時です。
皆で図書室に行って、本を借りるという、今でいう「体験学習」みたいなのがあったんですが、幼いながらにビビリました。改めて「本」というものに正面から向き合わされたんですから(笑)
まさしく、なんじゃこりゃ、ですよ。
背表紙をこちらに向けたわけのわからないものがズラリ。
ところが怖気づいてるのは僕くらいで、皆、教室にいた時よりはしゃいで、なんだかうきうきしながら、次々と選んでは借りて、テーブルで開いて読んでいくんです。
僕には、それができなかった。
何せ読んだことも、まともに見たこともないんですから。
で、しかたなく、選んでるふりをして、『くまのプーさん』でしたか、さも好きそうな感じをよそおいながら、借りた思い出があります。
で、その本、一応家に持って帰って、当然ですが、何の興味もないわけで、一ページも読まず、皆がそろそろ返しているなってころを見計らい、いかにも読んだふりをしながらいそいそと返しました。
もう二度と、こんなわけのわからない物体(本)とはかかわりたくないと思いましたね。
それから中学、高校と教科書の中の教材としては読んでましたが、やっぱり一冊の本を読むなんて、よっぽどひまなやつか、生活に余裕のあるやつなんだろうとしか思っていませんでした。
なにせ僕はそれまでの幼児期から幼少期までつづいたいじめや家族のことで悩みに悩み、頭も身体もはちきれそうでしたから。
で、中学でしたか、お決まりの学校での夏休みの宿題で「感想文」というのがあるんですが、もっぱら教科書の太宰治の『走れメロス』でしたね。太宰治がどうのこうのも、好きでも嫌いでもなんでもなく、たしか記憶では教科書にあの作品だけは短編ですからある程度載ってんですね。ラストの「まっぱだか」とか赤面した箇所が略されてたことは後で知りましたが、必然的にあれしか書けないわけですよ。他に読んだことないから。ずっと高校まで毎年、とおしました。
そんな僕が幸か不幸か、大学へ進学した先は文学部の国文科なんです。なぜか。
国語は、公式を覚える必要もないし、漢字や古語だけやっとけば、まあいいわけですしね。後は、その場で問題文から読み取っていけばいいわけで。覚える、記憶するっていうのが、とにかくいやでいやでたまらなかったですね。
それに僕にとって「大学」は、なにより家を出るための手段に過ぎませんでしたから、通ればどこでもよかったんですね。「本」を読み始めたのは大学に行ってからなんですが、当然ですが、最初はまったく興味はわかなくて、やっぱり読みませんでした。ほんと、読んでるやつらを心の中では馬鹿にして、かつ、なんかわけのわからない存在だって恐れてましたし。で、ずっといろいろ、やっぱりいじめられてきたことや家族のことやなんやかやで悩みも尽きず、そっちのことでも頭がいっぱいでしたから、入学してすぐは、さっさと大学を辞め、さらにさらにどこか誰にも知られないところへ行って、行方をくらましたいとばかり考えてました。
そんなときです。
同じ下宿にいた年は僕より上のやつでしたが、僕の様子を見てたんでしょうね、「本を読んでみたら」ってすすめてくれたんです。
彼は苦学の浪人生でした。コツコツとバイトをしながら勉強してたんです。なぜでしょう。そのとき、すーっとその言葉が心に入り、初めて手にしたのが有島武郎の『生まれ出づる悩み』でした。なぜその本を手に入れたのか、あるいは選んだのかは思い出せないんですね。もしかすると彼がすすめてくれたのかもしれません。すぐに、あっ、ここには自分のことが書いてあるって思いましたよ。画学を捨て、漁師として生きながらも生活の厳しさに自殺さえ考えるその青年の姿を見て。そこからですかね。文学、僕にとっては「小説」というものに、自分なりにのめり込んでいったのは。

コメントはまだありません

TrackBack URL

Leave a comment